皆様いかがお過ごしでしょうか。
布教六十年を迎え、ここからの信心の展開を求めていかねばならぬことを感じるのでありますが、信心をさせて頂くときに、神様にお任せをするということがあると思うのです。
この時に思わせて頂くことですが、神様に任せることは、ただ単に運命に流されるというのと違うということであります。
時に、自分で好き勝手にしながら、どうにもならなくなったので、お手上げ状態で、棚ぼたの奇跡を待つような気持ちで神様にお任せをするという方もおられると思うのですが、それは神様に任せたのではなく、運命に流されただけであります。
神様に任すということは、事に当る前に、祈りを持ち、また取次を頂いて、神様の思し召し、気づきのおかげを頂く中に、そのことを祈りを持って素直に実行させて頂くということであります。
勝手気儘にしながら神様に任せたつもり、信心しておるつもりでは、神様は任されてはおりません。
それではおかげになりません。