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〜神様の扉を開く〜(編集長)

 皆様いかがお過ごしでしょうか。

 今年も早2月を迎えました。

 さて、信心させて頂く上で、いろいろの考え方があると思うのですが、人生の中でいろいろと問題事が起きた時に、ふと思うことがあります。

 問題事の側には一家に一つの神様の門があり扉があると思うのです。

 神様の扉が一家に一つと聞いて何故と思われる方もあるかもわかりませんが、私が思うのに、これでも多いくらいです。

 人であれ、命あるものは、すべてこの世に沸いて出た人はありません。

 命の営みを先祖様から親に伝わり私がある。

 そのさかのぼるところに神様の命とつながるところがある。

 昔であれば、一家どころか一国家などの地域社会全体に一つとなっていたかもわかりません。

 以前の宗教は、国家単位であったり、また家系によって宗派は同じというのが当たり前でありました。

 最近では家族でもバラバラということがあるのですが、私があるには最低限でも親がいなければ生まれてこないことから、信心させて頂く上に親や兄弟は一つの単位と考えるのです。

 そのためここでは、一家に一つの神様の扉と考えさせて頂きました。

 さて、それではこの門の扉をどうやって開けるのか。

 まずは押す扉か引く扉かを考えなければなりませんが、私は神様の門は引く扉だと思います。

 神様の扉の中にはおかげが満ちており、神様がおられるのですから、押すことが出来ないのかもわかりません。

 また昔は御扉といって教会の御神前などにも扉があったのですが、引く扉は見たことがありますが押す扉は見たことがありません。

 そのため私は神様の扉は引く扉だと思うのであります。

 そして次に何を見るのか、引く扉であれば、手前に物があれば当然開きません。

 人間には欲や感情など多いものですが、目に見えない神様の扉には、それらが開くのを邪魔する障害物になると思うのです。

 どんなものがあるのか。

 扉の前には凝り固まった考えの石ころや、少しでもあふれ出るおかげを詰め込もうとする人間心の欲の詰まった袋を積み重ねておる。

 また信心が分からぬと、この扉が引く扉であることも知らずに自分の力だけで一生懸命に押している人もある。

 そこで、まずどうすることが必要なことなのか。

 家族で話し合い協力して扉の前を片付け、扉をノックした後に中の神様と家族が願いを一つにして引けば開くのであります。

 言葉では簡単なことですが、これが難しい。

 家族であっても考え方や行動はバラバラです。

 誰かが中心となって話を納得してまとめていかなければならない。

 本人の助かりたいとの願い、家族が願う助かって欲しいとの祈りが中心でなければまとまりません。

 それは家族であれば、あるようですが、意外にどのように助かって欲しいかというところに違いがあることがある。

 私の意に沿ったように助かってもらいたいという願いをわりに持っているものです。

 そのためどの願いにあわせるのか難しく思うものですが、実は簡単なことで、おかげを下される神様の願いにあわせるというものであります。

 神様の扉を開けるには家族だけではどうにもならないのです。

 扉の持ち主である神様の協力が大切になってくる。

 ここを忘れている人が案外に多いものであります。

 神様は自分一人が助かるような願いには同調してくれません。

 私と共に人が助かる、お役に立つ生き方を求める生き方に同調してくださいます。

 まず信心させて頂き、神様の願いに気づかせて頂いた人が、その思いをまずは家族に伝えて、おかげとして頂いているものを確認し御礼を申して役立ててみる。

 また考え違いがあったのであれば素直に改めるべきは改めて、頭を下げてでも協力してもらうことであります。

 信心させて頂いていても、この家族の話し合いが出来なければ、扉を開くのは難しいものです。

 一人が我慢と辛抱で荷物を片付けていても、家族の者がそのことを知らずに荷物を置けば扉が開かぬは道理です。

 今の問題に照らし合わせておかげを蒙られることを祈っております。

 御教えに「今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ。」とあります。

 神様の扉を開いたときに感じることが出来るかもわかりません。

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