私事でありますが、私は普段の無精のために歯のほとんどを子供の頃から虫歯にしてしまい、毎年のように治療に通わせて頂き、おかげを受けてきているんです。
その為、歯には詰め物やかぶせた物など、たくさんあるために、普段は気を付けて、餅やガムのようなネバネバした歯に引っ付くような食べ物は、控えたり、治療の少ない前歯の方で頂いたりと気を付けていたのですが、
つい先日、思わず口にした餅米状の押し寿司を口にした時、ガキッと堅い物を噛んだ感触があり、(アッしまった外れてしもうた)と感じたんです。モゴモゴと口から出すと、奥歯のかぶせでありました。
又、歯医者にお世話にならないかんな。そう思いながらも、それからしばらくは、歯に染みたりすることもなかったので、横着をして歯医者に行かなかったのです。
そうすると今度は、ギンナンの殻を割ろうと思い噛もうと思ったのですが、奥歯が使えないために、なにげに前歯で噛んだんです。
すると今度は、今まで治療をしたこともなく、おかげを頂いていた前歯がパキッと音を立て割れてしまいました。(アッ御無礼した)そう思いました。
私はその時、自分の不注意と横着心で歯医者に治療に行かなかったことと、奥歯の大切さ、前歯の役割ということを改めて気づかされたのです。
どんなものにも、その役割というものがあり、その分を越えて、無理をさしたり、横着をすると、傷つけてしまう。けれども、その役割に沿ったところでお役に立てていくと、思いもかけない力を発揮してくれる。
このことは、私は歯の大切さというところから気づかされたのですが、どのことにも当てはまるのではないかと思うのです。
人間にも、色々な人がいて、得意不得意があると思うんです。成せば成るという言葉もありますが、実際、ほんとに死ぬ気で無理をしないと成らない場合もあるんです。
けれども、自分の本当に好きなこと、得意なことを見つけてその事を精一杯伸ばしてやる。何もなければ、色んな事を体験して、やってみたらいいと思うんです。世の中には、色んな仕事がある。それを全部体験したと思っても、実は仕事はそれだけではないんです。
それは大変だけれども、自分で生み出すということ。今この世にはない仕事を生み出すんです。失敗するかも知れない。けれども、必ず失敗するとも又言い切れないわけであります。
その時に大切なことは、人が喜ぶこと、人がこんな事をしてもらいたいと願うことを、どれだけ自分が気づかせてもらえるかだと思うんです。
その事に気がついた時、自分の役割、生き甲斐という物がどんなものなのかも気づけるのかも知れません。
ダラダラと生きるのも楽でいいですが、色々と気づかせてもらえる有り難さに出会った時に、生きる喜びも生まれてくるんじゃないかと思います。
失敗しても、又、初めからではないんです。失敗したことを元にすれば、他人から見て始めでも、自分から見た時にはその次から始めることも出来ると思うんです。
私も、色々失敗しながらもこれからも気づかせてもらえる喜びを持っていきたいと思っております。
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