ご覧頂きありがとうございます。
2002年12月19 14:50:22
匿名さんから、一言メールに一通の投稿がございました。
日々の雑記帳をご覧頂いて下されているようですので、個人を特定しない条件で掲載させて頂きます。
─────────────────────────
日々雑記帳ご覧の皆さんこんにちは。
私は最近心が病んでいます。
なんか最近生きてる意味がよく判らなくなってしまいました。
私は親しい人や身内からまで「あんたは何やっても馬鹿で使えないよね」と言われてそれ以来3週間たった今でも凹んでいます。
なんだか世の中のすべての人間が意地悪に見えます。
私は被害妄想なんでしょうか。
誰か私と同じ経験した方は立ち直る方法など教えて頂ければ嬉しいです。
心の病んでるわたしにアドバイスお願いします。
─────────────────────────
読んで頂けるか、わかりませんが内容がアドバイスを求めておられるようなので原文のまま掲載させて頂きました。
以下、編集長ことキヨハルが祈る中で思わせて頂いたことを語らせて頂きます。アドバイスとなるかどうかわかりませんがご覧下さい。
あなたは、悪いことが重なったことで、あれこれと思い悩んでいるのでありましょう。
文面から見た一つひとつは問題として大きなものではないと思うのです。
心が疲れて、問題を跳ね返すだけの気力がなくなってきているのだと思うのです。
励まされても「人の気も知らないで」と億劫に思ったり、それで失敗しては責められて、誰かに助けてもらいたいと思っても見て見ぬふりをされる。
腹の立つこともあるでしょうし、時に爆発したいこともあるんじゃないですか。
私が時にそうなります。あなたの場合と違っていたら謝ります。
そのために言っておきますが、あなたは被害妄想でも何でもないと思います。あなたが今感じておられることは、あなたにとって大切なことだと思います。
誰だって信頼している人、信頼されたい人に、頼られない、あるいは期待に応えられないことがあれば、へこむことだってあっていいと思います。それゆえに無駄にしないでもらいたいのです。
一言メールには何でも言いたいように爆発してもらってもいいですよ。ホームページにはすぐに反映されませんから。
私以外にもアドバイスが欲しい時には、誰かは力になってもらえます。
人は人の役に立つことで生きる意味があるのだと誰かが言いましたが、忘れがちなことに自分もまた人であると思います。
すなわち、他人の役に立つと共に自分の役に立つために生きることも生きる目標ではないでしょうか。
自分自身の目標。他人に振り回されることのない目標を持つことが大切だと思うのです。
この文面では年齢がわかりませんので、色々と述べさせて頂きますが、若い人であれば、時間をかけて悩みながらやりたいことを見つけることでもいいのではないかと思うのです。
子供のある親であれば、子供を目標にしやすいのですが、これは止めた方がいいです。子供は成長し、大人になり、勝手に自分の人生を歩み始めます。
結婚した相手であっても、元々の生活環境や、考えの根本や価値観が違うために思うようにはなりません。
そういった自分自身に付随したものは目標にはなりません。
私の場合は、結婚もしていないものですから、説得力には欠けるかも知れませんが、私の場合は、自分の生き方そのものを、意味のあるものにしたいということを目標にしております。
少々、問題から離れてしまったかも知れませんが、ただ一言、言わせて頂ければ、親しい人や身内から言われるに当たっては、何か原因があってのことだと思うのです。
それが自分考えで実行したことなのか、ある人に頼まれて、相手の望む内容が出来なかったのか。
それと、あなたのことを良い悪は別にして気にかけていない人は何も言ってはきません。失望していれば無視されます。
言われると言うことは、あなたに何かを求めてくれているから言ってくれているのだと思うのです。
「あんたは何やっても馬鹿で使えないよね」その言葉に何が含まれているのか、時や場所、状況によって変わってきますが、普通であれば「目先にとらわれず物事をもっと考えて行動して欲しい」など時と場所と状況を考えてもらいたい。との思いが含まれているのでしょう。
この文面だけでは私には、わかりかねますが、私は常に思わせて頂くことに、認めることだと思うようにしております。
しかし、ただ認めて落ち込めと言っているわけではありません。最後まで読んで頂きたく思います。
私は以前は、心配性であり、失敗をするとクヨクヨしていることも多くありました。
その時の私の体験談で良ければ読んで下さい。
私は、何をする時にも失敗を恐れて、どうしてもの事であっても最初は心配がつきまとって満足なことは何ひとつで来ませんでした。
けれども、ある時、人から言われたんです。
「失敗してもいいじゃないか。次に失敗しないようにがんばれば。」
その人は、私の失敗に迷惑を受けたにも関わらず、私が失敗することをおそれての臆病に失敗し、失敗を認めずに言い訳を繰り返すことで、自分自身のあるがままを認めていないことを感じられたのでしょう。
慰めの言葉で言ったのかも知れませんが、私は「失敗してもいい」その一言に悩みもし、けれども、ずいぶん救われました。
その方は信心もされてある方で、私の場合には信心のおかげも頂きました。
何をするにも親から「神様にしっかりお願いした上で心してさせて頂け。」そう言われて今日までお育てを頂いてまいりました。
そう言われなくても確かに今でも自分の考えだけで行動に移すのは怖くて出来ないのです。
祈らせて頂く。願わせて頂く。その事があって始めて実行に移すことをさせて頂いております。
そして、自分自身、これは自分には向いていない。適任者がいるとわかっている場合には、断ることも身につけさせて頂きました。
けれども、それらすべてのことは、自分自身の能力や、その解決すべき根本の問題をしっかり認めているかに関わると思うのです。
人は失敗する時には学ばなければならないと思うのです。
自分はなぜ失敗したのか。どこでどうすればよかったのか。
中には、あなたの言われるように意地悪で理由もなく責められる方もあります。
私の場合は、その時は腹の立つことであっても、まず聞かせて貰うことから始めます。
人間、本当に鬼のような心でない限り、人を責め続けることは出来ません。
ただ、自分から反論したり、相手の気に障る態度をとれば、相手も又、責めようと思う心が生まれてきます。
すべてを聞かせて頂いた上で、誠意を持って行動に移させて頂く。言葉でのべるよりも行動に移すのが確かであります。
その態度が相手に伝われば、自ずと問題は解決に結びついてくると思うのです。
それには親しい人、家族の本当の思いを知ることも大切であると思うのです。
時に、自分の考えが正しくて相手が間違っていると思うこともありますが、それは問題のどこを見ているかによって答えが変わるのだと思うのです。
私の場合は、負けず嫌いの気性であるので、あなたのように親しい人から言われたとすると「なにくそ今度から見ておれよ。いつか成功させてやる。」なんて思うのかも知れません。
けれども今は「そういう考え方、見方もあるのやなあ。」と思わせて頂き、次のことを考えていると思います。
「他人(ひと)は他人(ひと)、自分は自分」親にもよく言われましたが、それが成功するのかしないのか。認めるか認めないかは他人しだいであり、他人は又、自分の思うようには思ってくれず当てになりません。それだけはハッキリ言えることです。
他人と比べてどうのこうのと生きる必要はないと思います。
人生は死ぬまで終わりではないのです。今の失敗にクヨクヨしてるのはもったいないです。
テストや試験の結果が、人生のすべてを決めないのと同じ事です。
私はすぐには今のように思えたりできませんでしたが、自分自身も努力しながら一つひとつ改めていきました。
今を見つめて、しっかりと生きていってもらいたいと祈っております。
最後に、どなたか良いアドバイスがありましたら、投稿をお寄せ頂きたいと思います。
また、ご意見・ご感想などありましたら、掲示板をお使い下さい。
メールの場合ですと掲載が遅れる場合がございます。ご了承下さい。
以上、編集長キヨハルの思うところです。この後、神様にも立ち行きのお願いもさせて頂きます。おかげを頂いて下さい。
最後に金光教の四代教主金光様のお歌に、
「じゃまにはならず役立つものとなる努力 ただにつづけむともにといひぬ」
とあります。これは共に邪魔にならないためには、人のお役に立つ努力を只々続けさせて頂こう。と言って下されているものと思います。
物事はまとめて一回で終わることは、まずありません。手近な簡単なところから一つひとつ実行に移して、一つひとつ終わらせていけば、それだけは解決していくようなものです。私は楽なことはお薦めしていませんが元気を出しておかげを蒙って下さい。
教会だよりトップページへ戻る
投稿の雑記帳へ行く
投稿いただいたお話一覧へ戻る
Copyright(C)2001-2023 Konkokyo Church of TosaTakaoka. All rights reserved.