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〜匿名さんへアドバイス・その2〜(編集長)

先日のアドバイスは長々と書いたので要領を得ていなかったと思うので、私の中でももう一度思いをかみしめてみました。

私が思うのに「心」って言うのは誰だってそんなに強くないものだと思う。

人によって強く見える人でも強くありたいという思いから強く見えているだけで要は心の持ちようだと思う。

だからといっても、その心の持ちようが難しいのだけれど、誰だって不安な気持ち、落ち込んだ気持ちのままで暮らしたいとは思わないよね。

生活していく上で人一倍、心を強くする必要もないと思う。

泣き、笑い、落ち込み、色々な感情が心にはあっていいと思うし、またそれがない生き方は、ハッキリ言って味気ないものと思う。

誰だって人の心はわからないよね。

けれども、相手の人が経験した事と似たような事を自分も体験したりしていれば、多少は相手の気持ちを考えていくことも出来ると思う。

いろんな感情を知っておくというのは人生の中では、無駄ではないと思う。

色々と言われたりすることでも、言った方は案外覚えていなかったりするし、言われた方は時に忘れることも出来ないと思う。

私の場合は、その言われたことを無理に忘れなくてもいいと思う。

ただそれを乗り越えるだけの心の強さは持ちたいといつも願っている。

だから私の場合、表面はいつも通りに振る舞っていても、心の中では割と長く傷ついている事だってあるんですよ。

宗教家だっていっても人間だもの。それに私はまだ神様でもないんだから、実際信心していても神様一筋の祈りで何でも解決出来るなんて思ってはいないんですよ。

信心は生き方を学ぶものだと私は思っているんです。先人の知恵や物の考え方、それを自分の生活に取り入れて助かるように生きていくことが私の今の段階では信心だと思ってるんです。

そんな私が心が傷ついた時にはどうするのかといえば、最初は自分の殻に閉じこもって極力、人と接しなくなったりします。

時にはお酒に飲まれている時もあったりしたし、布団かぶって寝てる時もある。本当はそれじゃいけないと判ってるんだけれどもね。

そして、心が少し落ち着いてきたら、そんな今の心でも出来る趣味だとか散歩とかから徐々に始め出すんです。

行動し出すと私の場合は回復が早まるんですね。最初からそれが出来ればいいのだけれども、場合によってはそれも出来ない。

その中で、傷ついた原因を探ったりしてもどうにもならない。時にはどうしようもないことがあるから。

だから今度は原因を探るんじゃなくて、その結果に意味を持たそうとするんですよ。

私に信心がなかったら、悪い方に意味づけをするかも知れないけれども、信心させてもらっているから、いろんな教えや考え方を参考にしながら、良い方によい方に意味づけをする。

プラス思考って言うのかな。そうすると心が元気になってきたりするんですよ。

そうして、つらいこと苦しいこと難儀なことも、無駄にしないようにする。今度はその事を自分自身の心の糧にしていくというのかな。

私の場合は、宗教家でもあるから、今度は人が苦しんでいるのを見たり聞いたりすると、自分の時のことを思い出して祈ってあげたくなる。

教会に参ったり、神様に祈ったりするけれども、他人の心までどうこう出来るような力なんて宗教家にあるとは思えない。

ただ私の場合は、話を聞いてあげて、その人の心が落ち着くようにしてあげる。そしてその人が立ち直るきっかけがあれば与えてあげて欲しいと神様に願っているに過ぎないんですね。

だから願いっぱなしで立ち直る努力をしない人は、信心していても本当の意味では助からないのかも知れない。

願い祈り、話を聞き、その中で行動に現し努力もしていく。

そうしていけば私の場合は、心が立ち直っていきます。

生活の基になることが人とは違うかも知れないので、良いアドバイスではないかも知れませんが、参考にして頂けたらと願っております。


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