華の月、愛で香しき今を盛りと息づいて、見る人もまた心和らぐ
やれ此処からと覚悟決め、踏締め歩く心には静かに生れる和賀心
花を見ているとふと思うことがある。
なぜに周りを引きつけているように咲いているのか。
枯れるまでに種子を残していくために長い年月をかけて進化してきたのだと思う。
一つひとつの命は短くはかないものかも知れないが、命を紡ぐかのように大きな願いに生かされながら変わる。
それが現代まで続いてきた結果が、あの美しい花になると思うのです。
人間でも似たようなところがあるのではないか。
人間の一生で出来ることというのも限られたものである。
しかし子供や孫などにも何かを残したいと願う人も多い。
知識であったり財産であったりと、それぞれ違うのだが、それに必要なことには最低でも一つある。
自分が生きている間には成就しないかも分からないという覚悟を決めることである。
しかし覚悟さえ決まると、教える中にも、見つめる中にも真剣さや厳しさも生れる代わりに子孫の者が成長していくのを感じた時に、ふと何とも言えない感慨というか喜びを感じて、任してみたり優しくなれたりする。
しかし、まだまだ負けんぞと生き生きと取り組んだりするその時が、人間としての魅力が本当に輝くのではないか。
私は、そんな生き方が時にしてみたいと思う。
それでも無理をするのではなく風流的な余裕も持ちたい。
勝だけではなく上手に負けるのが和らぎ喜ぶ心ではないか。
そういうことを思ったりしている私であります。