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〜問題の中に〜(30歳・男性・金光教教師)

 色々と問題が起こってきた時に、普通は、すぐにどうすればその難儀な問題から解放されるだろうかと考えがちだと思うんです。

 病気であれば病気の全快、借金苦ならお金が手にはいるようにとか、人間関係では、相手の心を治してくれとか、自分と関わりにならないようにしてくれとか・・・。

 例をあげればきりがありませんが、けれども今書いたことを見て下さい。これで何か気がつきませんか、そうです。この例では、問題や相手を責めるばかりで自分の生活態度や心のあり方を見ていないんです。

 これでは、一度おかげを受けても、又同じことを繰り返してしまい、助かりにはつながらず、いつも愚痴不足を言っているしかないんです。

 まず問題が起こってきた時に考えるのは、病気であれば、自分の生活態度の何が問題だったのか、改めるべき所はどこなのかだと思うんです。

 それは、問題が起こるというのは、神様が気を付けなさいと注意を促してくれているときだと思うんです。

 そこを改めずにいると、神様は親でありますから最後にはガツンと叱られるのです。

 金光教では、「知らずにするは他から通じて知らせるが、知ってするは主に直接知らせる」という意味のみ教えがあります。

 それは、注意の促しであるのだと思います。

 それゆえに、問題の根本を改めた上で、注意をしてくれた神様に、気づかせて頂いたお礼と、これまでの知らずにしていた御無礼をお詫びをして、後の立ち行きをお願いしていく。

 そして病気であれば医者にかかり適切な治療を受ける。借金であれば誠意を込めて支払いをしていく。人間関係では、人の心を改めることを願うよりも、まず自分の心が相手を責めないように、相手のよい所を見つめていく目を持たせて頂く。

 どんな問題でも、悪いことと知っていても、それをせずにはおられなかった自分という者があると思うのですが、善悪がついている内は、まだおかげも受けやすいのです。

 それは、どうすることが、双方の助かりになるのかが判るからであります。

 どちらかが善悪の心に気づかないと、善悪の心を持っている者が苦労をし難儀な状態になります。

 それは、神様が、善悪の心に気づいていない難儀な人を、祈りと働きによって助けてやってくれと願われるからであります。

 その神様の願いに答えて、祈りと働きをさせて頂くと、神様が力をかして下さいます。

 相手が、善悪の心、金光教では「神心」といいますが、それに気がつけば、双方がより助かる道が生まれてきます。

 どんな問題の中にも、必ず「道」があります。共に生き、共に助かる道を歩かして頂きましょう。

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