よく考えることがある。それは「自分がもし神様だったらどうするのかな」ということですが、信心してる人だけでなくても、無神論者でもない限り、たいがいの人が困った問題や、はたまた楽をしたいからと、いろんな理由で神様に対してお願い事をしていると思うのです。
実際は神様はどう思っているのか?その昔、正月時分のテレビで七福神の格好をした役者さん達が、初詣のお願い事に対して話し合って認める認めない、あるいは現状維持と決めているコマーシャルを見ていて、本当の神様も世界中の願い事を聞いている時に、一生懸命になっている人の願いは叶えて下さろうとするし、ただ楽がしたいとかいうのは、後で後悔するようにしているんじゃないだろうか。
その中でも、せっかく助けてあげても不平や不足の愚痴しか言わない人よりも、ありがとうございますと御礼の一つでも言ってくれる人の願いを聞いてやりたいと思うのが神様の本心ではないかと思う。
神様を人間に例えてみると、神様だけに苦しいことを押しつけて自分だけ楽をしている様な人は、神様に嫌われても、好かれることはないんじゃないかと、やっぱり、神様に頼んだ限りは、自分も一緒に努力してその問題に取り組む。
すると、同じ苦労を分かち合った者通し絆が強くなるように、神様とも心が通じて、多少自分の苦しい時でも、神様が無理を聞いてくれることにもつながるんじゃないだろうか。
一度神様の気持ちになってみて、今の自分を見つめてみたい。どんな時も苦労を分かち合って一生の友として協力し付き合いやすいかどうか、考えてみるのもいいのではないかと思うんです。
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