難儀なと 思う心で 己から 難儀よびこむ 哀れさよ。
難儀こそ 己を磨く おかげなり 気づく心は 和賀心から。
難儀には普通、遭いたくないものです。
けれども人生、多い少ないや感じ方に違いはあっても難儀に遭います。
赤ちゃんであっても難儀なことは日常的にあることです。
けれども逆に、何も難儀のない世の中だと、どうなるのでしょうか。
人はそのことに満足してしまい、何の発展も生まれてこなかったと思います。
また難儀のある世界であっても、難儀に振り回され、押しつぶされてしまう人たちだけでは、どうすることも出来ないでしょう。
難儀はあるのだけれども、それを生かし、どう克服するかを求めて努力した人が、いてくれたおかげで世の中は、いろいろ発展したのだと思います。
今の若い人の中には、何をすればいいのか分からない人も多くいるそうです。
選択肢が多すぎて、決められない場合と、選択肢が無くて決められた道を進む人と色々あると思うのですが、どの選んだ道であっても、難儀や苦労はつきまとうのが、世の中というものです。
その難儀や苦労を克服できる生き方は、職業によって様々あることだと思いますが、一番苦しい時に、その生き方ができるのかを考えてみてはどうでしょうか。
最初から、辞めて別の仕事を探すという選択をされる方は、その仕事は向いていないということです。
やはり、心の片隅でも、その仕事が「好き」と感じられるものが必要なのではないでしょうか。
最後の最後でも「もう一がんばりしてみるか」という気持ちがわいてくることが大切だと思います。
そうして克服する中に、難儀を無駄にせず自分の経験に変えていく。
そうすることで次に、同じ問題が起こった時にも難儀に思わずに立ち向かうことも、また他の人にアドバイスしていくことも出来るようになるのだと思います。
「好き」だからこそ続けられる。
「好き」だからこそ大切に出来る。
「好き」だからこそ伝えていくことが出来る。
難儀を生かす生き方も「好き」という感情が大切なのではないでしょうか。
「好き」という心も「和賀心」ということも「喜ぶ」ということにつながるのではないかと思うのであります。