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〜日々学び進む道〜(編集長)

『干し柿も渋あればこそ甘くなる/苦渋を糧に人も変りて@白空』

 皆様いかがお過ごしでしょうか。

 11月も高知県教会連合会東部地区会では生神金光大神大祭が各教会にて執り行われます。

 土佐高岡教会におきましても、11月15日の立教記念日に、立教記念祭と共に仕えさせて頂きます。

 金光教の教祖金光大神様も初めから信心が出来ていたわけではありません。

 日々の生活の中での問題、物事を通じて信心での取り組み方を求めたのであります。

 その中で、一段一段と信心を進めていった中に道が開かれたわけであります。

 ただ祈ったからおかげになったというような簡単なものではありません。

 難儀から逃げずに向き合っていく中に、学び知ることもあるのです。

 そう考えると、人生は誰もが最初は素人なわけなのです。

 そんな何事にも始まりがあるわけですが、ただ、いつまでも素人では助からないと感じるのです。

 信心でも、日々が同じままでは、進んでいないということ、より視点を変え一つ一つ知らないことをさらに学び体験し、自らの信心を進める糧とさせて頂く。

 例えば運転免許も、教習所で技を学び、知識を得て、努力する中で慣れてくれば、どの車も自然に運転ができるようになる。

 当然いつまでも教官が側にいてアドバイスしてくれるわけではないのです。

 教習所を卒業し実際の道路を走りながら、周りの状況を考えての行動をする。

 臨機応変ではあるけれども、交通法規ということを忘れては、事故の原因になったり警察に捕まることもある。

 常に安全運転に心がけて、周りの状況を考えながら適切な判断をしていく。

 そこまで気をつけていても相手の車がぶつかってきて事故になることもある。

 その時にも、どういう態度をもって事に当たるかということで、後の結果も変わってくる。

 実際の運転は怖いからと、いつまでも教習所通いでは同じ所をグルグル回るだけで何も変わってはゆかないのと同じことだと感じるのです。

 言わばペーパードライバーで、私は免許を持っているんだからと、無理な運転をすれば周りに迷惑をかけたり事故を起こすことにもなりかねない。

 やはり常平生から忘れずに乗り続けていくことで、体にも覚えて、とっさの時にも事故をかわすことも出来るのだと思います。

 そう考えると教会は信心の教習所、取り組み方や祈り方、教典や書物など、また取次者の人生経験から生き方のアドバイスをさせて頂くことは出来ても、それを持って実際に生活の中で現すのは、それぞれ聞いて実践して身につけた人なのです。

 実際の生活の中、難儀に出遭っても逃げずに求めて和賀心からおかげを受けて、さらに練り出しながら信心の身しのぎをすることが大切なのであります。

 金光教の修行は水や火の荒行ではありません。

 家業の行ともいわれる日常生活の難儀そのものが修行なのであります。

 楽なことでは当然ありませんが共々に信心を求めて進めさせて頂きましょう。

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