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〜災害を受ける中に〜(編集長)

 最近は新潟県でも地震があり、皆の助かりを祈らせて頂いております。
 高知県でも南海地震がいつ起きてもおかしくないとか、人ごとではなく明日は我が身かも判りません。
 科学的には周期的に必ず起こるもので、起こってくることは、ある意味どうしようもないことと言えるのであります。

 どんな信心をしていようが、どんないい人であっても平等に起こってくることなのです。
 地上にいる限り、どこまで逃げようと必ず助かる安全と言うことはありません。
 どこかでは覚悟もいるし受けていかなければならない。
 死は誰にでも必ず訪れるものであります。

 この世の中には弱肉強食、言い換えれば食物連鎖の自然の摂理がある。
 動物、植物には当たり前のことですが人間はどうなのか。
 人間は、動物、植物を食べてはいるが一番強いものではないのです。

 例えればノミが人間の身体の上で一番強いと思っているようなものでしょうか。
 人間の足下にある大地、天地というものもある意味大きな生き物であります。
 天地にも大地や大気を元に戻そうとする力もありますし寿命もある。

 資源も取り続ければいずれなくなることもある。
 自然を壊していくことは我が身の人間の首を絞めることにもなる。
 天地が一番強い生き物で昔は自然の力を重んじ、敬い畏れる心もあった。

 最近では人間が一番強い生き物だと思っている人が多いのではなかろうか。
 自分の足下にある私たちを生かし助けてくれている働きに目を向ける必要があるのではないだろうか。
 地球の温暖化、異常気象、地震災害など、気づけとお知らせ下されるお働きがあるように感じます。

 信心とは悪いことが起こらないような、より良い生き方を求めることと、いざ事柄が起きてくる中に、どう生きるかということを求めることだと私は思います。
 このような時こそ考えるべき事も多く見えてくるのではないでありましょうか。


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