『梅雨晴れにパッと花咲く道の辺を/連れ添い歩く笑顔と共に』編集長
皆様いかがお過ごしでしょうか。
7月を迎え梅雨も明けて本格的な夏を迎えた高知県であります。
6月後半に梅雨の晴れ間をみて教会近くの「蓮池公園」へ撮影に行かせて頂きました。
今年5月に一新された公園は池の中を縫う様に遊歩道があり、一面に咲く蓮の美しさ、見事さに感動いたしました。
大きな花は見応えが違いますね。
その時の写真は7月号の表紙にも使わせて頂いたのですが「大賀(古代)蓮」昭和26年に千葉県の検見川遺跡の約二千年前の地層から発見された3個の種子の内1個が発芽し開花、そこから全国へと広まったと看板にはありましたが、植物の命とはすごいものを感じます。
世界には数百年、数千年の木もあったり、その間には天変地異もあったであろうし、生物が死ぬこともあったであろうに、どこまでも諦めず、天地の生かそうとする働きに、命あるものの生きようとする働きが、互いに働き合う時には、奇跡的なことも生まれるのだと感じる。
二千年前の蓮の種子も、二千年後に掘り出されて花を咲かせるとは思ってもいなかったに違いない、ただ生かされ生きることに一心であった中に月日は流れても花を咲かせることが出来たのであると感じます。
金光教の信心、御教えの一端には教祖様の家業であられた農業から、天地のおかげを受けて育つ作物を見て悟ったことも多かったと感じます。
今の私たちは天地自然から何を感じることができるのでありましょうか。
テレビやインターネットでは感じられない、生の発見、感動は本物を見てではないと感じられないのかも分かりません。
共々に感動を忘れないようにありたいものであります。