節分に鬼を払いしつもりでも、払い切れぬが我が心なり。
鬼と福とを内に秘め、生かし現す心には、喜び生まれる和賀心。
2月を迎え、3日には節分という行事が日本各地で行われる。
「鬼は外、福は内」
というが、鬼にしろ福にしろ、我が心のありようが大切であると思う。
心というものは、目に見えないので心の鬼を追い払ったつもりになっていても、もしその場に子供でもいてふざけている内にケンカでも始めようものなら、親であったら怒ったり叱りつけることにもなるのではないだろうか。
それであったら、鬼を追い払ったということにはならないのだと思う。
怒ったり叱りつける前に、一つ心を落ち着かせて、機転の利いた言葉や態度で諭すということをしてみたらどうであろうか。
人間、頭に血が上っていても、とっさに予想をしていないことをされたり言われたら、驚くと共に、どういうことかと冷静になりやすいものです。
話を誤魔化すのではなく目先を変えてやる言葉や態度が、大人である親には必要ではないのだろうか。
人間には時にして鬼の心も必要な時があります。
子供を自立成長させる時には、ただ甘やかしていてはいけないのでありますから。
鬼も福も我が内にあって、ただそれを生かすことの出来る人間にならせて頂きたいと願うのであります。
そのさせて頂ける心が和賀心なのではないかと思います。