信心の道そのものは見易くも、歩み始めるは難しき。
先だけ見れば蜃気楼、道があるかと疑えば。
疑う心は限りなし、必ず道はあるものと信ずる心に神宿り。
今ある道を大切に、先を楽しむ和賀心。
人間である限り、ゆく先の心配は尽きぬものです。
ああなっては困る、こうなっては困ると心を配って万策尽くす。
それでも、心配は無くなることはありません。
実は先のことは、誰にも分からないものです。
自分が今こうだから、こうなるとは限らない。
一寸先は闇との例えもある。その闇相手に心を配り過ぎるのは
無駄事であるのかも知れない。
本当に先のことを考えるならば、今あることを大切にする。
足元を確かめ、余分な心配はせず、先があることを信じて力を
蓄えていく。
動き続けるだけが策では無いのです。動き続ければ疲弊します。
動かずとも、今あることに喜びと感動を見い出し、先を楽しむ。
そういうことも出来るものです。
今自分は、どれだけのおかげを受けているのか、それを見つける
ことが出来れば、神様を信ずる心も生まれます。
神様が心に生まれれば、光となりて道をより照らしてくれます。
疑いは何も生み出しません。最後には自分の今ある足元ですら
疑うことになるのです。誰しも足元があやふやなのは同じ事。
あやふやだからこそ慌てて暴れてはいけないのです。
いらぬ力で足元を踏み抜くこともある。
和賀心に生まれた神様を信じて、ゆっくり一歩一歩踏み出すのです。
そこにあるのが、おかげと信じれば道は開けてまいります。
心配せぬ心とは和賀心の神様を信じることであります。