大切なことに、素直ということがあると思うのです。
普段の生活の中にでも、人から親切で言われたことでも、自分の損得やその時の気分によって、愚痴や不足といった文句を言ってみたりするもんです。
自分の心でこれをさせて頂けたら助かることになると思っていても、自分の見栄や体裁を気にするところから、見て見ぬ振りをしたり、誰か他の人がやるだろうといった、そこから逃げている自分という者がいるわけです。
色々なものを見たり聞いたりした時に、良いことをふっと思わせて頂いたことというのは神心(かみごころ)であり、その後に、思い返してしまう心は、人心(ひとごころ)だということを金光教では教えて頂いてあります。
この、ふっと思わせて頂いた神心の時に、人心を出さないで、素直になってさせて頂けたら、どんなに助かるだろうかと思うのですが、まだまだ人心が出ることが多いような私であります。
けれども、そんな中にあっても、やはり、難しいから、やらないというのではなく、少しずつでも、出来るところからさせて頂く稽古はさせてもらわねばならないと思っているわけです。
それは、私達は皆、神様と共にあいよかけよで生かされて生きてあるわけであります。ですから良いことをさせて頂いた後は、神様も共に喜んで下さる、人心で逃げれば神様が悲しまれるという思いを持って、神様に喜んで頂けるような素直な心で信心の稽古をさせて頂きたいと思っております。
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