(*^ー゚) 教会だよりトップページへ戻る
(*^ー゚) 投稿の雑記帳へ行く
(*^ー゚) 投稿いただいたお話一覧へ戻る

〜共に育つには〜(編集長)

型にはめ我が意に沿えとの押しつけは、しつけにあらず育つ力を奪うこと。
そのものの、生命(いのち)が奮える働きを、見つめて受け取るは和賀心。



最近では、よく虐待ということが聞かれる。
テレビや新聞、雑誌など、目にしない日の方が少ないくらいと思う。

特に多く感じるのは、乳幼児が泣きやまないからと虐待した親の事件である。
中には、しつけと称した虐待も多い。

しかし考えてもらいたい。
それぞれに、働きあいということがある。
最近はコミュニケーションが出来ない人が多いようであるが、それは根本的に相手のことを考えないところからではないか。

自分の言いたいことだけを言い、やりたいことだけをやる。
それでは本来の会話そのものが成立しないのです。

乳幼児であれば言葉は話せない。
まだ理解も出来ないことだと思う。
ただ子供たちは親の姿や態度、言葉から理解しようと努力をしていることは間違いありません。

ただ親の方が理解しようとすることをしていないことが多い。
子供であっても、何もなければ泣くことはありません。
寂しい、腹が減った、どこか具合が悪いと訴えているのです。

相手のことを理解しようとすることは、人によってはつらくストレスもたまることも多いとは思います。
ただ、その感情や態度は他人にも感じ取られることと思う。
子供であれば、なおさら親を見続けているのですから。

共に育つには、相手のことを思いながら互いに話し合い。
その中から、互いに出来るところを助け合うことが必要です。

そして親子でも助けてもらえば、感謝し、御礼を申すことが大切であります。
自らの存在価値として、認めてもらうことが喜びになります。

良いことをしても当たり前と流され、悪くすれば叱られる。
それでは何もしたくなくなるのが当然です。

良いことをすればほめられる。
悪いことをすれば、なぜそういう心が生まれたのかを話す。
芯から悪いと感じて反省している者に償いの場を与える。

それが、しつけなのではないでしょうか。
失敗であっても、それが相手を思いやる心であるときには、ほめてあげることです。

ただこうすればよかったねと改善の余地は伝えておく。
こうでなければダメという型にはめると苦しいのです。

互いに投げ出さず、諦めずに取り組んでいきたいと思います。


(*^ー゚) 教会だよりトップページへ戻る
(*^ー゚) 投稿の雑記帳へ行く
(*^ー゚) 投稿いただいたお話一覧へ戻る

Copyright(C)2001-2023 Konkokyo Church of TosaTakaoka. All rights reserved.