有り難うございます。
>天地の親神様に「お詫びとお礼をいたしましょう」とよくおき聞きします。しかし、人間として真にお詫びとお礼が尽くせるのでしようか。
というお尋ねでありましたが、私が思わせて頂くのに、天地の親神様に対して、至らぬことのお詫びを申し、また受けていることに対してお礼を申す。
そのことが尽くせるのかといえば、まず無いことだと思うのです。
ハッキリ言えば「無理だ」といえるかも分かりません。
一つ考えて欲しいことは、人間同士の問題であれば、何かまず始まりがあって、結果が出て、それに対して、お詫びなりお礼を申すわけですが、こと相手が天地の親神様となりますと、始まりと終わりが無いということであります。
つまりすべての事柄というものに区切りがないということであります。
人間の方で、ある問題が起こり、御取次を受けながらおかげを受けたとするときにでも、その事柄だけが問題ではないはずです。
その問題が始まる前から、また問題の最中、終わったと感じる中、終わった後、神様は区切りがなく気づけとお叱り下さり、見守って下さり、おかげを下さり続けているのであります。
まずおかげの受け初めは、生まれる前からにさかのぼることだと思います。
言い尽くされた言葉ですが、アナタが生まれたことは、奇跡に近いほどの確率であるということ。
それを思う時、誰に祈られ願われ、この世に生まれてきたのでしょうか?
そこには天地の親神様の祈りがあられたことと思います。
今の世の中であっても、子供を授かることの大変さは変わらぬものであります。
生まれることが出来るおかげを頂いて生まれてきたのです。
御教えにも
「おかげの中で生まれ、おかげの中で生活し、おかげの中で死んでいくのである」
と教えて下さってありますが、その受けているおかげの、一ヵ所だけを見て「お詫びを申した」「お礼を申した」といっているに過ぎないのです。
お詫びを申すことでは「先祖からの不行き届きをお詫びを申す」という考え方が金光教にはあります。
また、死んでから後は、天地の親神様のもとで人の願いを、神様に取次、人を助ける御霊神様としての働きをさせて頂くことが、大切であるという考え方があります。
すなわち、死んでからも天地の親神様のお役に立つ生き方が必要なのだと思います。
そのことから考えても、お詫び尽くせぬのが本当ではないでしょうか。
ある親先生から「お礼やお詫びお願いだけでは足らない、生きている間はお詫びにならないから償いが必要である」と教えて頂きました。
お礼もそうですね。終わりがない。
今、自分がおかげを受けたことは、私に下されただけではない、私を通じて人を助けるために、おかげを下されたのだ。
ということです。
当教会でも「おかげ盗人になってはいけない。おかげ盗人とは、おかげを受けたことを誰にも話さず、自分のところで止めてしまうことである。おかげを受けたら人に伝えさせていただけ。」と教えて頂きました。
「人を助けることが天地の親神様へのお礼である」
とのことを考え合わすと、普通の宗教のように「ご祈祷してもらった、謝礼を払った」で終わらないのが金光教であると思います。
天地の親神様にとってはお金ではお礼尽くせぬものであります。
お詫びということの中には、これからの改まりということが含まれます。
口先や、取次者の前でだけ、お詫びを申しても意味のないことであります。
前の四代教主金光様は「口でお詫びを申さずとも、心から改まれば、それがお詫びになります。」と申されました。
最初にもどりますが「人間として真にお詫びとお礼が尽くせるのでしようか」というお尋ねの返事としては、
『物事は今に始まったことではなく、おかげを受けながらの日々であり、お詫びやお礼を申すことに、これで済んだというものはなく、だからこそ、お詫び申すことには心からの改まった生活をし、お礼を申すことには受けたおかげを人に伝えて助けさせて頂く。そのことを日々のけいことして取り組むということが、報恩感謝であり、償いであると思うのであります。』
ということになろうかと思います。
簡単に言えば、
『神様はいつも私たちを見守って下さり、助けて下されてあるのだから、その時だけの言葉や謝礼だけで終わりにせずに、普段から悪いと思うところは改まり、おかげを受けたと思う時には、素直にお礼を申し、人に対しても神様にお願いしながら「私はこういう体験をした時に、こんなおかげを受けたんだ、その時にこういうことを思わせられたんだ、それが分かった時に、ありがたかったよ、アナタの問題でも、こういう思い方で取り組んでいけば助かるんじゃないかな」と伝えるけいこをすることが大切だと思う。』
という言葉になるんだと思います。
人間ですもの、完全にお詫びを申しきるとかお礼を申し尽すなんて出来ないと思います。
けど、何かさせて頂かねば、お詫びにもお礼にもなりませんから、日頃から気づかせられた時に、こまめに改まりやお礼を申すけいこが出来るといいですね。