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〜受けきる信心〜(32歳・男性・金光教教師)

皆様いかがお過ごしですか。

早9月になり、秋季霊祭の月を迎えます。

今月のお話にて「生きる信心」と申しましたが、これはいわば、信心生活の初歩でもあります。

今をどう生きるのかを求めていく中に、悩み迷いする中で

「ここで神様ならどういう生きられ方を求められるかな」

と心を神に向けていく。

そうして心に思わされる思いを実現するように一歩を踏み出していくと自分が生きるべき道が徐々に開けてまいります。

ただ困ったことが起きた、神様に願った祈っただけでは、神様の心は判らないものです。

実行なくして助かりはありません。

また、自分でこうと決め込んでしまって、こうしてくれと一方的に願うのでは、目の前で神様の働きが現れていても気がつかないものであります。

あるいは、始めから神様に願うつもりもないのに、願った振りをしているのでは、おかげが無くて当たり前のことなのであります。

祈り方の一つとして

「どこまでも神様の働きなくしては生きられぬ私でございます。今こういう問題が起きてまいっております。どのような神様の思し召しであっても、おかげと受けさせて頂けますよう、助かる道をお示し下さいませ。」

と祈っていく、そうしてどのような変化であっても、おかげと受け止め、一つずつ御礼を申し

「神様の思し召しを分からせて下さい。」

と願う。

そうしていけば道が開けて参ります。

共々におかげを蒙らせて頂きましょう。


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