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〜受けたものと伝えること〜(編集長

 皆様いかがお過ごしでしょうか。

 春を迎え3月の春分の日には春季霊祭が仕えられます。

 また早いところでは各教会において天地金乃神大祭も執り行われ始めます。

 時節が来て春になり暖かくなってくると、変わらないと思っていたものが変わる瞬間がありますね。

 枝に蕾ができ、蕾がふくらみ、花が咲き、季節の移り変わりに私は命の営みを感じます。

 その時に人間も同じだなあと、それぞれに天地のお世話になり、命のおかげを頂いて、それにつながる御先祖様からの命を継ぎつつ、新たな今日の私達があるのであります。

 誰しも今日に生きておる限りに、どのような生れ、育ちであっても、命の根本は間違いはありません。

 科学で命を作るとしても、元になる卵子や精子そのものは作り出せません。

 それを提供された方の命を継いだということに他ならないのです。

 それをたどれば、何千年の歴史を紡ぐ命の旅を感じることになる。

 人間心で縁を切るということもありますが、命のつながりの縁は切れはしません。

 ただお互いに離れてあるというだけで、子供の立場からいえば知らずにでも親と同じことをしている自分を感じることもあります。

 ただ子供は親の命を受け継ぎはするが同じではない。

 子供は子供として、一つの自立した存在でもある。

 親としては一人で自立していくための生き方を教えていく。

 自立といっても一人だけで生きていくことを教えることではない。

 人と人とのつきあい方、善悪の判断、対処の仕方など人間として生活していくための基本を教えていくことが人間育成であると感じます。

 そこで伝えることが、大いなる目で見つめられている自分であるということです。

 それは世間体や他人の目というわけではありません。

 人に知られようが知られまいが、自分がする良いことも悪いことも、見ている目があるということです。

 その中で、悪いことをしようとする時に止まる心、良いことをするのに躊躇しない心が生まれるのではないか。

 迷いは誰にでもある。

 欲のすべてが悪いわけではない。

 人として生きる大切な欲もあるのです。

 それが先を楽しむ夢や希望にもつながるのではないでしょうか。

 それをゆっくりと見守っていく目というものを育てていかなければならないようにも感じます。

 それを急ぎすぎる中に悪いことをしなければ手に入らないと錯覚してしまう。

 実際は、細くても長く続ける中に、自分にあった生き方を手に入れることもできると思います。

 ささやかでも良いじゃないですか、何が幸せに感じるのかは人それぞれです。

 子供のおかげを頂いて、神様の氏子として慈しみ、人として育てながら、命をつなぐということも大切なことであります。

 しかし、都合によって子供がいないことで、自分の命が途切れるということはある。

 ただし命だけではない、一人の人間として生きた証として残る技術や言葉もあります。

 悪いことをして有名になるよりも、自らの生きた言葉や技術で喜んでもらえ、地域の人にでも覚えてもらえる、その方が私は後になって後悔しない生き方であると感じます。

 努力すること体験したこと感じたことは無駄ではありません。

 伝わる事、受けた事、受けたおかげは共々に次の人々にも伝えさせて頂きましょう。

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