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〜我が心を見つめる〜(31歳・男性・金光教教師)

皆様いかがお過ごしですか。

皆様は信心させて頂く者として、ご無礼をしている自分という者に気がついておられますか?

教祖様は

「昔から、あの人は神様のような人である、仏様のような人である、人に悪いことをしない正直者であるといわれる者でも、だんだん不幸なことが重なったりして、どういうわけであろうかというが、みな、神に無礼粗末があるからである。いくら人に悪いことをしない正直者でも、信心しなければ神には無礼粗末になる。人がよいのと神への無礼とは、また別ものである。信心しなければ、いくら善人でもおかげにはならない。」

と申されております。

それでは皆様は本当に金光教の信心をされておられますか?

「信心するものが、喜ばない、つらい顔をして日を過ごしてはならない。天地の親神を信心するのであるから、天地のような広い心にならなければならない。」

とあります。 

難儀があるのに喜べるかと申す人は、そこにどれだけのおかげを受けているのか気がついていない人だと思うのであります。

我が心をよく見つめて、一つひとつのおかげに気がつかせて頂く。

日記などをつけている人もありますが、今日1日の御礼とお詫び、現在のお願い事などをノートに書きつづってみるのはどうでしょうか?

文章に書くことによって、あらためて自分の至らぬ所も見えてくる。

自分自身も気がつかなかった、新たな自分に出会うことが出来るかも知れません。

善いこと善いことを思えば善いことが生まれてくる。

逆に悪いこと悪いことを思えば、より悪くなっていくものです。

アナタはノートに愚痴や不足を書きつづっているのではないですか?

きっと善いところがあるはずです。

「私にはないなあ」と思ってる人は、今気がついたのですから、これから一つずつでも増やしていける稽古をしてみませんか?

先にご無礼と言うことを書きましたが、神様に本気で真の心で向かっていく時にはご無礼と思わずに現わしていくことです。

きっとそこには新たな道が開けてくるように感じます。

共々におかげを蒙らせて頂きましょう。


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