皆様いかがお過ごしですか。
早二月になるわけで、よく一月は行く、二月は逃げる、三月は去ると申しますが、本当に、新年を開けると慌ただしく月日は流れて行くものです。
話は変わり、最近の世の中を見てみますと、何でも早くしていく傾向があるようで、何か人間の方にゆとりというものが少なくなっているように思います。
他人のことを思う、神様のことを思う、御霊様のことを思う。
どれも自分以外のことに目を向けていくことですが、これが出来る人は、ある程度心にゆとりのある人だと思うのです。
自分の心の中にゆとりがないと、自分のことに精一杯で、お金のこと、病気のこと、人間関係のこと、起こりくる事柄に、囚われてしまい、その中で信心もせねばと思いながら、祈っていても、結局、神様のことや、御霊様のことを考えての祈りにはならず、自分のことを何とかしてくれの願いに陥ってしまい自分は信心していると思っても信心になっていないこともあるのです。
それではおかげになるものでもならなくなってしまうと思うんです。
それでは、ゆとりを持つにはどうすればよいのか、一般的にカウンセリングですと「がんばらない」ということを教えていると思うのですけれども、金光教でいえば、「神様にわが心の難儀な心を預けて、自分が自分がという我情我欲な思いをなくす稽古をする」ことだと思うのです。
あいよかけよとは足らない所を素直に認め、そこを互いが足し合い減し合いして共存共栄の道を求めることだと思うのです。
時に頑張ることも必要だと思います。ただ頑張る中にも祈りと、神様と共にという思いは忘れないでいて欲しいと思います。
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