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〜ゆとりのある生き方〜(編集長)

金無くば 生きてゆけぬ 世の中と 働き続けて 誰がための金か。
ほどほどに 我が分限を 生きる時 ゆとり見えゆく 和賀心かな。



世間一般的にみても、生活する中にはお金ということが重要になります。

ゆとりを求めて仕事に精を出す人も多いことと思います。

確かに、上手に生かして使うことの出来る人にとってお金はいくらあっても困らないものと言えましょう。

しかし、お金がいくら手元にあっても、それを生かすことが出来ない、ただため込むだけという人には、お金は意外に貯まらないものです。

また、当然のように無駄な遊びに散財する人のところへも、お金は貯まらないものです。

本来、人間には何事にも分限というものがある。

人間の器と言っても良いのかも知れません。

器以上のものはこぼれてしまうのが道理と言うものです。

ただ、社長の器になれる人であっても、お金の価値が分からないような人では生かせる人とは言えません。

逆に、苦労人でお金の価値は分かっているけれども、我がことのみを考える人は、生かすことは出来ません。

お金の価値を知ると言うことの中には、どう使えば、このお金が喜ぶであろうか、生きるであろうかと、お金の心にまで心が配れる人、自分の分限を知って、自分の手元には、これだけあればよいという生活力を身につけている人が生かすことの出来る人だと思うのです。

お金が喜ぶようなところへとお金を生かして使っていけば、しだいにお金の方から寄ってくるようにもなります。

ただお金をばらまけばいいと言うものじゃない。

それは死に金も作ることになるからです。

嫌みにならず見栄のために使わないことも重要な一つです。

言うは易し行うは難しでありますが、ある意味簡単に言えば、ほどほどに見えを張らず無理をせず、出す時には出すが、締めるところは締める。

無駄を少なくする中に、ゆとりも見えてくる。

ただ、無駄と言うことも時には必要であることを忘れてはいけないのです。

ともすると無駄を少なくする中に、自らも取り込まれて窮屈になって生活をしている人がある。

何のために無駄を少なくしているのか、本末転倒にならないことが大切なのであります。

最後に覚えておかねばならぬことは、ゆとりも人それぞれ分限があるということです。

仕事を働いている時にはゆとりを感じるが、休みになると何をして良いのか分からなくなる。

ゆとりの使い方を分からない人もいるのです。

人それぞれ何にゆとりを感じているのかも違うことがある。

無理をして分限を超えて、ゆとりの楽しさを知って身を滅ぼすこともあります。

つまらない生き方に見えるようでも、ほどほどに自分の分限を楽しむという心になれた時にゆとりのある生活が生まれるのだと思います。

器も上手に使えば表面張力のように多めに入れることが出来るかも分かりませんから。

それもまた和賀心なのではないでしょうか。


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