ドングリから芽が伸びていました。
机の上で拾ってきたままに置いていたのですが、生きている証を見せてくれるように、固い殻から芽を伸ばしていました。
それに気づいて、鉢植えの中に植えてみました。
この先はどうなるかは誰にも分かりません。
ですが育ってもらいたいと願うものであります。
固い殻に閉じこもりそのままであったら、気づくこともなく変わることもなく枯れていたのは間違いありません。
一つの行動であっても、その行動には「気づいてくれ」「生かしてくれ」との祈りにも似たものがあるのかもわかりません。
行動を起こしたとしても気づいてもらえないことや無視されることも多いものですが、生きていてもらいたいと思います。
そのちょっとしたことに気づき、手を差し伸べてくれる人があるかも分かりません。
同じ苦しみの中でも共に生きてくれる人があるかも分かりません。
信じることは裏切られたりむなしかったりすることもあるものですが強く生きてもらいたいと祈っております。
自分だけでも最後の最後まで自分を信じていてもらいたいと思います。
その思いに応えて無駄でもいいという思いからでも、知らずに動いている隠れた自分がいるかも知れませんから。
目をつぶったり逃げることはすぐに出来ますが、その前に自分に問いかけてもらいたいと思います。
自分のために自分が何をしてやれるのか。
時間のかかることですが、問いかけて良かったと思える日が来るかも分かりません。
昨日の人を責める心を忘れ、今日やれるだけの精一杯のことを生き、明日の起こり来ることを楽しむ。
そんな生き方をしたいものであります。