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◎ Coccoのライブ等を見たことなど ◎ |
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【2003.12.24 更新】 | |||
●琉球放送(テレビ)「情報コンビニ・龍の髭」 今回は、Coccoのライブ密着レポが放送された。(約40分程度) これは、沖縄に帰った時に町や海にゴミがあり、あまりの汚さに毎日ゴミを拾うようになったが、一人ではきりがないので、「ゴミゼロ大作戦vol.0」と銘打った”沖縄の海や町をゴミの無くし綺麗にしょう”という呼びかけとして、2003年8月15日に行われた一日限定の復活ライブの発足時から当日までのことを追ったものである。 Coccoは、沖縄県内の高校などを自分自身で歩き回り、今回の企画の説明を行ったようだ。しかし、参加してくれる生徒はいたが、なかなか規定人数に達せなく「親戚も呼んでもいいよ」と言うほどだった。徐々に人も集まり規定人数に達したが、ライブを運営するボランティアのスタッフもなかなか集まらず、またもや苦戦を強いられた。が、商店などのポスター貼りなど、Coccoの懸命の活動によりこれも徐々に人が集まってきた。 準備がなんとか整い8月15日、ライブ日がやってくる。人が集まるか不安だったCoccoだが、県内外からの大勢のお客さんが会場へ集まり、一安心。ライブの前に一言ボランティア・参加者に挨拶するが、感激のあまり涙を流してまう。そして、一曲「Heaven's hell」限りのライブ本番へ・・・。 密着レポの映像が終え最後に、司会の二人が、Coccoの行動に感動し泣いていたが、この映像を見た者も、当然のように涙ぐむと思う。このレポは、Coccoの人柄が伝わる”ちむぐくる”(真心)のある映像だったと思う。 追伸:12月21日の同番組でCoccoが出演し、このライブ映像の件で話していたが、次回のゴミゼロ大作戦は、2005年以降に開催予定のこと。 |
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【2003.12.24 更新】 | |||
●FM沖縄「サタデーナイトはど〜するべき!?」 2003年7月26日。Coccoのたっての希望により、約2年3ヶ月ぶりにメディアに登場した。 出演したは、「サタデーナイトは、ど〜するべき!?」という沖縄のラジオ番組。(録音による)オープニングトークでは特に紹介はなく笑い声のみだけで、CMへ・・・。 CM明けは、「SING A SONG 〜NO MUSIC.NO LIFE〜」。歌が終わり、やっとのことでCoccoの紹介。第一声は「こんばんはゴザイマス」とちょっと戸惑いながらの登場。しかし続くトークでは、MCの川満しぇんしぇい(先生が訛っている)達が『強く儚い者たち』の歌詞を多少くじる(からかう)と、Coccoは『弱くしぶとい者たち?』とシャレで返しす余裕ぶり(?)。(以前、川満しぇんしぇい達が番組内で言っていたことらしい)くじりトークも少し休憩し、以前、FM沖縄に届いた手紙の話題へ。 まず手紙は、イギリスから琉球銀行の封筒で送ったようだ。さすがに、このことについてFM沖縄では、Cocco本人か、それとも単なるリスナーのペンネームなのか、迷ったようだ。しかし(会ったこともなく失礼に思うが)「くぬちゅ(この人)は、すんどー(するな)」ということで、関係筋に確認したらしく、本人だと分かったようだ。手紙を送った理由は、番組で川満しぇんしぇいが「リクエストが少ないからやめる」と冗談で怒っていたのを、県人会が聞いてて、それでCoccoまで伝わり「なんとかしなくちゃ」ということで送ったそうだ。(お笑いポーポーなど、川満しぇんしぇい達のファンだったようだ) で、この番組に出演した目的は、ゴミ問題を解決したいということで、あるイベントを行うことを宣伝するためだそうだ。それは、「ゴミゼロ大作戦vol.0」というもので、Coccoが、沖縄に帰った時に町や海が、ゴミで、あまりの汚さに毎日ゴミを拾うようになったが、一人ではきりがないので、今年6月にゴミを拾いながら唄っていた歌を、”沖縄の海や町をゴミの無くし綺麗にしょう”という呼びかけとして、ライブで唄おうと思ったことが発端だそうだ。この時は、ゆんたく(しゃべり)にも熱が入っていたが、合間にCoccoが「川満しぇんしぇいのお家も片付けないとねぇ〜(笑)」と冗談を言って、場を和ませるといった感じで、Coccoの人柄が大きく感じさせる場面でもあった。(余談だが、このイベントではラブレンジャーといのがあって、Coccoはラブピンクだそうだ) 肝心なライブの方ですが、8月15日 PM5:00〜5:10 に行うようだ。(うちな〜タイムを考えてない時間だね・・・) この後は、番組のコーナーに参加。まず最初は、Coccoのリクエストだが、フェーシの「涙のワンナイと首里城」というパロディの渋い曲を選択。そして、「名言・失言・珍言365」という勘違いしてた言葉や失敗談をみんなで笑おうというコーナーや、「ゆくしつくや(嘘つき)のターチミーチ(2、3)」という「筑紫哲也の23」のパロディコーナー。それから、「スーパーDJタイム」のコーナーでは、「沖縄そばは何が好き?」と聞かれ、Coccoは「スッポンよもぎそば」と強烈なそばを答え、みんなを笑わせる。 最後の「川満児童文学館」は、子供の頃の誤字だらけの作文や手紙を読んで、大いに笑おうというコーナーで、Coccoもリスナーのハガキを読むことになるが、Coccoの場合は日本語が片言の留学生みたく可愛らしいしゃべりで、周りを大爆笑させていた。 「川満児童文学館」のコーナーでお別れだったが、結局エンディングも参加。終始、笑い声も聞こえ、Coccoの笑い声で番組が終えた・・・。 この番組では、終始、Coccoの笑い声が聞こえ楽しそうだった。川満しぇんしぇんらも、「もあい(定期的な飲み会)をするか?」と言われるぐらい、フレンドリーな感じだった。また、その笑い声を聞いてみたいものです。 |
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【2002.02.21 更新】 | |||
●あばぁ口調 Coccoのうちなーぐちは、どちらかというと”おばぁが話す口調”だと思う。だから訛りがきついなぁと思う。 言葉は、若い人が特に使ってる”うちなーやまとぐち”が、多い。 |
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【2002.02.21 更新】 | |||
●沖縄への思い 2001年2月1日の琉球新報の一面に、沖縄限定のCD&ビデオ『風化風葬』の宣伝&手紙が掲載されていました。それは、Cocco本人の直筆の8枚にもなる手紙で、その内容は、沖縄への想いが延々と書かれていて、沖縄をこよなく愛していてくれたことが分かるものだった。しかし、Coccoは、その愛情の大きさを自慢するわけではなく、神を崇めるように沖縄を想い続けてきたようだ。 この手紙でCoccoは、「歌手Cocco」と「沖縄人こっこ」の境界線がなくなるまで、3年かかったと書いている。それで、今まで沖縄での仕事をさけていたのかと思った。実際に本人が「沖縄にCoccoを持ち込んではいけない」、「沖縄に歌手Coccoは必要ないと想っていました」と書いている。しかし、どこで歌うにしても沖縄を想い、心は沖縄にあるとも書いてある。 そして、Coccoは最後(8枚目)に1行「愛してます」と書かき、”100万回のキスを込めて私の愛する美しい島へ.Cocco”とつづられている。 しかし、沖縄では『風化風葬』(CD&ビデオ)、全国では『羽根』の発売日(2月21日)に、2001年4月18日をもって”活動停止”することを発表したのは衝撃的だった。 沖縄への”手紙やシングルCD”から、Coccoのピュアな心と熱い想いを感じられて、うれしいが、現在も”活動停止”なのが残念である。出来れば、もう一度、Coccoの沖縄への想いを感じてみたいと思う。 |