投稿編Yさんのニュージーランド旅行記

 まえがき(2月21日更新・悪徳社員)
 私が今までツーリストとしてしてきた「旅」などと言うものはたいしたこともなくただ「だらだらと時間を過ごすこと」に終始していたと感じています。それが私にとり開放感であり、「さあ!ちゃんと働くぞ!!」という気持にさせてくれていたのだと思います。
 今回のこの体験記の主人公は「体育会」出身者の方でして体力そして気力ともにすこぶる充実した、若きチャレンジャーの体験記です。もうずいぶん昔に彼は
「旅行をしたことのない人でも旅行業界に就職できますか?」
とたった一行のメールを私に送ってくれました。それ以来わずかですがメールのやりとりをさせていただきました。そして今回の「旅行記」をいただいたのですがそれまで感じなかった・・・なんと表現豊かな旅行記なのでしょう。私は即座に
「是非とも私のホームページで紹介させていただきたい」
と彼にお願いいたしました。そして今回の連載がはじまったわけです。私は彼の原稿を彼のプライバシーを守ること以外は何ひとつとして訂正することなく更新したいと思います。そして何一つ自分の意見を挟まないつもりでいます。そうなりますと後になって何一つ言えなくなりますのでただ一つだけ先に言っておきたいことが実はあります。
 そのただ言いたいこととは
「高いところが苦手」
な人がバンジージャンプを自分から積極的に試みた・・・これは私には絶対にできないことだなあ・・と。若いって言うことは何と比べましても素晴らしいことだと思ってしまいます。そうです。仕事は年をとってもできます!!でも今しかできない「旅」はそれ以上にあるのです。Yさんへのご感想ご質問などは下記のメールアドレスまでどうぞ。

 準備編・11月上旬〜出発まで
 ニュージーランドへ行くためにアルバイトの休みを3週間もらい、さっそく格安航空券についての話を聞きに旅行会社へ。しかし、私の希望する日はすでに満席で3日ずらした日に1つだけ空席があると言われ、あせってその場で予約を入れる(後で思うと、まんまと旅行会社にやられたのかも)。
 何も具体的な予定を立てていなかったので、とりあえずスライストチャーチINでオークランドOUTに。
 その後、インターネットでファームステイというものを知り、中学生並の英語でEメールのやり取りを始め、最初の4日間だけクライストチャーチ近くの牧場にお世話になることが決定。
 それからも、ガイドブックなどで宿や交通機関の情報を集めるものの、具体的な予定は決まらず、
「ファームステイの後は北島を中心にまわろう」
という大まかな予定のみで出発の日を迎える。


 11月29日
 いよいよ出発当日。きれいに晴れたいい天気だ。
 初めての海外ということもあり、少し早めに家を出る。出発便のおよそ2時間前に福岡空港国際線ターミナル到着。とにかくチェックインと思い、シンガポール航空のカウンターを探すが見つからない。案内図にも見あたらないので、インフォメーションへ。JALが代行していることを知る。さっそくJALカウンターに並び、前の人の行動をじっくり観察。といってもグランドホステスさんもまだ日本人なので問題ないだろう。いよいよ私の番になり前へ進む。
「こんにちわ!?」
なんとそのグランドホステスさんは、中学の時の同級生ではないか。単純な質問をするのが少し恥ずかしかったが、そのおかげで福岡からシンガポールまではかなり「広い席」を確保してもらう(もしかしたら、ビジネスクラスか何かだったのかも)。
 その後、ホストファミリー(私の両親と同じぐらいの年齢の夫婦)へのお土産を購入(日本グッズ+ピカチュウ人形)。それから出国手続きを済ませ、後は出発を待つだけに。ボーディングのアナウンスが流れ飛行機に乗り込む。前後左右に人の座っていない快適な席だ(友人に感謝)。そして12時50分、予定どうりに離陸。サヨナラ、日本。
 シンガポール航空には、1席に1台づつテレビがついている。ビデオやゲームが自由に楽しめるらしい。しかし使い方が分からない。前の人の真似をしようと思ったが、前の列には誰もいないことに気づく。格闘すること30分、なんとか操作をマスターしたところで今度は初めての機内食の時間となる。普通に食べればいいだけなのに、
「自分は間違った食べ方をしているのでは」
と妙にまわりが気になるが、無事に「ご馳走様でした。」その後は特に何事もなく、午後6時ごろにシンガポール空港に到着。乗り換えのためいったん飛行機を降りる。次の出発まで約2時間半、とりあえず搭乗口だけ確認しようと思い、乗り継ぎ分の搭乗券を見るとシンガポール航空で買ったはずなのに、ニュージーランド航空と書いてあるではないか。どうなっているのかよく分からなかったが、目的地は間違っていなかったのであまり気にはしないことに(後で分かったことだがその便はニュージーランド航空の機材で、シンガポール航空との共同運航であったようだ)。
 それから、インフォメーションへ行き搭乗口を聞いてみる。
「Excuse Me.Where should I go?(搭乗券を見せながら)」
初めての実践英語だ。英語を話している自分に違和感を感じ、ニヤケそうになる。とりあえず通じたらしく、「E2ゲート」と教えられる。
 空港内をウロウロしたりしている内に午後8時近くになり、E2ゲートへ。しかし、そこにはひとのけはいがない。おかしいと思ってモニターを見ると、どうやらE10に変更になっているようだ。急いでE10へ行くと手続中で一安心。機内へ入り自分の席へ。
「狭い!!」
この時初めて友人の言っていた「広い席」の意味を勘違いしていたのかもしれないことに気がついた。私は「広い席」とは、単に周りに人がいない席だと思い、シート幅は国際線だからあれぐらいは当たり前だと思っていた。しかし「広い席」とは、おそらくグレードアップした席だったのだ。とにかくその差は激しかった。しかも満席。先がおもいやられる。
 もう少しで出発というときに、隣の男(シンガポール人だろう)が何か話し掛けてきた。どうも
「自分の妻の席(通路)と私の席(窓)を替わってやってくれ」
といっているようだ。しかも新婚旅行らしい。少し考えたが、NOと言えない日本人になってしまった私は笑顔で「O.K」。だが結果的には通路に足は伸ばせるし、景色のいいところでは席を替わったりしてもらい成功だった。
 機内食の時間となり、前から順に配られてくる。ここにはもう日本人のスタッフはいない。スタッフは
「ソーセージ or チキン」
と質問しているように聞こえる。私の隣の人の番になりその人は明らかに「チキン」と答えた(と思う)。私も同じく「チキン」と答えた。しかし出てきたものはソーセージだった。隣を覗くとそこにはソーセージが!!結局、未だにあのスタッフがなんと言っていたのかは謎のままに。
 これは余談なのだがこの飛行機のスタッフの一人は、口笛を吹きながら食事を配ったりしていた(小さなカルチャーショック)。
 それからはかなり窮屈しながらも睡眠をとり、朝食の後、30日午前11時ついにクライストチャーチ国際空港に到着。荷物を受け取り、入国手続きへ。ほとんど何も聞かれずにあっさりと終了。そして感動の対面を想像しながら、ホストファミリーの待つ到着ロビーへ足を進める。


 11月30日
 到着ロビーにつくと、ネームプレートを持った人がたくさん並んでいる。それを一つ一つゆっくり見ながら進む。そして最後の人のプレートに!?私の名前ではない。もう一度見渡すが、やはり私の名前を持った人はいない。メールで到着の日時は何度も確認していたはずだった。「だまされたのか?」という思いが一瞬頭をよぎるが、とりあえず待ってみることに。ここでひとまず、家に無事到着のの連絡をいれる。
 見つけやすいようにテーピングテープに名前を書き、バックパックに貼り付けて待つ。その間15分ほどだろうか、一人のおじさんが近づいて来た。その手には「*** ****(私の名前)」と書かれたプレートが。お互いを確認し合い、がっちり握手(遅刻を謝罪される)。
 彼の名はジェフ。ジェフとともに駐車場へ向かう。思ったよりもずいぶん寒い。車に乗り込み、いざ牧場へ。車内では簡単な英語で自己紹介。何とか会話成立。少し走るとすぐに緑が広がる。そこには白い点が散らばっている。そう、羊である(感動)。
 空港から北へ走ること約30分、ランギオラという所に牧場はあった。家の中に入ると、すぐにおばさんがやって来た。ジェニーだ。挨拶を交わしお土産を渡す。
「Oh,ポォキモォーン」
さすがピカチュウ、ここでも有名なようだ。その後ジェニーに連れられ裏(牧場)へ。そこには羊の上にマウントポジションをとったおばちゃんが、何やら仕事をしている。近づくと羊のお尻の毛についた糞を切り取っているところだった。そして、切り取りながら
「Nice to meet you.」
これがグウィンダとのショッキングな出会いだった。グウィンダはここに手伝いに来ているということだが、ほとんどのことは彼女がやっているようだ。私の昼間の相手もほとんど彼女。それから昼食を食べ、他の動物達に挨拶まわり。ここには、犬、猫、羊、やぎ、牛、ポニー、とり、ウサギ、豚、アルパカ(ラマの一種)などたくさんの動物がいる。グウィンダは午後5時に帰宅。
 午後7時頃、部屋でくつろいでいるとジェフがやってきて夕食を買いに行くというので、ついて行くことに。7時だというのにまだまだ昼のような明るさだ(本当に暗くなったのは午後10時を過ぎてからだった)。行き先は、うわさに聞いていたフィッシュ&チップスの店だ。フライを2つも食べるとおなかいっぱいになる。ジェフは平気で3つ食べている。おなかを見て納得。
 午後11時を過ぎ、完全にあたりが暗くなったところで、星を見に行く。すばらしい星空だ。私の親戚の家(ある田舎です)の星空もすばらしいが、さらに上をいっている。ジェニーがやって来て、南十字星を教えてくれる(よく似た星座「偽十字?」がもう一つあり、その後の旅のときに、どっちがどっちか分からなくなるが、そんなことはどうでもいいぐらいきれいな星空だった)。ベンチに寝ころがり30分ほど自分の世界にひたっていたが、かなり冷え込んできたので部屋に帰り寝ることに。



 12月1日
 朝食は8時ごろと言われていたので、8時前に目覚まし時計をセットしていたがさすがに疲れていたのか、目が覚めたときには9時をまわっていた。一瞬、自分がどこにいるのか分からない。リビングに行くと、二人は一仕事終えた後なのかコーヒーを飲みながらくつろいでいた。寝坊した私を笑っている。「時差ぼけ」という言い訳ををして朝食を作ってもらう。そうするうちに、グウィンダ登場。食事を終えグウィンダと共に朝の仕事へ。
 まず豚達に餌を与えていく。グウィンダの一声でどこからともなく集まってきた。餌をまくと、ものすごい勢いで食べ始める。この様子を見ていると、豚の上下関係がよく分かる。次に子牛(生まれて1週間ぐらいで、出産時に母牛は死んだらしい)と子羊に哺乳壜でミルクをやる。これがまた最高にかわいい。それから鶏、アヒルに餌を配る。そして最後に羊の群の移動である。羊は年齢別に群れ分けされていて、それぞれ別々の地域に放されている。これを別の地域に移動させるのだが、なんせ数が多いうえ、広いので二人では無理。でシープドックの登場。私とグウィンダがバギーで後ろから追いかけ、犬(今日はロック。他にウーピー、タイク、ルークがいる。)が羊の横を走り、ゲートへと追い込んでいく。それを何度か繰り返し、終了。
 午後は、動物達の写真を撮って歩く。ウーピーとタイクはよくなつき、私についてまわる。子牛もよくなついたが、気を抜くと時々頭突きをしてくる。これが結構痛い。でもかわいい。
 夕食になり、ジェニーの手料理がテーブルに並ぶ。今日のメインは羊の肉だ。もしかしたらと聞いてみると、予想どうり自家製だった。そういえば、グウィンダは羊を追いかけるときに
「メインディッシュ!」
と呼んでいた。恐るべし。 



 12月2日
 今日は朝食に間に合うように起床。朝食を食べていると、ジェニーから
「今日は羊に薬(栄養ドリンクのような物)をやる仕事をしてくれ。」
と言われる。グウィンダと朝の仕事を済ませ(この日は羊の移動が少なく早めに終了)薬の時間に。まず、背中にタンクを背負う(そこからチューブが伸びて、その先に銃のようなものがついている。引き金を引くと薬が出る)。
 羊を細い通路に追い込む。ギュウギュウ詰めになったところで、一匹づつヘッドロックをかけ口に銃を突っ込み引き金を引く。羊の口は小さく、抵抗するので意外と難しい。とくに、角のある奴は危険。50匹ほどで終了。結構腕が疲れた。少し休んで、牛、ポニー、アルパカにも。
 午後はクラッチング(グウィンダとはじめて会ったときにやっていた仕事)の手伝い。羊を捕まえグウィンダのもとへ。この作業をする前日は、羊を草のない地域に放す。そうすることにより、作業中の脱糞を防ぐというはずなのに・・・。いろんな意味で、なかなかのハードワーク。夜はジェフ&ジェニーとクライストチャーチ近郊をドライブ。最後にニュージーランドの鳥「キウイ」が飼育されている場所へ。暗くてはっきりは見えないが、何羽かを見ることができた。意外とすばやい。



12月3日
ジェニーから
「電話よ!」
と起こされる。
「誰?」
と思いながら
「Hello」
と出ると、日本語で返事が来た。ファームステイを申し込んだ会社からだった。
「明日出発で間違いないですね。」
という嫌なことを思い出させる電話だった。そう今日が最後の一日だ。
 ジェフは朝から調子が悪いようで、結局寝込んでしまう。朝の日課を済ませてから、グウィンダにニュージーランドの見所をいろいろ教えてもらう。
 「北島を中心に」
というと、猛反対に会う。絶対に南島の方が面白いと熱弁している。ということで、今後の予定は南島に変更。午後はバギーの運転をさせてもらう。何回も羊を轢きそうになる。5時になりグウィンダ帰宅の時間に。ここでグウィンダに
「明日は来ないので、これでお別れ。」
ということを告げられる。心の準備ができていなかったため、かなりのショック。別れの挨拶をし、見送る。車が小さくなっていく。
See you,Gwenda.
 ジェフは寝込み、ジェニーは外出していて、独りぼっちになり悲しさが増す。景色を焼き付けるため、ウーピー、タイクと牧場を散歩。ウーピーが向こうで何かの匂いをかいでいるのか、戻ってこない。近寄ってみると、子羊が一匹倒れている。動かない。触ってみると、硬くなっていた。一時間ほど前にミルクを与えたうちの一匹だった。急いでジェフを起こしそのことを伝える。ジェフによると、もともと病気だったそうだ。
 最後の夕食はジェニーと二人きりとなった。その後この4日間のことを語り合い、就寝。このころには英語を口に出す違和感は完全になくなっていた(注:かといって、ペラペラになったわけではない)。



 12月4日
 ついにお別れの日が来てしまった。朝食の後、動物達にお別れの挨拶にまわる。なかでも犬、子牛、子羊との別れは、仲良くなっただけにつらいものがある。最後にジェフが糸紡ぎを実演してくれる。これが終わるといよいよ出発。12時を過ぎた頃に出発。車でクライストチャーチのビジターズインフォメーションセンターへ連れていってもらい、今晩の宿を決める。そして宿まで送ってもらったところで、いよいよお別れ。覚悟はしていたものの、やはり悲しいものは悲しい。ジェフと握手を交わし、ジェニーと抱き合う。別れの言葉を考えていたのに、悲しさのあまりにほとんど何も言えなかった。
 Tanks,Geoff & Jennie!!

 二人と別れ、いよいよ一人旅のスタート。まず荷物を置きに部屋へ。この宿は二段ベットの4つ並んだ部屋だ。一泊18$(1$=56円:この後も全部同じような宿)。緊張気味でドアを開けるが誰も居ない。ベットに荷物を置き、街中を散策。家に電話し、ファームステイ終了の報告。きれいな街並ではあるが、年をとってから楽しめそうな街だと感じ、明日はここを出ることに決定。残りの日数を考え、明日は一気に南に下ることに。クイーンズタウン行きのバスを予約(NZは、鉄道の代わりに長距離バスが発達している)。
 部屋に戻ると、カナダ人のおじいさんが一人居た。世界中を周っているそうだ(このおじいさんの英語は、この旅で一番聞き取りやすかった)。他のベッドにも荷物はあるが姿は見えず。明日は朝が早いので、11時前に就寝。



12月5日
 朝7時前に起床。まだみんな眠っているので、静かに荷物をまとめ部屋を出る。徒歩15分でバス乗り場に到着。10分ほど待つとバスが来た。結構小さい。景色を楽しみながらクイーンズタウンへ。特にテポカという所の湖は、絵に描いたように綺麗だった(翡翠色)。
 午後3時過ぎにクイーンズタウンに到着。宿を決め、荷物を置いて散策へ。それほど大きな街ではなく30分もあれば、中心街はひととおりまわれる。湖に近い側の建物は、ほとんど工事中。1ヶ月前に、街の3分に1が水浸しになる洪水があったそうだ。
 明日の予定を決めにインフォメーションへ。いろいろなアウトドアアクティビティーがあるが、適度にスリルのありそうな「ラフティング(ゴムボートでの川下り)」に決定。明後日のバスの予約も取り、部屋に戻る。部屋には3人のフィンランド人の学生がいた(男1女2)。
 まだ明るかったので、ゴンドラで展望台へ。街が一望できる。名前どうりに美しい街だ。




 12月6日
 久しぶりにゆっくり起床。昼過ぎに集合場所のお店へ。参加者(私を入れて8名)を乗せてワゴンで移動。20分ぐらいで到着、と思ったらここでウエットスーツに着替えてまたワゴンへ。さらに20分ほどでポイントへ到着(ショットオーバー川)。ここで4人づつに分かれてボートに乗り込む。ドキドキしながらスタート。危険に備えて動き方の練習をしながら進む。3つの激しいポイントがあるらしい。いよいよ1つ目、気合いを入れたがたいしたことなし。2つ目、いまいち。ついに3つ目、アレッ!?そのままゴール。谷底から見る景色はよかったが、スリルという面ではかなりの不満が残る。
 そこで思い切って、バンジージャンプに挑戦しようと決意する。しかし今日はすべて終了とのこと。明日は出発。あきらめて宿に戻る。今日は日本人の男性、デンマークの女性、老夫婦(話をしていないので国籍不明)と一緒。
 今後の予定を考えていると、
「バンジーをやりたい」
という気持ちが強くなる(高い所は嫌いなはずなのに)。他の場所でもできるがクイーンズタウンはバンジーのメッカ。せっかくならここでと思い、バスの予約を変更することに。ここでははじめての英語の電話だ。しかしバス会社のコンピューターがすでに終了されていたため、話がうまく進まない。ジェスチャーも使えない、なんと言っているか分からないところもたくさんある。結局、朝8時にもう1回電話をしてくれとのこと。




 12月7日
 朝8時、電話を借りに行くとフロントの女性がかわりに電話をしてくれる。変更O.Kということなので、その場でのう一泊することを告げる。
 インフォメーションに行くと一口にバンジーと言っても数が多いので迷ってしまう。とりあえず、一番高い橋か、世界で最初の橋にしぼる。ここで、
「高さは変更されるが、世界で最初は変わることがない。」
と理由をこじつけカワラウブリッジに決定(決してビビッた訳ではない。いや、本当に)。昼過ぎに店から車でカワラウブリッジへ。世界初のバンジージャンプということで、見学者だけでもかなりの人数だ。まず体重をはかり
「命の保証なし」
というような内容の紙に署名をさせられる。そして順番を待つ。みんな結構すんなりと飛んでいく。私の番が来た。
「体半分を水につけるか?」
と聞かれたのでお願いする。
 準備が整った。低いといっても43メートル。初心者には十分すぎる高さだ。平然を装いギャラリーに手を振るが笑顔が引きつる。そしてカウントダウン開始。
「5、4、3、2、1、バンジー!!」
ここで躊躇したら日本男児の恥になる。思い切って飛び込む。
「グウァーーーーーーーーッ」
なんとも言えない感じだ。残念ながら、水面直前でリバウンド。この時にはギャラリーを探す余裕があり、親指を立ててGOODサイン。ボートが迎えに来てくれる。さすがにスリル満点で癖になりそうだ。
 橋に戻ると、見学に来ていたシンガポールの団体に妙にヒーロー扱いされる。どうやら私の後に飛んだ彼らの代表が、足から飛び降りるという、へなちょこなジャンプを披露してしまったためらしい。
 宿に戻ると、さっき一緒にバンジーに参加したスイス人がいた(再会の握手)。



 12月8日
 朝8時のバスに乗り、氷河のある街フォックスへ。途中何もないところにバスが停車。運転手が何か言っているが聞き取れない。故障でもなさそうだ。5分ほど停まっていただろうか、前からもう一台バスが来て停まった。すると運転手が
「Good−bye」
と言い残して降りてしまった。そして前から来たバスの運転手が
「Hello」
運転手の入れ替えだった。
「これは良いシステムだ」
と少し感動。昼過ぎにフォックスに到着。
 昼過ぎにフォックスに到着。本当に小さな街だ。宿も選択の余地なし。荷物を置き、明日の氷河ウォークの申し込みを済ませる。そしてガイドブックによると
「ニュージーランド随一の景色」
といわれる、マセソン湖へ。少し距離があるので、自転車をレンタル。15分ほどで到着。ここからは徒歩になる。一周約1時間。曇っているうえに風があるせいか、それほどよい景色には・・・。(本当は、水面に景色が写って綺麗らしい)。
 夜になり、食事をと思うが店がほとんどない(今まで毎晩テイクアウトフードなど)。ここでついに料理を決意。といってもスパゲッティーなのだが、普段料理をしない私にとっては大変なこと。見よう見真似で何とかうまくできた。(この後、毎晩夕食はスパゲッティーとなる)
 暗くなってから、宿の近くにあると聞いた「土蛍」の生息地へ。蛍とは言うものの正体はワームらしい。小規模だとは聞いていたが、本当に小規模で20匹も見られなかった。




 12月9日
 この日は朝から、氷河ウォークに参加。店でブーツに履き替え、車に乗り込みフォックス氷河へ。5分で到着。氷河の登り口までは山道を30分ほど歩く。結構険しい。登り口に到着すると、アイゼンとスティックを渡される。
 インストラクターがピッケルで氷河を削りその後ろをついていく。氷河と氷河の隙間は、不思議な青色をしている。隙間に氷のかけらを落とすと、心地良い音が響く。最初の内は余裕だったが、途中から気を抜くと危険な場所もたくさんありスリルがあった。60歳ぐらいのおじいさん(オーストラリア人)も参加していたので、大丈夫かと心配だったが、慣れているようで私よりも足取りが軽いぐらいだった。氷河の上で食べる昼食は格別だった。
 宿に帰り今後の日程を考える。このまま南島をまわりたいが航空券の変更がきかないため、そろそろ北島へ行かなければ。ということで明日は一気にネルソンまで北上することに。

 


 12月10日
 朝9時、バスに乗り込む。海岸線を北上。景色は良いがさすがに疲れる。今日は1日中バスの中だ。午後7時過ぎ、ネルソンに到着。宿を見つけなければと思ったが、客引きが来ていたのでその中の一つに決める。宿につき部屋に入ると、またもやバンジーで一緒だったスイス人と再会。この旅では他にもこのような再会がちょこちょこあった。狭い国だと感じる。




 12月11日
 朝一番でバス会社に行き、ピクトン行きのチケットを購入。 同時にピクトン、ウエリントン間のフェリ−のチケットも購入。
 昼過ぎにピクトンに到着し、少し間をおいてフェリ−に乗り込む。  Bye bye, South Island.
 甲板で海を眺めていると雨が降り出したので、船内へ。 これからの予定を考える。 日数を考えると、オ−クランドを除けば後一か所が限界だろう。 いろいろ考えた結果、とりあえずウエリントンから出ている夜行列車でオ−クランドまで行く事にする。 ウエリントンに着くとうまい具合に駅までの無料バスが出ていた。 駅に着き列車のチケットを購入するが、午後8時の出発まで後3時間近くある。 駅の近くをぶらぶらしていると、ヘンな建物を発見。 国会議事堂だった。 この周辺は、ビルばかりであまり魅力を感じなかったうえに、雨が強くなってきたので駅にひき返す。 1時間以上ボッ−と出発を待つ。 
 列車はガラガラで、ゆっくり睡眠がとれそうだ。 しかし、同じ車両に乗り合わせた赤ちゃんがず−っと泣いていてなかなか眠れなかった。




 12月12日
 朝7時にオ−クランド到着。 この日はオ−クランドよりもさらに来たにある、海の町パイピアまで行こうと思いバス会社へ。 しかし、日曜日のせいだろうか「すべて満席」との返事。 仕方なく他によさそなところを探しに、インフォへ。 そこで他のバス会社でパイピア行きが空いているとこを知り、チケット購入。 少し時間があったので、アメリカズカップ予選の開かれているヨットハ−バ−を見学。 ニッポンチャレンジは海に出てしまっていて見ることはできなかったが、アメリカワン、ヤングアメリカ、プラダチャレンジなどテレビで見たことのある艇を見ることができた。
 バスに乗り4時間、パイピアに到着。 海の綺麗な街だが、結構寒く泳いでいる人はほとんどいない。 宿を決め明日の予定を考える。 「イルカと泳ぐ」というツア−にひかれるが、「イルカを見ることすらできないことが多い。」 ということを耳にし却下。 そこで、「フィッシングツア−」に参加することに。 しかし、少し天気が心配だ。 




 12月13日
 朝9時発のツア−だったが、あいにくの雨。 しかも土砂降り。 予想どうり中止の電話が。 10時過ぎに雨があがったので、お店へ行き午後のツア−に変更してもらう。 その足で、パイピア野北(徒歩20分)にある街ワイタンギへ。 そこでは、「先住民マオリ」の歴史を学ぶ。 パイピアに戻り午後3時、出発。天気も上々だ。 30分ほどでポイントに到着。 波が高く結構ゆれる。 仕掛けについての話を聞き(といっても針にイワシをつけただけの簡単なしかけ)スタ−ト。
 最初の一匹はなかなか釣れなかったが、その後はあっけないぐらい簡単に鯛(キャプテンはスナッパ−と言っていた)が釣れる。 日本では高級だがこっちはそうでもないようだ。 そうしているうちに、キャプテンの投げていた竿に大物がかかった。 それをみんなで交代で釣り上げる。 20分ほでかかってやっと姿をあらわす。 記念撮影を済ませリリ−ス。 5分ほど浮いたままだったが、無事に戻っていった。 それから10分ほどだろうか、喜びもつかの間、不覚にも私は船酔いで・・・。
 部屋に戻ると、自分がかなり魚臭いことに気づき、シャワ−を浴びる。 その夜は、同じ部屋のイタリア人女性がファイヤ−ダンスをするということで、みんな近くの広場へ。 かなり本格的だが、あくまでも趣味らしい。 その後、みんなで近くのバ−へ。 帰りに星を眺める。 明日はオ−クランド、おそらくこれが最後の星空だろう。



 12月14日
 朝9時のバスに乗り、オ−クランドへ出発。 昼過ぎに到着し、宿を探す。メインストリ−トのすぐ近くの宿に決定。 部屋に入ると、二人の日本人が泊まっていた。 と言うよりも住みついている(スゴイ量の荷物)。 オ−クランドはさすがに日本人が多い。 この宿だけでもかなりの日本人がいる。 
 家族、友達のお土産を買いに街へ。 ここで、ずっ−と家に電話していないことに気づき、無事の報告をしておく。 部屋に戻り、明日の出発に向けて荷物をまとめる。 バイト先へのお土産を買い忘れた(明日の空港で買おう)。 眠るのが惜しいが、何もすることがないので就寝。 こうしてニュ−ジ−ランド最後の夜が終了。


 12月15日16日
 ついに出発の日。飛行機の時間は午後3時過ぎ。最後の観光に選んだのは、マリオパフォーマンス。オークランド博物館で、11時から始まるそうだ。
 重い荷物を背負って歩く。博物館まで30分以上かかった。まだ時間があるので、館内を見学していると第二次世界大戦のコーナーがあり、日本のゼロセンが飾ってあり、戦死者の名前が壁に書かれている。思わぬ所で戦争について考える。
 そうしている内にパフォーマンスが始まるということなので、ホールへ。男性3人女性5人という小さなショーだが、そのパワーには圧倒される。
「日本人がラグビーで勝てないのも無理ない」
と感じる。
 ショーが終わりタクシーで空港へ。チップは基本的にいらないとガイドブックにあったので、ほんの少しのお釣りだけ渡すと、明らかにムッとしていた。
 カウンターに行くと行列ができていた。このままニュージーランドに残ろうと考えるが、泣く泣く並んでチックインを待つ。結局1時間待たされた。みんな5〜10分ぐらい時間がかかっていたので、何を聞かれるのか不安だったが私は1分ほどで終了。それから出国手続き。ここでも行列。15分ほど並んだ。その間に搭乗開始のアナウンスがあり焦る。まだバイト先へのお土産を買っていない。手続きが終わり急いでお土産屋へ。選ぶ暇もなく、目についた「羊型チョコレート」を2箱買い、急いで機内へ。
 名残惜しむ間もなく離陸。
Someday,I’ll be back!
 シンガポールに着いたのは午後8時過ぎ。次の出発は、深夜1時だ。5時間ひたすら待つ。眠っておこうとも思ったが、友人が
「シンガポール空港で寝ていたら荷物を盗まれた。」
と言っていたので起きておく。
 やっと機内へ。ガラガラだ。眠かったので、食事(夜食)はいらないことを告げ、眠る。この時は、座席3席を使い、快適に熟眠。目が覚めると外が明るくなりかけている。少しすると、雲の間から太陽が昇ってきた。すがすがしい朝だ。朝食はカレーのようなものだった。久しぶりに米を口にした。
 朝8時過ぎ、福岡の上空に着き見慣れた景色が広がる。
「ただいま福岡」
というよりは
「帰ってきてしまった」
という気持が強かった。手続きを済ませ、外に出るとかなり寒い。帰ってきたことを実感。寄り道もせずに家へ帰る。午前10時30分、帰宅。
「ただいま。」

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