大井川鉄道訪問記
第1回<1998年6月26・27日>
その1
掲載 1998年07月26日


 

元西武371系の大井川鉄道311系が1998年8月2日をもって引退…ということで、いままで一度訪問したいと思いつつ来れなかった大井川鉄道。ついにわたしの重い腰が遂に上がりました。(^ ^;ゞ

まずは初めての大鉄撮影旅行。1998年6月25日(木)深夜出発で、26・27日が撮影です。初めて行くのでナビ役が絶対必要と考えたわたしは、その手の道にくわしい友人のあずささんに同行をお願いしました。

これは1998年7月26日に掲載したものを、2000年5月のリニューアルにあわせ、写真を取り込みしなおしたり、体裁を手直ししたりしたものです。

 


 東京在住のわたしは6月25日の22時過ぎに出発し、東名高速を使って牧之原S.Aまで行き、時間調整を兼ねた仮眠をとろうと考えていました。しかし、この日はあいにくの大雨で、富士山付近では霧で見通しが極端に悪いこともあって、各所で事故が多発していました。そのうち清水付近で大きな事故があったらしく通行困難な状態になっていたので、手前の富士川S.Aで仮眠をとりました。26日(金)4時半頃S.Aを出発、相良牧之原ICで高速を降り金谷駅へむかいました。始発列車からタブレットを受け取る

 金谷駅は初電前だったためまだ開いておらず、新金谷駅へ行くことにしました。途中の7イレブンでおにぎりを買い新金谷駅で簡単な朝食。新金谷駅では6:05の初電が出発するところでした。雨は一向に止まず、ホームで留置してある客車等を簡単に撮影しました。

 朝食をとった後構外側線を見に行きました。ここには6月に廃車になった3800系がいました。ほかに朽ち果てた謎の車輛もいました。

→ 次に神尾駅へ向かいましたが、さらに雨足が激しくなり撮影どころではなくなってしまいました(7:05頃)。迎え狸を見た後に途中駅は諦めて家山駅まで行きましたが、雨足は衰えず今日は駄目だという諦めムードになってしまいました。しかし、千頭までは行ってみようととりあえず出発。
雨の神尾駅
1.雨の神尾駅で電車を待つ子供達
ボロボロの312F
2.大雨の中やってきた312F
← つぎに下泉駅へ行きました。ここは委託なのか窓口にはおばちゃんがいました。大雨で線路が水びだしになり枕木が見えないほどです。ちょうど312Fの金谷行きが来ましたがボロボロで、千頭方の511は尾燈が片方しかありませんでした(8:45頃)。
 下泉から先は下泉橋を通り一旦国道362へ出て、下泉〜田野口間にある中徳橋を渡り、非常に狭い県道77に入り田野口駅(9:05頃)・駿河徳山駅とまわりました。駿河徳山で一旦雨は止みましたが、またすぐに降り出しました(9:50頃)。

 ここから青部方面へ向かう県道はさらに狭い山道となり、わたしの腕じゃ軽自動車で来て大正解。崎平〜千頭間で国道362に合流し、少し戻って青部〜崎平間の第二橋梁へ。ここで千頭行き3008Fを撮影(10:10頃)。

→ そして崎平駅寄りの紫陽花の咲く地点で21001F急行金谷行きを撮(10:22頃)。

21001Fと紫陽花
3.崎平の紫陽花とズームカー
青部の紫陽花と312F
4.青部の紫陽花と312F
← そこから、第二橋梁脇の側道を通り中部電力川根変電所まで行き、青部の吊り橋を渡り青部駅へ歩いて行きました。ここでは千頭行き312Fを撮影(10:47頃)。

↓ その後は千頭駅へ。本命の311Fがホーム近くの側線にいましたが…ひどい!もう朽ち果てて廃車になっていると言ってもおかしくない状態。あまりのひどさにすっかり力が抜けてしまいました。

ボロボロの311F 千頭
5.千頭駅側線で眠る311F
ボロボロの311F 千頭
6.クハ511はボロボロ…
 とりあえず休憩しようということになり、千頭駅から県道77を寸又峡方面に3km程行き、橋を渡ってすぐ右折した脇道にある「白沢温泉もりのいずみ」に行きました。温泉につかり昼食(カレーとかラーメン程度しかない…)を食べたらどっと疲れが出て、ソファーでしばらく意識を失ってました。(^ ^;)>なにせ本格的な山道を運転したのは初めてでしたから、疲れちゃいました。山道に慣れているあずささんのナビがなかったら、もう全然駄目だったでしょうね。感謝。

 

その2へつづく…

 

 



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