大井川鉄道訪問記
第3回<1998年7月31〜8月2日>
その3
掲載 1998年08月23日


 

 

 3日目の8月2日は311F営業運転最終日。

 5:00に起きて川根町身成のサークルKで朝食を調達。朝食をとった後6:00千頭駅へむけ出発。千頭には6:25頃着き、3番ホームで静かに発車を待つ6:35発金谷行き6レの311Fを撮影。乗客は1人だけで、撮影している人もわたし以外何処にもいませんでした。

早朝の千頭駅で発車を待つ311F
16.早朝の千頭駅で発車を待つ311F
→ 6:33頃千頭駅を出て、千頭〜崎平間の第四橋梁に先回りし311Fを撮影(6:37頃)。

↓ また追いかけて、崎平〜青部間の第二橋梁付近で撮影(6:40頃)。

↓→ さらに下泉〜塩郷間の横郷付近で撮影(6:56頃)と、かなりハードに追いかけました。この先も行けないことも無かったのですが、やめておきました。

第四橋梁を渡る
17.第四橋梁を渡る
第二橋梁を渡る
18.第二橋梁を渡る
横郷付近の茶畑
19.横郷付近の茶畑と311F
 次に311Fが千頭行きで来るときは何処で撮るか考え、とりあえず第一橋梁へ。しかし既に場所取りの三脚が多数。千頭行き1001F(3レ7:34頃)と金谷行き21003F(8レ7:44頃)を撮影した後、家山川橋梁へ移動。ここで金谷行き16001F(10レ8:27頃)と千頭行き311F(7レ8:39頃)を撮影。本命の311Fは予定より1分早く来たため予定の構図で撮れず大失敗。橋梁脇にセットしたビデオカメラはよく撮れていました。
→ 折返し金谷行きの311Fの撮影場所は悩みましたが、時間が無くなってきてしまったので大和田駅付近で撮りました。はっきり言ってこのころには疲れがたまっていて、半分どうでもよくなっていました(^ ^;)>。ここで311F金谷行き(16レ10:22頃)他数列車を撮影。汗だくになったので、大鉄ゲートボール場の水道で頭を洗いリフレッシュ。あとは311F最終運用の19レに乗車するのみ。
大和田付近にて
20.大和田付近にて
312系の4連
21.312系の4連 新金谷
 新金谷の駐車場に車を停め、新金谷12:20発311F金谷行き84レに乗車。折返しの金谷12:30発千頭行き19レは311F最終運用とあって、ファンがたくさん乗車していました。

← 新金谷では313F+312Fという、同系列同士の4連が側線に待機していました。

 また、新金谷でお別れセレモニーが簡単にあり、ハーモニカの蛍の光に送られて新金谷を出発。地元の乗客は「あぁこの電車引退なんだ」程度にしか感じていないようでしたが…。あとはラストランをじっくり堪能しておりました。

 駿河徳山でSLアンパンマン号と交換しました。このとき車内を歩いて移動中オフ会で乗車していたVIVA大鉄!の杉岡さんを発見。声をかけたところ杉岡さんのご好意で、千頭に着いてからオフ会参加の皆さんに紹介してもらえました。

 千頭では311Fが着いた4番ホームには改札口寄りに21001F急行金谷行きが停車しており、連結して311Fは新金谷へ回送かと思わせましたが、311Fは千頭の側線に入ってしました。

 帰りは14:28分発急行金谷行きにオフ会の皆さんと乗車し、いろいろお話を聞くことが出来ました。

千頭に到着した311F最終列車
22.千頭に到着した311F最終列車
 さて、新金谷に15:20に着いて皆さんと別れたわけですが、それからPLAZA LOCOでお土産を買って帰り支度をして新金谷をあとにしたのが16:30。日曜日の帰りなのである程度渋滞は覚悟していましたが、相良牧之原I.Cから東名高速に入った途端、海老名付近で事故渋滞30kmとの情報が…。5分も走らないうちに牧之原S.Aに入り飲み物を調達。走りはじめるとすぐに強力な睡魔が襲いかかり、一つ一つP.Aに入り休憩をしたが睡魔は消えず、ついに日本平P.Aではベンチに座った後1時間半記憶が途絶えていました。これで睡魔はかなり消えたので、富士川S.Aまで行き夕食。この頃には事故渋滞は25km程になっていたが、いざ渋滞に入ると動いたり止まったりの繰り返し。そんなこんなで東京の自宅に着いたのは日が変わって3日の1:30頃になっていました。いや〜疲れた疲れた。(^ ^;ゞ
 ご協力いただいた皆様ありがとうございました。また撮影にいくときはよろしくお願いいたします。

 

第3回大井川訪問記

おしまい

 

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