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リメンバー・ミー

歴史の断絶

一見するとこの映画は単なる青春メロドラマに見える。無線を使って過去と交信するという設定もアメリカ映画『オーロラの彼方へ』と全く同じ。インターネット全盛の時代に無線とはさすがにリアリティが無い。また韓国では同時期に封切られた岩井俊二監督の『Love Letter』と比べられることが多いらしいが、画面の処理・雰囲気の繊細さ共にこちらが劣後することは否めない。しかしそれでもこの映画があるリアリティと観客の感情移入を保ちえるのは、それだけ韓国の20年間という時の断絶が日本のそれより大きいからであろう。(舞台は1979年と2000年の二つの時間にまたがっている)その断絶が深ければ深いほど、原題『同感』の言葉に象徴される男と女の魂の交感は意味をなすものであるからだ。

この映画のベースをキム・ジョンオン監督は、小さい頃たった一人で家にいて部屋にあった古い電話を見て「誰かと話せたらいいな」と思ったことがあったから、と説明している。いつの時代にも愛から生まれる内面の感情は変わらないという「愛の普遍性」を描きたかったのだという。そんな普遍性を再確認したいと思うほど、かの国の歴史の断絶は大きいのだ。

1979年のソウルは激動の時代にあった。16年間ほぼ独裁を続けてきた朴大統領が側近に射殺され、全少将によるクーデターによって金大中政権が誕生した頃だ。その金大中政権も学生デモの高まりと軍事弾圧(光州事件)の最中に倒れ、結局全大統領の強権による統制が強まる。韓国の2000年と1979年の間には「不自由な時代」が横たわっているのだ。

この映画が過去のシーンの舞台を1979年という年に設定したのはけっしてあいまいな理由からではないだろう。恋愛映画に男女の仲を引き裂く障害は必需品である。その障害は大きければ大きいほど良い。ただし、それにはその障害に確固たるリアリティがなければいけない。日本の1979年にはなんのメルクマールも発見できないであろう。しかし韓国の1979年には意味がある。その時代の温度差が物語を生んでいるのだ。



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