ガラガラの甲州街道をバイクで新宿に向かう。意外と初夏の風が突き刺すように冷たい。
2002年4月29日。午前9時30分。
やたら貧相なバスが安田生命ビル前に停まっていた。
(魚住昭氏、古木杜恵氏らは家族連れで参加)
「え〜っ、サロン付き、大型バスじゃないの? 麻雀やカラオケセットやかわゆいバスガイドもいないでないの? 俺、帰ろうかな〜っ」と事務局の連中に文句を言うが誰も聞いてはくれない。
「そうだ、これは子どもの遠足ではないのだ! 無人の福田康夫事務所を連休中占拠するのだ! そしてこの闘争の最後の局面ではこのバスは横倒しになって高崎駅前で炎上させる方針か!」と思ったら、この貧バスが急に愛おしくなった。
だが「実力闘争」にしては子どもを連れた家族ずれが多いぞ。
55人乗りバスは45人が乗り込みほぼ満席。
バスは渋滞もなく、上州は國定忠治の故郷赤城山がそびえたつ高崎駅に到着。斉藤貴男氏、田島泰彦教授ら電車遠征組10名と合流。
(今回は特別ゲストで福田赳夫氏の顔写真も登場!)
午後1時駅前集会が始まる。そこに突然「右翼街宣車」がボリユーム一杯の軍歌を鳴らしながら2台やって来た。
「すわ〜、ここで右翼が集会破壊に来たらどう対応するのか」と緊張して、宮崎学に電話しようか? 私の知っている右翼の親分に電話しようか迷いながら、隣にいるモスグリーンのジャンバーを着た「公安」氏に聞いてみた。
「今日は天皇誕生日、右翼から街宣申請が出ていて、彼らはターミナルを一周回って帰りますから、挑発しないでください」とのこと。デモ申請をした新聞労連委員長の畑さんは「とにかく混乱は避けてください。当日は連休中でもあり、もし、乱闘が起こっても中に入って止められる警官の人数がいません」と言われたそうだ(笑)。
(帰ってきた言論パフォーマンス隊、高崎でも評判!)
東京組は約60名。地元新聞労連、市民合わせてデモの隊列は130名、報道各社30名・・・赤旗も来てる! これは私が結構正確に数えた。
これは群馬県としては画期的な事だそうだ。明日行われるメーデーでも300人規模が最大で、100人以上の抗議デモは誠に珍しいそうだ。
(福田康夫事務所前にて抗議文を読み上げる吉田。)
※ご心配なく事前に許可取ってあります※
福田康夫氏宛の抗議文 全文
やばい!来客が来た。 又夜でも書きます。……そうか。もういいとな?(笑)
続きは又……それにしても帰りのバスの中は面白かった。温泉も実にいい湯だったしビールも旨かった。
(高崎駅からバス10分の錦山荘。入浴料750円(貸しタオル付き))
やはり、酒の飲めない吉田司が酔っぱらうと、無茶面白い。吉田は『懐かしの明治・大正・昭和歌謡』という歌本を2冊も持参して来ていて、自ら司会をつとめ車内は大歌合戦と相成った。
帰りの4時間もの渋滞にはちーっとも苦にならなかった。バスの運転手さんは何か切れていて、赤信号でも突っ込むのには参った。
6時高崎出発、10時新宿到着。 全員無事解散。
次は「悪役の巣窟を断て!」シリーズ「渡り鳥、故郷に帰る」神奈川県警に正義の鉄槌を!「共同アピールの会・怒りの鉄拳」……じゃなかった(笑)「個人〜」の横須賀編の制作に取りかかろうや。
文責・平野 悠/MLOFT PROJECT代表
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