[とある少年の悲劇に対する考察]
                               阿修羅王

 第三章 [葛城家にて]

 さて、制服をまだ着替えてもいないアスカは、まだ激しくミサトに激しく食って掛
かっていた。ミサトはのんきに笑いながら、それをさばいている。
「だってぇ、シンちゃんがあんまり可愛いんですもの!」
「可愛かったら、中学生に、そんな格好で抱きついて寝てて良いってぇの!?」
「シンちゃんは、もう家族同然ですもの。親愛の情が高じてのことよぉ。」
「ハッ!日本じゃ、ズボンの中に手を入れるのが、親愛の情の表現ってわけぇ!?」
 実際のところ危うくシンジ少年は、下着の中にまで手の侵入を許す寸前であった。
「えへへ、あたし、寝てたから全然覚えてないのよぉ、ゴメンね!」
「誤魔化さないでよ!!」
 おろおろする、エプロン姿のシンジ少年は、勇敢にも…あるいは無謀にも…二人の
間に割って入ると、なんとか事態を収拾しようとした。
「ま、待ってよアスカ!ミサトさんは、この頃ずっと徹夜続きだったんだから…少し
ぐらい寝ぼけてても、しょうがないよ!」
 アスカは無言のままにシンジの襟元をぐっとつかむと、前髪が触れるほどに顔を引
き寄せた。この構図も、考えてみれば少々危険ではあるが。
「アンタ…ミサトの胸に顔うずめてたわよね…」
「っ!!」
「ま・さ・か、アンタから抱きついてたんじゃないでしょうね…!」
「そ、そんなはずないだろ!?」
 その時、シンジの後に忍び寄っていたミサトが、シンジの耳元に囁いた。
「シンちゃーん、[膨張]したからって、恥ずかしがることないわよぉ。そういうこ
とに興味たっぷりの年頃なんだしぃ…」
 シンジの顔から、音を立てて血の気が引いていった。当然、ミサトの囁きはアスカ
の耳にも入っている。
〔み、ミサトさぁああん!!〕
 シンジ少年は、この瞬間、ミサトを呪い、神を呪った。
 アスカが、奇妙にゆっくりとした動作で、シンジの襟を離した。不意に解放され、
バランスをくずしてたたらを踏む。
〔や、やばい!〕
 シンジ少年の脳裏に、激発したアスカが暴風のように荒れ狂う姿が閃いた。
〔この状況だと、力尽きるまで一時間以上、暴れ続けるんだろうなぁ…〕
〔あとかたづけにどれぐらいかかるかな…〕
〔…その前に、僕が片付けることができる身体だといいなあ…〕
〔…こういうときは、ネルフのガードの人でも無駄だろうし…もう駄目かも…〕
 救急病院の電話番号まで思い浮べたところで、シンジ少年は、いつものアスカの一
撃が襲ってこないことに気付いて、ふと顔を上げた。
 いつもなら、ここで骨法の掌打の一つである[曲がり]によく似た、脳に響くよう
な平手打ちが往復で来ているはずなのである。
 アスカは、俯いたまま、両手を腰のところに握って、立ち尽くしていた。
「…によ…」
 アスカの、震えたような小さな声。
 シンジは、怪訝そうな表情で、用心しつつアスカに一歩近付いた。
「なによ、人の気も知らないで!!」
 顔を上げて叫んだアスカの眼に、薄く涙が浮いていたのである。シンジは、あまり
の衝撃に、その場に硬直した。しかし…それが、シンジ少年の命取りになった。
 風が唸った。
 踵を軸に、内側にひねった足首から膝、腰、肩、肘、そして手首と、うねりの力を
十分に効かせた掌打、[横]が、シンジ少年の顎を、包み込むように真横から捕らえ
ていた。
 パン、などというなまやさしい音ではなく、
 バッシィインッ!!
 という打撃音が部屋に響き、不幸なシンジ少年は、一撃で脳震盪を起こしてKOさ
れ、棒のようにカーペットに倒んでしまった。
「バカァッ!シンジも、ミサトも…みんな、だいっ嫌い!!」
 とどめとばかりに、シンジ少年の脇腹に突き蹴りを一つ入れると、アスカは素早く
身を翻して、自分の部屋にかけ戻って行ってしまった。
「あーら…ちょーっち、からかいすぎちゃったわねぇ…」
 あまりの早業に、止めることもできなかったミサトは、手に持っていたエビチュを
飲み干すと、冷汗を拭いつつ、もはやピクリとも動かないシンジの傍に寄って、軍隊
生活で身につけた応急処置をてきぱきと施しはじめた。
〔まぁいったわねぇ…あそこまで怒るとは思わなかったわぁ。〕
 シンジは、打撃で意識を頭の外に吹き飛ばされたようで、呼吸も脈もあまり乱れは
ないし、嘔吐する様子もない。しばらく安静にしていれば、意識を取り戻すだろう。
〔困ったわね。あれじゃ、なかなか機嫌なおしてくれそうにないわぁ。
 …下手すりゃ、ちょっと前のシンちゃんみたいに、家出しちゃうかも…〕
 突き蹴りの方は、重要な内臓も肋骨も避けて入れてあった。こういうところは、逆
上しても冷静である。
〔…シンちゃんが眼を覚ましたら、シンちゃんに頼んでみるしかないか…〕
 いく種類かの処置を終えると、ミサトはため息を吐いて、ビーフジャーキーの包装
を破くのであった。
 寝かされたシンジの額を、ペンペンが、不審そうにコツコツと口でつついていた。

〔なによなによ!ミサトったら、加持さんだけじゃなく、バカシンジにまで、ちょっ
かいかけて…!!〕
〔バカシンジも!アタシの気も知らないで、へらへらしちゃってさ。いくらグラマー
で美人だって言ったって、15才も年上の女にたぶらかされて!〕
 時間が経つにしたがって、だんだんと、怒りの代わりに悲しさがこみあげてきた。
 ベッドに倒れこんだアスカは、枕に顔を埋めて、ため息を吐いた。
〔アタシ、なにやってるんだろ…〕
 直線的な自分の気持ちだけが、空回りしているようで、悲しくなってきた。
〔バカシンジは、鈍感なことじゃ、人後に落ちないもんね…でも、少しぐらい…〕
 うっかり、涙がにじみそうになって、アスカはあわてて眼をこすった。幼いころか
ら、絶対に泣かないと、ずっと決めていたのだ。
〔………〕
〔…シンジにも、すこしやりすぎたかな…どうせ、酔い潰れてたところを、ミサトに
抱きつかれただけなんだろうけど…〕
 いくら、綾波レイに出鼻を挫かれ、自分のせいではあるが延長されたテストに疲労
し、リツコにたっぷり小言を言われた上に、ミサトにあんな事をされたといっても…
〔蹴りまで入れたのは、行きすぎだったかも…〕
 シンジは、別に自分を無視しようとしたわけでもない。桁外れに鈍感なだけだ。
 もともと、アスカは気性は激しいが、陰険な性格ではない。だんだんと、シンジに
すまないという気持ちが、胸に生まれてきた。
 ただ、謝るなどということは、絶対にできない。自分のプライド、というよりは、
少女とはいえ、女性としてのプライドが許さない。これだけは、譲れなかった。
〔…謝ってきたら、許してやろうかな…〕
 日は落ちて、すでに周囲は薄闇に沈んでいる。電灯も付けないまま、アスカはベッ
ドに横たわっていたが、テストの疲れに、いつしか、静かに眠ってしまっていた。

「と、いうわけなの。アスカが怒るのも、少しだけでいいから、わかってあげて。」
「そ…そうなんです…か…」
 15分ほどのち、意識の戻ったシンジに、ミサトは細部ははしょって、大まかに事
情を説明した。シンジが気絶しているあいだに、本部から例の事件のデータは全部受
け取っていた。当然、シンジたちのやりとりも、画像・音声両方で確認してある。
 といっても、アスカが怒った原因だけは、[好意]から[善意]に巧みにすり替え
てはいたが。流石に、プライドの高いアスカのことである。そのままでは、シンジの
謝罪も素直には受け入れないだろうとの、ミサトの配慮である。
 巻き込まれたうえに一方的に激怒を浴び、痛烈な打撃まで受けたにも関わらず、苦
労人であるシンジ少年は、アスカにすまないという気持ちでいっぱいになっていた。
「アスカ、僕に勉強を教えてくれるつもりだったんですね…なのに、僕はそれを無視
するようなことばかりして…」
 挙げ句の果てには酔い潰れて、ミサトに抱きつかれて熟睡とは…シンジは、ただで
さえ細い肩をちぢめるようにして、俯いていた。
 プライドの高いアスカが、自分に教えてくれようとしたことは、シンジにとっては
驚くに不足のないことである。もっとも、アスカはアスカなりの打算があってやった
ことだが…その辺は、知らぬが花である。
「そう。シンジくん、殴られまでして、腹もたつでしょうけど…ここは曲げて、アス
カに謝ってくれないかしら?
 …たぶん、シンジくん以外、受け入れてくれないでしょうから…」
 表情を引き締めて、毅然とした上司の口調で、ミサトはシンジにそう頼んだ。テー
ブルの下でビーフジャーキーを取り出してなければ、かなり凛凛しい姿である。
 シンジにとっては、頼まれるまでもないことである。
「ええ。すぐに、謝ってきます!」
「ゴメンね、シンちゃん…このうめあわせはするからさ。」
 気楽な同居人の顔に戻って、いそいで立ち上がったシンジの背中にビーフジャーキ
ーを振る。厄介事をシンジに押しつけることに成功したミサトは、上機嫌で14本目
のエビチュのプルを開けるのであった。

 シンジ少年は、日本語とドイツ語で大きく書かれた貼り紙のある部屋の前で、大きく一
つ、深呼吸をしていた。内気な少年であるシンジは、当然、ひどく緊張していた。
〔下手に遠回りな言い方をしたら、かえってアスカ、怒るだろうし…〕
 流石に現同居人、そこらへんの呼吸はだんだん掴めてきたようである。
 開き、そして握る、ということを繰り返していた手を、ぐっ、と握り締める。
 あげた手が、ためらうように宙に止まり、そして、そっと扉をノックした。
 少し間を開けて、もう一度。
「…アスカ…」
                              四章に続く

 どうも、阿修羅王ッス。
 ようやく、LASらしくなってきたかな、と一息ついてます。〔油断するな〕
 5作品ぐらい同時進行で打ってますので、遅くなるかも知れませんが。
 とりあえず、原稿のほうは5章まで用意してあります。貯金がなくならないように
 頑張りますッス。

 お暇があれば、私のホームページにも遊びにきてくださいな。
 http://www2s.biglobe.ne.jp/~ashuraou/