[とある少年の悲劇に対しての考察]
第十一章 火蓋は落ちて
およそ午後11時、ネルフ本部、司令執務室。
シンジ少年が、夢のない眠りに招待されたのとほぼ同時間に、ここでも、少々、
不穏な動きがあった。
「レイ…」
「…はい。」
照明の押さえられた、しかもわずかに毒々しさを感じさせるような赤の色彩がほ
とんどを占めている、殺風景な部屋で、40歳ほどの、長身の男が一人の少女と向
き合っていた。
サングラスに髭、はっきりいって悪相である。外見だけではなく、中身はそれに
輪を駆けて物凄いと評判のネルフ総司令、碇ゲンドウ。
向かい合っているのは、天使とみまごうばかりの美貌に陶器の彫像を思わせる、
無表情の仮面をかぶった制服姿の少女、綾波レイ。
ゲンドウは外見に表れないだけで、決死の覚悟でレイと対談していたのである。
「…お前が、シンジと同居したいと誓願した件だが…種々、さまざまな理由から、
現段階では極めて困難だ…」
ゲンドウは、現在まで裏稼業で培った威圧感を全力稼働して、そう言った。
「…そうですか…」
「…………」
レイの無言の威圧に、必死に耐えるゲンドウ。
「…司令は、その程度のことならば、簡単に処理できるだけの権限を持っていると
思っていたのですが…」
[一人目]を思わせる、酷薄な口調でつぶやくレイ。
「…………」
「情報操作…特に、隠蔽、捏造は得意だったのでは…?」
一語ごとに、凄まじい威圧が全身に吹き付けてくる。武道の高段者と一対一で向
き合ったときと、よく似ていた。なんか、レイの背後にオレンジ色の多角形が見え
隠れしてるような気がする。
この頃、レイは、かつて[機械]と言われた事が嘘のような[意志]を漲らせる
ことがごくたまにあるようになっていた。9割以上が、シンジがらみである。
ことに、ゲンドウが息子に[かなり非道い扱い]をしていたことが理解できるよ
うになってからは、ゲンドウに対する視線が、時折氷点下まで下がることが多い。
〔…ま、まさか、現段階でレイがATフィールドを使えるなどとということは…〕
髭を伝う冷汗を拭うこともなく、ゲンドウは、わずかに震える声を絞り出した。
「…だが、レイ。その代わりといってはなんだが、お前に渡せるものがある。」
「なに?」
ゲンドウが机の一部に触れると、音もなく床が開き、幾種類かの、記録物が乗っ
た台が、静かにせりあがってきた。
「…お前が。サードチルドレンに強い興味を抱いているのは分かった。そこでだ、
現在手元にある、サードに関する記録を、お前に渡そう…不要ではないはずだ。」
レイが、無言のまま、台に近付く。そこには、ミニアルバムが10冊ほどに、M
Oディスクが数枚、それに旧型の8ミリやVHSにまじって、DVDがいくつか置
いてあった。とりあえず、アルバムの一枚を開く。
「……!」
レイの深紅の目が、わずかに見開かれた。そこには、自分によく似た、穏やかな
表情の女性…碇ユイに抱かれた、二、三歳ほどの、抱き締めたくなるほど愛くるし
い幼児…シンジの写真があったのである。震える手で、タイトルを確かめると…
「碇シンジ・成長のメモリアル」
とあった。
どうでもいいが、ユイに関する記録は全部抹消したんじゃなかったのか、親父。
一瞬を置かず、鋭く他のものをサーチする視線が見付けた題名は、一つとして彼
女の心臓に触れないものはなかった。
[日常のシンジくん][シンジ・その幼年時代][突撃・シンジの入浴]その他…
レイの反応に、ゲンドウはやや勢いを取り戻して言った。
「…現在のシンジはともかく、過去のシンジの記録は、他では絶対に手には入るま
い…貴重品なのだ。レイ、今のところは、これで引いてくれ。」
父親らしいことは何一つしてないくせに、切札は[父親]であることか。
アルバムを両手で握っていたレイは、微かに震える手を押さえて、呟いていた。
「私の知らない碇君…学校では、見ることのできない碇君…そして…
葛城三佐や、セカンドチルドレンも知らない碇君…」
そして、レイは、わずかに、頷いた。
密かに全身で、安堵のため息をつくゲンドウ。が。
氷雪のような声が、それを断ち切った。
「…でも…葛城三佐とセカンドチルドレンに、いままで、この、日常の碇君を独占
させてたのね…私にも、その機会を作ることはできたはずなのに…
私も、碇君と生活できたかもしれないのに…」
瞬間的にほとばしった鬼気に、床に固定式の椅子ごと後ずさるゲンドウ。
「…そう、そして、碇君の過去は、独り占めしていたのね、あなたが…」
心臓麻痺まで、あと数秒というところで、ふっとそれが消えた。
「モニターと、再生機器…」
「…ん?」
「必要だから…」
言われてゲンドウは、やっと気が付いた。レイの部屋には、そういったたぐいの
物は無い。ゲンドウはネルフ職員にすぐに指示を出して、全種類の再生機器と連動
したノートパソコンを用意させた。レイにとっては、扱うのは難しくないはずだ。
日本の技術の集大成である最新の液晶モニターなら、文句も出ないだろう。
ゲンドウの手配で、ガードの車に乗り込むレイ。執務室のなかでは、なんとか義
務をはたしたゲンドウが、とっておきのワインをあけて一人で怪しく踊っていた。
セカンドインパクトをも乗り越えた記録の数々を手放したのは惜しいが、ネガは
手元にあるし、これからの[報酬]は、期待するに十分なものだった。
車の中でレイは、アルバムをそっと撫でて、少し頬を赤らめていた。あそこで司
令をショック死させるのは簡単だったが、そんな手間と時間さえも惜しかった。
早く自分の部屋に帰って、〔自分の知らない碇君〕を見つめたい。
[着替え&入浴&処理中のシンジ]と書かれたDVDを抱き締めて、そっとレイ
は熱いため息をついた。
左耳の後に着けていた受信機が、微かな音声を発する。
「始まったか…」
闇の中でわずかに光っていた、赤い光が消えた。男がくゆらせていた煙草を壁に
押しつけて消し、ポケットにしまいこんだのだ。
長身の、長髪を束ねた、彫りの深い顔だちの男…加持リョウジである。
彼は、大型の猫科の動物のような、しなやかな歩調で、静かに歩きだした。目的
地はかつて彼の恋人だった女性の住居…コンフォート17、葛城邸。
〔アスカの覚醒と解放…ゼーレが黙っちゃいませんな…〕
胸中に呟きつつ、信じがたいほどの速度と正確さで、彼は闇の中を進んでいた。
〔…んっ……〕
碇シンジ少年は、闇に沈んでいた意識が、ゆっくりと戻ってくるのを自覚した。
〔…あれ…もう、朝…かな…〕
気を失う前後の記憶があいまいになっているシンジは、ぼんやりと考えた。朝。
朝なら、朝の仕事がある。朝食の支度とお弁当、寝起きの悪いミサトを起こして、
アスカに声をかけて…
そこで、ぼんやりしていた意識が、次第にはっきりしてくる。軽く閉じていた目
をうっすらと開けると、辺りは薄暗かった。
〔朝じゃない…?〕
肘をついて、ゆっくりと身を起こす。
と思ったが、手足に力が入らなかった。
「えっ!?」
その外の場所…胴体や顔は、自由に動かせるらしい。
シンジは、一気に目が覚めて、辺りを見回した。
〔アスカの部屋?〕
数時間前に、謝りに訪れた、同居している少女の部屋。さっきよりは少し明るい
が、それでも照明はかなり絞ってあるらしい。AM0:13という時計の文字が、
青く浮き上がっている。
アスカのベッドに寝かされているようだ。薄手の毛布も丁寧にかけてあった。
〔い、いけない!〕
シンジが本能的に考えたのは、アスカ嬢の報復であった。この辺りはもう遺伝子
レベルで染み付いているといっていい。
部屋に入っただけで平手が飛んでくるのにアスカ専用であるベッドに入り込んで
しまった…明日の太陽が拝める確率は、初期のエヴァの起動指数より低いだろう。
〔で…でも…どうして?それに、誰がこんなことを!?〕
今日一日は混乱しっぱなしのシンジ少年、まさかアスカの自主的行動だとは気付
くはずもなく、また一生懸命考え込む。
カシャン、キィッ…
静かな音に続いて、部屋が一瞬明るくなり、またすぐに暗くなる。
誰かが入ってきた、と気付くのに、一瞬、時間がかかった。
〔…アスカ…?〕
「気が付いたみたいね、バカシンジ…」
予想していた怒声でも悲鳴でもなく、笑いをこらえているような声が、ドアの辺
りから届いた。そちらを見ようと顔を起こそうとしたシンジのそばに、普段着…タ
ンクトップに、ショートパンツといったアスカが、ゆっくりと近付いてきた。
湯上がりらしく、きめの細かな肌は一層艶を増し、濡れた髪を大きなバスタオル
で丁寧にふいている。
「あ…アスカ!?こ、これは…」
「うふうふうふうふ…」
シンジ少年が目にしたこともない、非常に怪しげな表情で、アスカは、シンジの
そばのベッドに、すとんと腰掛けた。
〔なに、なんなの?〕
ここ半年で、不吉な予感の的中率が跳ね上がったシンジ少年であるが、またして
も最大級のアラームが、彼の中で鳴り響いていた。
「シンジ、じゃ、さっそく、アタシの言うことを聞いてもらうからね
」
十二章へ続く
ども、阿修羅王ッス。十一章を送りいたします。
ようやく、実行フェイズかという感じです。どーも、細かいところを書きすぎた
かな、と反省しておりますッス。
メールを下さった皆様、作者は踊って喜んでおります!リゲインより効きます。
なお、引き続き、ご意見・ご感想・リクエスト・叱咤激励は、
ashuraou@mtf.biglobe.ne.jpまでどうぞ。お待ちしております!!
では、次章[オペレーション・サンダーボルト]でお会いいたしましょう。
いよいよ佳境に入ってきた阿修羅王さんの「とある少年〜」九〜十一章公開です。
ついにシンジはアスカのベッドの中に、あたかもとらわれの美姫のごとく横たえられて…。
ああ、シンちゃんも14年間守ってきたものを遂に、遂に、散らされちゃうんでしょうか?
早くつづきが読みた〜い(笑)
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