[とある少年の悲劇に対しての考察]

 終章 [そして、とある少年の悲劇に対する考察]

「きゃあああああっ!?」
「うわあああっ!!」
 絶叫する二人。が、その声すら、自分の耳には届かなかったろう。
 閃光、爆発、轟音。銃火、悲鳴、また閃光!
 そして、二人の意識は、そこで途切れた。

〔いかん!?〕
 加持リョウジは、第一級のエージェントとしての本能が打ち鳴らした警鐘に素早
く反応した。その瞬間に、既に身体は行動している。
「撤退!」
 一言鋭く、小さく叫ぶと、身を翻す。そのままなんと、ベランダの外に身を投げ
だした。次の瞬間、あらかじめ、隣接するビル[階数が少ないため、屋上の高さも
低かった]屋上へと張ったレールの無音滑車のグリップを握り、反動を付けて一気
に滑りだす。すばらしい速さでビルとビルの間に張られたレールを滑りきり、軽く
曲げた膝で隣のビルの壁に足を付いて、衝撃を緩和させると、屋上に降り立った。
〔ここまで…だな。じゃ、シンジくん、すまん…達者でな。〕
 レンジャー結びになっていたレールを解いて素早く回収し、屋上の中心にあった
灰色の保護シートを手早くはぎ取る。
 垂直離着陸戦闘機…VTOL機と呼ばれる小型機が、その下に隠されていた。中
で待機していたパイロットに手を振って、後部座席に乗り込む。
 そして、しばらく後、その機は、第三新東京市の夜空に舞い上がった。

〔さて、これをどうしたものかな…〕
 愛用の小型メモ帳を取り出して顎を撫でる加持。しばらくして、ぽんと手を打っ
て一つ頷いた。
 後に、それは日本国内閣情報調査室に提出されたのみならず、ゼーレ・ネルフに
彼自身が消されかけた時に、交換条件の材料となり、彼の命を救うこととなる。
 臨場感たっぷり〔その場で見てたんだから当たり前である〕微に入り細を穿つ、
彼のメモ…のちに「とある少年の悲劇に対する考察」と題されることになるそれは
ネルフ上層や委員会間で大盛況を呼び、闇値で激しく取引されたそうである。
 加持曰く〔俺は、俺のなかの真実に近付きたかっただけなんだ〕

 さて、しかしその瞬間、ミサト邸、アスカの寝室で何が起こったのか。
 こたえは単純にして明快、[観察者]たちがついに[制止]に入ったのである。
〔後に後方の上官・指揮官たちは『不粋な真似を〜!!』と転がったそうである〕
 なぜ、ここまで遅れたか。これも単純明快、シンジ少年とアスカ嬢の[媚態]に
すっかり夢中になってしまっていたのである。
 マッドサイエンティスト・マヤ&リツコ師弟は、シンジ少年の快感に耐える表情
に、既に出血多量で死にかけていた。
 戦自の皆さんは、セーラー服姿のシンジ少年の艶姿に〔以下略〕
 当然ネルフの女性ガードたちも〔以下略〕
 ゲンドウ親父+委員会の奴らも〔以下略〕
 [貞操喪失]直前にいたり、流石に特殊訓練を受けた奴らは自我を取り戻した。
これは任務遂行に関する熱意、というよりはシンジ個人に対する執念であろう。
「突入開始!シンちゃ…ゲフン、サードチルドレンの[捕獲]を最優先に!」
「殺傷兵器の使用は許可せず!シンジく…いや、サードを傷つけるな!」
 さまざな語句で、さまざまな指令が飛び交った。が、内容は
[シンちゃんを奪取!!]
 の一点である。
 ここで、いくつかの幸運といくつかの不運が交錯した。
 まず行動を取ったのはマヤとリツコである。お互いに血塗れになりながら〔実は
ハナヂ〕壮絶な表情でそれぞれ用意の武器を構えた。互いに相手の持ち出したもの
を見て、一瞬驚いたものの、頷きあった。
「マヤ…私は頭…」
「先輩、私は心臓を!」〔鉄砲なんて持てないんじゃなかったのか〕
 物騒な宣言とともに、クロスボウの、スナイパーライフルのトリガーに掛けた指
に、ぐっと力がこもる。
 その瞬間、戦自の放ったスタン・グレネード〔閃光音響手榴弾〕が炸裂した。
 これは、殺傷力こそないものの、ストロボ数十発に相当する閃光と、爆音を撒き
散らし、対象の意識〔少なくとも判断力〕を奪うものである。人質奪還作戦などで
よく使用させるため、こういうところではうってつけであった。
 閃光に眼の眩んだマッドシスターズの必殺の一撃は、目標をわずかにそれ、時計
と花瓶とをそれぞれ打ち砕いた。
『チッ!!』
 同時に舌打ちする二人。完全に本気だった。
 そして秒を置かず、閃光のおさまった室内に戦自の一個小隊が踏み込んでくる。
 同時に、ネルフのガード。さらに、各国の特殊部隊。
 ほぼ全員が女性であることは言うまでもない。
 半数が、アスカに銃口を向け、さらに半数がシンジ少年ににじり寄った。
 凄まじいまでの殺気が膨れ上がる。が、指揮官らしいひとりの女性士官が、パキ
ッと指を鳴らした。
 集まった視線に向かって、女性士官は無言のままで部屋の撮影機器、記録機器を
指差す。一同、納得の気配が満ちた。全員が、銃を捨て、あるいはホルスターにし
まう。アスカの取った[記録]は、彼女等にとって喉から手が、というもの。
〔この記録物、跳弾でおシャカにはできないわ!〕
 とは、共通の認識である。
 あるものはM9ナイフを、バックマスターを、グルカナイフを抜いた。あるもの
はブラックジャックを、警棒を引き出す。あるものは非武装格闘の構えを取った。
 次の瞬間、凄まじい戦闘が開始された。終始無言のままの血塗れ〔主にハナヂ〕
の戦いである。
 が、そこで、戦況が一変する。ネルフのガードの増援が駆け付けたのである。
 これは狙撃をしくじったマヤとリツコが、なんとか一時的視覚マヒから立直り、
第二射を放とうとしていたときには既に乱戦になっていたためであった。
 流石にネルフの知力と呼ばれる二人である。シンジ少年と記録物を守るため、最
善の手段として、増援を呼んだのであった。ふらつく身体を叱咤して、彼女等も
向かったのは言うまでもない。
 各国特殊部隊・情報機関は、わずかに狼狽しつつ退いた。が、また次の瞬間、閃
光と轟音が響き渡ったのである。
 しかも、今回のものには、実質的な破壊力ともなっていた。アスカの寝室の壁に
大穴が空く。次の瞬間、精鋭であるはずの特殊部隊の皆様は、そろって見えない手
で殴り倒され、昏倒してしまった。
 そして、最初に気が付いたネルフのガード〔シンジの一番近くにいたのである〕
は、壁に空いた大穴と、倒れている敵と味方、そしてシンジ少年のいたはずのベッ
ドに気が付いたのである。
 程なく全員が気付いたのだが、捕獲すべき目標を見失い、不意打ちとはいえ一瞬
戦闘不能になっていたのである。みな無念さをこらえつつ、撤退の準備に入った。
 と…それぞれの指揮官たちが、ふと視線を合わせた。無言のままに、協定が成り
立つ。それぞれ、完全に等分されて、破壊を免れた記録機器が分配される。
 そして、記録物を抱えた彼女等は、夜の闇のなかへと、素早く散っていった。
 敗北に打ちのめされている暇はない。一刻も早く、シンジ少年を捜し出さなけれ
ばならないだった。

 話は、それから少しだけさかのぼる。
 特殊部隊の皆さんを薙ぎ倒したのは、やはり、あの少女だった。
 ファーストチルドレン、綾波レイは、ゲンドウ親父からせしめた、シンジ少年の
記録物を、自分の部屋で、じっくりと観賞していた。
 幼少の頃のものから、だんだんと成長してゆくモニターのなかのシンジ少年を、
ため息とともに彼女は見つめ続けた。そして、彼女の全ての動きが停止したのは、
14才の碇シンジ少年の入浴シーンであった。そして、さらにそれに続いたのは、
非公開、シンジ少年の[性的欲求の自己処理]シーンであった。
〔…あ…碇君…〕
〔…そう、これは、自慰行為ね…〕
〔…じゃあ…碇君も、性的欲求が…あるのね…〕
 白い肌をぽっと染めて画面に見入るレイ。彼女は、アスカが指摘したとおりの、
[優等生]であったが、当然[保健体育]の知識も豊富であった。
 シンジ少年を意識してから、さらに彼女は進んでその知識を集めたりもした。
 むぅっ、と彼女の顔が、わずかに不平そうな表情を浮かべた。シンジ少年が見て
いるのは、いつも碇君を自分専用の従者のように扱っている、セカンドチルドレン
の写真だったのである。
「碇君…セカンドに…欲求を持ってるのね…」
 女性の一番強烈な感情は[嫉妬]であるといわれているが、どうやらこれはレイ
にも当てはまるらしい。が…シンジ少年が、ペーパーアルバムの次のページをめく
った瞬間、彼女の表情は一変した。そう、そこにあったのは、蒼い髪に、紅い眼の
少女…綾波レイ、彼女自身の写真だったのである。スクール水着姿のその写真は、
当然ケンスケから買ったものではあったが…
〔碇君…私の、写真を…〕
〔じゃあ…碇君…私にも…〕
〔そう、私は、碇君に…〕
〔何、この感じ…〕
 綾波レイ嬢は、形よくふくらんだ胸に手を当てて、そっと息をはいた。
〔そう、私、嬉しいの?〕
〔なにか、変…でも、嫌じゃない…〕
 うら若き乙女の精神は、この時、臨界以上に研ぎ澄まされていたのだろう。その
時ちょうど、シンジ少年はアスカに[篭絡]されていた。その時の助けを求める叫
びは、彼の周囲全ての人の名を呼んでいた。
 当然、綾波レイの名も。

 …うぁああぁあぁあっ!!助けて!だれか助けて!
 …ミサトさん!!リツコさん!綾波…!

 ぴくん、と犬笛を聞き付けた子犬のように、反応するレイ。
 機械的な仕草で、画像の再生を止め、ノートパソコンをシャットダウンする。
そして、彼女は立ち上がった。自分が唯一、意識を向ける少年のために。
「碇君が、呼んでる…」
 これまでの刺激が、彼女の何かを変えたのか。その背中に、オレンジ色の多角形
が浮き上がった。
「私が守るもの…」
                           エピローグへ続く