[とある少年の悲劇に対しての考察]

 エピローグ [宴のあと]

 綾波レイ嬢は、窓辺から、第三新東京市の夜空を見上げた。満月に近い銀色の月
が、蒼い光を地上に振り撒いている。彼女は、さほどの逡巡も見せないまま、意識
を集中した。恋する乙女の決意〔あるいは嫉妬〕によって完全に目覚めた力は、
重力さえも遮断するはずである。
 髪が、服の裾が、ふわりと動き、ついで、身体がその重さを失っていく。
 そして、彼女は、軽く息を吸うと、窓から静かに飛び立った。

 そして、ハナヂの海で溺死しかけ、ICU送りになっていたゲンドウであるが、
司令と副司令にのみ直通の対使徒緊急コールが鳴り響いたことによって、意識を取
り戻すなり働かなければならなくなった。直属の部下に急いで連絡を取り、発生原
がレイのアパートであることを知ると、オヤジの顔色は真っ白を飛んで透明になり
かけていた。それでも、手すきのガードを総動員して、レイの行方を探すと、なん
と月光を全身に浴びながら、コンフォート17へ向かい、夜空を進むレイの姿が目
撃され、その画像も、合わせて送られてきたのである。
 レイに持たせていたはずの携帯の番号をコールし、何度も何度もリダイアルしつ
つ、じりじりして待っていた。そして、数十度目に、ようやく繋がったのである。
「…はい…」
「レイか!?私だ!」
「碇指令…?」
「いったい何をやっているんだ!?すぐに自宅に戻るんだ!今なら誤報ですむ!」
 レイは、そっない口調で拒絶した。
「駄目…碇君が、呼んでる…」
「なにっ!?」
 凄まじいショックを受けるゲンドウ。
「私は、あなたの人形じゃないもの。」
 さらに打ちのめされて愕然となるオヤジ。
「レ…レイィッ!待ってくれ、レイ!!」
「でも、駄目…もう、到着したもの…」
 そして、彼女の眼に、[魔宴]の風景が映し出されていた。
 沈黙。彼女の眼から、ふっ、と表情が消えた。
 今日、ネルフ職員たちは、何か落ち着かなかった。
 そして、突然ゲンドウに呼び出された。その時に受け取ったのは、碇君の記録。
 なぜ?そう、新しいものが手に入るから?
「そう…そうなのね…みんなで、碇君を…」
「うひぃいいい!!ち、違うぞレイ!待て、落ち着いてくれ!」
「私を…疎外したのね…そう。」
 彼女の眼に、冷たい火が踊った。
「碇司令…さよなら。」
 ブツッ!!と、思い切り通話がきられた。
 ちなみに、当然冬月は、そのゲンドウの有様を、腹を抱えて笑って見ていた。

 彼女は、ベランダの側まで、ゆっくりと近付いた。そして、彼女が視線を部屋に
向けると、閃光が走っていた。
 銃声、乱入、暫時の睨み合い。抜剣、格闘、無言のままの乱戦。
「碇君…!」
 小さく悲鳴を上げて、彼女は窓辺に近付いた。入り乱れる特殊部隊員たちの中に
わずかにシンジ少年の手が見えたように見える。
〔碇君は、私が…守るもの…!〕
 少し下がって、彼女は、呼吸を整えた。両手のひらに、意識を集中させる。
 その時、ネルフの増援が、部屋のなかに乱入してきた。
〔いま…!〕
 一瞬、閃光が走った。一瞬遅れて轟音と衝撃がそれに続く。
 壁に真円の穴を穿ち、一呼吸でそこに飛び込むと、ベッドの上で気を失っている
シンジ少年を抱えあげ…いわゆるお姫さまだっこ、である…そのまま、速度を落と
さずに外へと躍り出た。

 軽く眼を閉じたシンジ少年の顔を見下ろしながら、ほんのわずかに彼女は目元を
微笑ませていた。シンジ少年の体温が、腕を通して身体に伝わってくる。
 急ぐべきだろうか?何となくそれが惜しいような気がして、彼女は、シンジ少年
の顔をもう一度、観察した。気絶したというよりは、安らかに眠っているようであ
り、怪我などもしていないようだ。それほど急がなくても良いだろう。
 もう少し、このままでいても、悪くはないはずだ。

 少しだけ速度を落として自分のアパートに帰りつくと、殺風景な部屋の、一番大
きな日常品であるパイプベッドに、そっとシンジを寝かせた。その時、枕のカバー
に少し、血がついているのに気付いて、音を立てないようにそれを交換した。
〔綾波も、女の子なんだから、部屋の内装は少しだけ考えたほうがいいよ。お客が
くるかもしれないし…〕
 シンジ少年の言葉が、ふとうかんで、彼女は納得した。自分なら、その程度のこ
とは気にしないが、碇君が目をさましたときに嫌かもしれない。だから、カバーを
変える。これまでは気にもしなかったが、今は、ごく当然の気がした。
 シンジは、こういうことを教えていてくれたのだ。
 少し考えたが、ふと思いついて、バスルームの棚をあけた。そこには、以前シン
ジが学校帰りに同行して揃えてくれた、日用品一式が入っている。その中から、白
い長袖のパジャマ…ちなみに男女兼用…を出すと、眠り続けるシンジ少年の枕元に
そっと置いた。気が付かなかったが、彼はぼろぼろの制服姿〔なぜか女子〕だった
のである。タオルを絞って、煤や汗で少し汚れたシンジの顔を静かにふく。
 自分のベッドに、シンジが寝ている。手をのばせば、触れることができる。じっ
と見ていても、だれも咎めない。レイは、奇妙な幸福感に、そっと、目を細めた。
 声をかけようか、とも思ったが、もう少し、このままでもいいだろうかとも思っ
て、言葉を飲み込んだ。
 ふと、思いついて冷蔵庫〔これもシンジ少年が選んでくれた〕を開けてみる。
 ミネラルウォーターが幾本かと、高温を嫌う薬品、それに携帯食料がいくつか入
っているだけである。自然食品は、確かに味覚には快いが、それぞれに、食べ方や
作法などがあったり、腐敗しやすかったり、摂取に時間が掛かったりするため、常
備しておくのは好まなかったのである。
 碇君が目を覚ましたときに、何かしてあげたい…と、レイは思ったが、これでは
少しこころともない。自分の部屋で、他の人のことも考えなければいけないという
ことは、今までなかったのであるが。
 以前、学級委員長がすすめてくれた文庫本…一般的に言うところの恋愛小説で、
知識を得るためではなく、娯楽として読むものだそうだ…は、表現や文法で少し首
を傾げるところもあったが、引き込まれて何度もよんだ。いつも目を通している作
戦ファイルや、報告書とは全く別の印象を受けた。
 シンジがときどき持ってきてくれる本…マンガもかなり多いが、こちらも娯楽小
説が多かった…にも、いろいろとプラスな面も多かったように思う。それに、自分
には少し足りない〔常識〕というものに対して、解りやすく書いてあった。
〔飲み物と、消化によくて滋養のあるもの…かしら?〕
 少し考えて、彼女は買物にいくことにした。が、もし、自分のいないときに目を
覚ましたら、碇君は不安になるのでは…と思って、途方に暮れてしまった。
〔…どうしたらいいだろう?〕
 そして、またしばらく考えて、部屋の隅に置いてある段ボールを開けた。以前、
葛城三佐が差し入れに、と持ってきてくれたものである。確か、軍用食もあったは
ずだ。彼女がそれを開けると、たぶん不要になったものだろうが、缶詰の白米やレ
トルトの副食品、乾燥スープや携帯用調理器具各種、固形燃料等が見つかった。
 ほかに思い切り趣味に走った服や扇情的なランジェリー各種、恋愛のハウトゥ本
などもあったが…ともかく、何度か説明書きを呼んで一つ頷くと、彼女はさっそく行
動に移った。

 碇シンジ少年が目を覚ましたときに、そこにいたのが綾波レイであったことと、
彼女が取った行動は、おそらく、彼の人生を大部分、救ったであろう。
「はっ!!」
 眼を開いたシンジ少年は、反射的に飛び起きようとして、まだ手足がよく動かず
に、すとんと落ちるように、またベッドに横たわった。
「ここは…綾波の…部屋?」
「碇君…目が覚めたのね…」
 綾波レイが、こちらをふりかえった。気のせいか、表情がいつもより柔らかい。
「綾波、どうして…」
「指令から連絡を受けて、葛城三佐の家がテロの目標になっているって…携帯電話
も、通常回線も不通だったから…口頭で伝えようと思って…」
「僕を…助けてくれたの?」
 少しだけ赤くなって、彼女は俯いた。
「碇君も、私を、助けてくれたもの…」
 [襲われ続けた]シンジ少年にとって、それは一種の急所であった。彼女のおか
げで、彼は女性恐怖症にならずにすんだといっていい。
「それでよかったら、着替えて…。」
「あ…ありがとう…!」
 まだ上手く動けないシンジを手伝って着替えさせ〔しっかり[観察]はしたが〕
白米の缶詰と乾燥スープと魚の切り身の缶詰を上手く使って作った雑炊と、これも
軍用食の中にあった粉末のレモンティーを、気遣いながらシンジに食べさせた。
「ごめんなさい…こういうこと、初めてだから…」
「そんなことないよ、綾波!これ、凄く美味しいよ!」
「ありが…とう…。じゃあ…もう、休みましょう…」
 あわてたシンジが、床で寝ると主張したが、上目遣いにじっと見られて、『なん
でそんなことを言うの?』と聞かれては反論できなかった。もとより、布団もベッ
ドの一組しかない。レイと寝るのがそんなに嫌だと誤解されるわけにもいかない。
 シングルベッドの一組の毛布のなかに、レイは滑り込んだ。始めは緊張していた
シンジも、今日一日の疲労に、いつしか安らかに眠り込んでしまった。
 綾波レイは、静かに眠るシンジの寝息と体温に、危うく[保健体育の実地訓練]
を敢行しそうになったが、シンジ少年の今日一日の出来事をふりかえると、これ以
上はショックを与えられないと、思い止まった。そして、寝ているシンジの腕を、
大事そうに胸に抱えると、幸福そうに眼を閉じた。
 この事件の、最終的な勝者は、彼女かもしれない。

 次の日の朝。血走った眼で登校してきた惣流・アスカ・ラングレー嬢は、恋敵と
談笑しつつ登校してくる、同居者の姿を見付けた。そちらに咆哮と共に駆け出す寸
前、視線をさえぎるように、綾波レイが立ちはだかった。
 生命の危険を本能的に察知して、一中の生徒たちが逃げ散っていく。
 そして、綾波レイは、また、ほんの少しだけ、口の端を釣り上げたのである。
 …そして、再び破局が訪れた。

 サードチルドレン。細身で、顔立ちの整った、苦労性のとある少年。
 彼の悲劇は…あるいは幸福〔?〕は…まだ、当分続きそうである。
                                  〔了〕



ついに阿修羅王さんの長編連載「とある少年の悲劇に対する考察」が完結いたしました!
まず、阿修羅王さんから後書きを頂いております。
こちらへどうぞ。

緻密さと本格さを備えたなまめかしい描写は、へたな18禁などよりよほど色っぽくて
―最終的結合には至りませんでしたけど(笑)―十分堪能されたのではないでしょうか。
この作品で、新たな世界を垣間見、自分の中の気づかなかった属性を開花させた人も多かったのでは?
ボク自身はこんなサイトを作るぐらいですから、かなりその方面への(笑)自信と自覚はあったつもりですが、
阿修羅王さんのこの作品に、教えられ導かれることが多かったように思います(えへへ)

#最後にシンジ×レイっぽい描写で、アヤナミストもばっちり満足?(笑)

連載完結にあたっての感想をぜひメールまたは、よわシン愛好板<掲示板>で阿修羅王さんにお寄せ下さいね(はぁと)

この後しばらくはオリジナル小説に戻られてそちらに専念されるそうです。
これを機会に、エヴァとは別の文章の中に展開される世界に親しんでみるのもまた楽しいかもしれませんよ(^^)。
阿修羅王さんのサイト「言霊祭」にぜひ遊びに行ってみましょう。

阿修羅王さん。本当に、お疲れさま。そしてありがとうございました。