続・とある少年の悲劇に対する考察
        [閉幕拒否する人々に対する考察]
                            2000 阿修羅王


 第九章 [月下美人]

 満月まで、あと少しだろうか、真円よりほんの少し細い銀色の月が、意外なほど
明るい光を、音もなく辺りに振り撒いている。
 時刻は、午前2時を少し回ったあたり。
 三人は、それぞれの思惑を胸に、窓を開けて、ベランダへ出た。コンフォートの
ベランダは、高級といってよいマンションにふさわしく、かなりの広さがあり、見
晴らしも申し分ない。
 さすがに、この時間ではかなり減った街の明かりも、その奥の山の風景も、ここ
からなら一望にできる。
「ふーん…いつもは気にもしてなかったけど、ここ、結構贅沢な眺めなのね。」
「そうでしょ?そこが気に入って、かりたんだもん…」
「じゃあ、シートを引きますよ…」
「あ、ちょっと待って…これも!」
 ミサトが取り出したのは、由緒正しい屋外宴会の必需品、[ゴザ]である。
「んふふふっ、宴会はやっぱりこれよねぇ?」
「はい、じゃあ、敷きますよ。」
 一旦、ベランダのコンクリ床の上に、キャンプなどで使われるシルバーマット
〔表面をアルミコーティングしたエアマット。保温性、耐水性に富む〕を敷くと、
その上に改めてゴザを敷いた。
「シンジ、何、このマット?タタミのカバーかなにか?」
「あはは、確かにそうかもね。畳と同じ材質で、薄く作ったものだよ。
 日本では、昔から、お花見とか、外の宴会とかでよく使われてたんだって。」
「あ、本当だ。草のにおいがする…」
 くんくんと、形のいい鼻を動かすアスカ。その間に、ミサトは五畳ほどの広さに
敷いたゴザの真ん中に、素早く陣取っていた。
「じゃ、まずは一杯!」
「はい、ミサトさん。アスカは?」
「アタシ、ワインがいいな。ある?」
「あ、あるにはあるけど…駄目だよ、未成年なんだから…」
 律儀に首を振るシンジ少年に、酒精を含んだミサトの声がかかる。
「いいわよぉ、ちょっとぐらい…こんなにいいお月さまなんだもの、お酒も飲みた
くなるわよぉ…野暮はいいっこなし!」
「ふふーん!保護者承諾済みよ!」
「でも、明日も学校もあるし…使徒だって、いつ攻めてくるか…」
「まぁまぁまぁ、リツコがいってたけど、ここMAGIのメタ統計だと、数日は、
使徒が接近する可能性も低いってことだし、一日ぐらい休んだっていいわよぉ…
あなたたちは、普段、命懸けで戦ってるんだから…」
 一瞬だけ、作戦部長の鋭い表情が走ったが、すぐにそれは消えて、
「シンちゃんも、当然、飲むのよぉ?しばらく、一緒には、のめなくなっちゃうん
だもの…再会の誓いの杯ってやつよね!」
「え、そんな…僕、お酒はもう…」
 前回の一件で、さすがに懲りたようである。
「なによぉ、このアタシの杯が受けられないっての?」
 酒の席で嫌われる台詞の首席を言い放ちつつ、シンジに絡むアスカ。不愉快なこ
とが連続していたが、ちょうどいい憂さ晴らし、といわんばかりである。
「まぁまぁ、お酒かどうかは置いといて、とりあえず乾杯しましょ!」
 冷やしてあった白ワインをの栓を、コクルオープナーでキシキシと開けて、アス
カのグラスに半分ほど注ぐミサト。ついで、自分はすでに、クーラーボックスに大
量の氷と共に入れてきたエビチュビールを、かねて冷凍庫にいれて凍らせてあった
大ジョッキに口元まで注ぐ。細かな泡が冷たい音を立てるのに、にまりと笑う。
「んふふふふ、たぁまんないわね。シンちゃんは?」
「えと、じゃ、烏龍茶で…」
 シンジ少年は、ごく普通のコップに、ごく普通に烏龍茶を注いでもらっている。
「じゃ、乾杯しましょ!」
「まあいいけど、何に乾杯するの?」
あくまで本格的を気取りたいアスカは、何に対する乾杯かを宣言したいらしい。
「野暮は言いっこなし。それぞれの好きなことに乾杯すればいいでしょ?
 じゃあ、私は、シンちゃんの、一日も早い帰還を願って…」
 ちょっと考えて、アスカが唱和する。
「アタシのこの美貌のさらなる成長と、それにふさわしいだけの、やがて訪れるべ
き伴侶に…」
 意味ありげにそこでシンジ少年に艶やかな流し目を送るが、シンジ少年は、口上
の意味がよく理解できなかったらしく、〔はて?〕といった感じである。
〔ムキーッ!わかってはいたけど、鈍感なんだから!!〕
 ただ、アスカの視線には、異性として気になるものがあったのか、ちょっと顔を
赤らめていたので、やや、アスカのプライドは満たされたらしい。
 そして、シンジ少年は、控えめにコップを掲げた。
「…みんなの、健康と、今晩のきれいな月に…」
 にっこり笑ったミサトと、唇を釣り上げたアスカが、同じくグラスを掲げた。
「…乾杯!」
 コン、ココンとグラスの縁が、涼やかな音をたて、とりあえず乾杯となった。
「ゴッ…ゴッ…ゴッ…っくっはぁー!!ぅんまいっ!!もぉ最高っ!!」
 喉を慣らして、キンキンに冷えたビールを一気に、大ジョッキに半分まで空にし
たミサトが、目に涙まで浮かべてシンジ少年の肩をばしばし叩く。
「ふん、正式なマナーだと、グラスをあわせるわけじゃないんだけどね。」
 あくまで大人でありたいアスカは、控えめにグラスに口をつけている。
「ははは…でも、本当にいい景色ですねぇ…」
 雲がやや多いのが残念だが、まず気分のいい夜空であり、夜景であった。
 ミサトは程なくおつまみにサバの水煮の缶詰を持ち出し、負けじとアスカはスモ
ークチーズ、クリームチーズ、ブルーチーズの詰め合せを持ち出す。シンジ少年は
ごく普通のポテトチップスである。
 一通り乾杯が済むと、やがて、三人がこの部屋に揃ってからの、あまり長くはな
い時間の思い出話に花がさいた。もっぱら、ミサトが話題を思い出しては二人をか
らかい、二人のどちらかが〔あるいは両方同時に〕真っ赤になって反論や訂正を加
える、といったものであった。
「そうそう、あの時のこと、覚えてる?ユニゾンで使徒を倒したあと、アスカが引
き続いて、ここに住むことになったときのこと…」
「な、なによ!ミサトが頼むから、住んでやったんじゃないの!ネルフだって、人
材も予算も厳しいから、警護の手間も省けるって!!」
「あらあ?たしかに私はそう言ったけど、頼んではいないわよ?確かあれはアスカ
が、『日本にはまだよく慣れていないし、旧知の人間が少しはそばにいたほうがい
い』って…」
「嘘よ、嘘嘘!」
「アスカ、なにあわててるの?」
「いやいやいやいや、実は、他に目的があったりして…いやー、若いわねぇ!」
「ムキーッ!何よ何よ!自分こそ、趣味丸出しで、職権濫用して、一存で男子中学
生と同棲まで決めたくせに!!」
「な、なによ、その『職権濫用』はともかく、『趣味丸出し』って!?
 大体、ちゃんと司令の許可はおりてるわよ!」
「親公認んんん!?なお悪いわよ!フケツ!」
 最初のうちはきちんとした思い出ばなしだったのだが、何やらだんだんと、方向
がずれてくるのは、アルコール入り宴会の常である。
 素面のシンジ少年を若干置き去りにしつつも、なおも二人の思い出話〔?〕には
花が咲く。
「ハァン、趣味じゃなければ本命かしらぁ?クリスマスはとっくにすぎて、もうす
ぐ大晦日も近いもんね?」
 アスカの言葉に、ミサトのこめかみに、ビシッ!と青筋が走った。
「…アスカ…世の中には、言っていいことと悪いことがあるわよ…」
 常人では気付きえないほどだが、わずかに、声の音程が低くなるミサト。押さえ
きれないほどのオーラが、ぶわっと背後に膨れ上がる。
「…!?」
 ザッ、と殺気に押されるように一歩飛びずさるアスカ。シンジ少年は、突然の事
に二人を見比べている。
「あぁら、図星だったかしら?」
「アスカ、クリスマスとか大晦日、ってなに?」
「シンちゃんはしらなくていいのっ!!」
 ミサトの怒声を涼しい顔で無視して、アスカはシンジに説明しはじめた。
「クリスマスケーキって、24日を過ぎると、がくっと安売りするわよね?」
「え…うん…」
「それにひっかけてあるの。女も24歳を過ぎると、結婚相手探しにあせりはじめ
て、[安売り]状態になったり…それで大晦日って言うのは、言うまでもなく…」
 ヂィン!!
 突然、風を貫く音と共に、アスカのヘッドセットを掠めて、何かが、その背後の
コンクリの壁に突き刺さった。
「…警告は、したわよね…?」
 地獄の底から響き渡るような重低音…ミサトの声とともに、その手で光る円形の
金属は、エビチュビールのビンのフタである。
「っ……」
 当然、アスカを掠めて壁に突きささったのも、ビンのフタ。流石にアスカも顔色
を失う。
〔中国少林拳の指弾〔スゥタン〕…!?何者よ、このいき遅れ…!?〕
 アスカが冷汗を流したその一瞬に、獲物に食らい付くマムシのような素早さで、
シンジ少年をシュバッ!と抱き締めるミサト女史。
「ううっ…ひどいわひどいわっ!せっかく開いた、再会を祝っての宴会なのに…
アスカの言動は、思いやりがなさ過ぎるわ!ねえシンちゃん、そう思わない!?」
「あの、その、確かにそうかもしれないけど、ちょっと…腕を緩めて…」
 んぎゅーっ、とシンジを抱き締めて、その胸や首筋やらに思う存分頬をすりすり
させるミサト。一瞬の自失から復活したアスカが、当然食って掛かる。
「どさくさに紛れて、なにやってんのよぉおおお!?離れなさいっ!!」
 一瞬、アスカに勝ち誇った眼差しを向けると、いやいやと頭を振りつつ、片手で
目頭を押さえながら、なおもシンジ少年に擦り寄る。
「私のこの砕かれた繊細な心、わかってくれるわよね?ね?ね?シンちゃんは優し
い子だから、傷ついた私のヤケ酒にも付き合ってくれるわよね?ね?ね?」
「わかり、わかりましたから、ちょっと離れて…」
 なんとか脱出しようともがきながらのシンジ少年の言葉に、ぎら、とミサトの眼
が怪しく輝いた。

                               続く