第11章 [酔客、誤算]

 最初の一口を味わって、アスカが満足そうにほほえむ。
「んんん、高いだけあって、いけるわぁっ!」
「…本当だ、思ったより、苦くないんだ…」
 少しびっくりして、つぶやくシンジ少年。アルコールに慣れていないものには、
ワインはかなり苦く感じるものではあるが、この白ワインはワインが初めてのシン
ジ少年でも、むせ返らずに飲めるものだった。
 ちなみに、シンジ少年を酔わせるため、初心者でも飲みやすいものをアスカが綿
密に調べておいて、あらかじめ買っておいたことは言うまでもない。
 ちなみに、実は、これ一本で公務員の半月分の給料が吹っ飛ぶほどの代物ではあ
るが、それは余談である。
「ちょっと…私の分は?」
 一人蚊帳の外なのはミサトであるが。
「ミサトは、自分のビールがあるでしょ!」
「ま、そりゃそうだけどね…」
 やっぱり、お互いに視線で牽制しつつ、シンジ少年のグラスの運用から目を離さ
ない美女と美少女。
〔…紆余曲折あったけど、シンちゃんが酔ってくれるのは願ってもないわ…〕
〔さあさあ、きっちり酔いなさい!アタシが、優しく[介抱]したげるから!〕
 なんか、飲み会で目当ての女性を良い潰そうとしている若者のようであるが。
「…僕は、お酒の味なんて、よくわからないんだけど…これ、もしかして、いいお
酒なんじゃないの?すごく高いもののような気がするんだけど…〕
 酒には全くの素人でも、鋭敏な味覚を持つシンジ少年である。どうも、自分が飲
んでいる白ワインが、只者ではないらしいことは察したらしい。料理用に使ってい
るワインとは、モノが違うことは、やっぱりわかる。
「ええ、アタシは、気軽に飲めるような大衆ワインのほうが、どっちかって言うと
好きなんだけど。今日は、一応記念に、と思ってね。このアタシの取って置きを、
手ずから注いでもらって飲めるなんて、至上の贅沢よ!」
「あ、ありがとう…」
 シンジ少年、どうやらこのワインがかなり気に入ってしまったようで、少しずつ
ついばむようにではあるが、着実にグラスを傾けつづけている。
〔ィエス!そのままそのまま!〕
〔さあさあ、あと一息!〕
 自らもぐいぐいとエビチュを次々にあけながら、拳を握って見守るミサトと、こ
ちらも自分のグラスを手に、じりじりとシンジ少年の轟沈を待つアスカ。
「ね、結構いけるでしょ?ほら、もういっぱい!」
「あ、あの、でも、やっぱりあんまり飲むと…ワインは初めてだし…」
「なにいってんのよ、ヨーロッパじゃ、食事の時に子供だって飲んでるわよ。」
 シンジ少年に張りつくように、新たな一杯を注ぐアスカ。
「そうそう、お酒は覚えていて損はないわよぉ?ほら、おつまみもたくさんあるか
らどんどん食べてね!」
 何やら、やたらと辛かったりしょっぱかったり、喉の乾きそうなものだったりす
るものをセレクトして、シンジ少年にすすめるミサト。さっきまで殺しあいに発展
しかねないほど仲が悪かったはずなのに、こういうところでは、なぜか奇妙に、息
があっている。
 宴の席に不慣れなシンジ少年、入学したての大学のコンパで先輩たちにしこたま
飲まされる新入生のように、かなりの量を飲んでしまった。この場合は、かれの鋭
い味覚が、災いしたとも言えよう。なまじ、味がわかってしまっただけに、つい、
グラスを重ねてしまったのである。
 30分ほどが過ぎたころ、シンジ少年は、二人のもくろみどおり、大分アルコー
ルが回ってしまっていた。
「あ…うう…顔が熱い…こめかみがじんじんする…」
 ゴザにぺたんと両足を投げ出してすわりこみ、ふらふらと頭を揺らしていた。
 だが。しかしその時、二人の美女はというと、お互いに着実にシンジ少年に飲ま
せたのはいいものの、無言のままに視線で激しく牽制しあって、手を出しかねてい
た。そのうちに、当たり前というかうかつというべきか、自分たち自身が摂取し続
けていたアルコールが、ずいぶん回ってきてしまっていた。
 ありていに言えば、ここに三匹の酔っ払いが誕生してしまっていたのである。
 この中で一番の酒豪であるミサトであるが、さすがに宴会当初からしこたま飲ん
でいたエビチュに加え、アスカやシンジ少年があまりにおいしそうに飲んでいるの
で、ついくすねて飲んでしまったワインが、ボディブローのように後からきいてき
たようである。
「っぷ…ふ、不覚だわ…ビールの5本や10本でぇ…」
 これは単純に彼女の間違い。ビール500ミリを14本、さらにワインをボトル
に半分。酔って当たり前の量である。
 そしてアスカも同様であった。彼女の場合は、綿密な計画を練っていたにもかか
わらず、予期しえぬ誤算があったのである。
 それは、シンジ少年の[返杯]であった。
 シンジは、自分のためにとっておきを用意して、それを手ずからついでくれたと
いうことを、アスカ嬢の予測よりずっと素直に喜んでいたのである。
「…はぁ。アスカ、ありがとう。じゃあ、今度は僕が注ぐね。」
 ぽぉっと頬を上気させた状態で、あの、ふわりとしたほほ笑みを浮かべたその表
情の威力は、かつてゼーレすら動かしたこれで名高い。まして、質の高いアルコー
ルの効果で、いつもより少しだけ積極的に、少しだけ大胆になっていたらしい。
 シンジ少年の側からとしては、ほとんどなかったぐらいに近付いて、注意深くア
スカのグラスにワインを注ぐ。シンジ少年のその表情を、こちらもぽーっと見つめ
てしまっていたアスカは、ふと我に返ると、にこにこと待っているシンジ少年の視
線に気付く。照れ隠しもあって、そのグラスに口をつけない訳にはいかなかったの
であった。

                               12章に続く