第15章 「猫と戦略」

 アスカとミサトの二名が、物騒な視線を残して[敗退]した後、シンジ少年と、
赤城リツコ博士の[共同生活]は、開始されたのであった。
「…いろいろあったけど、あらためて、しばらくの間、よろしくね。シンジ君。」
「あ、こちらこそ、よろしくお願いします。リツコさん。」
「私物とか、細かい荷物は、押し入れの段ボールに入ってるから…さっきのミサト
じゃないけど、手伝いましょうか?」
「いえ!いいです!自分でできますから!」
 あわてたシンジ少年の声に、ちょっと笑ってみせるリツコ。
[この年代の男の子だものね、見られたくないものもあるかしら?]
 少し顔を赤くして自分にあてがわれた部屋にむかうシンジ少年を見送って、リツ
コは、キッチンへ向かうのであった。

 シンジ少年が、部屋の片付けを終えて一息ついたとき、リツコの声がかかった。
「シンジ君、夕食にしましょう。」
「あ、はい、いま行きます!」
 そして、シンジ少年は、キッチンに入った瞬間、無礼にも、硬直してしまったの
であった。
「シンジ君、確か、好き嫌いは少なかったわよね?ネルフでも有名な料理上手に
出すのは、恥ずかしいけど…」
 炊きたての御飯、大根とじゃがいもと油揚げの味噌汁、肉じゃが、ほうれん草の
おひたし、大根おろしを添えた秋刀魚などなど。
「…どうしたの、シンジ君?」
「…えっ、いや、あの!その!!」
 シンジ少年は、意味もなく両手を振り回した。当然、ネルフにいるときの赤城リ
ツコ博士の顔しか知らず、その面からは、まったくこういった場面は想像もつくは
ずもなく、あまりのイメージとの落差に驚愕のあまり思考停止してしまっていたの
である。
 さらに、シンジ少年、職業病〔?〕なものか、夕食、という単語を聞いて、部屋
から出るときに、ごくごく自然に袖をまくって、愛用のひよこのがらのエプロンま
で用意してしまっていたのだから始末が悪い。
「な、なんでもないです!本当に!」
 素早くまるめたエプロンを自分の部屋の方に蹴飛ばして、シンジ少年は、かなり
広いキッチンの、自分の席に座る。
「シンジ君、そんなに、イメージと違ったかしら?」
 わずかに頬を膨らませて、シンジ少年を見やるリツコ。
「えっ、いや、あの、そんな!」
 図星をさされて、真っ赤になってうろたえるシンジ少年。当然、リツコがあえて
[仕事中の顔からは想像できない、日常の部分]をシンジ少年に見せ、印象付ける
ことを意図していたと気付くはずもない。
「…あのミサトと、ふるい友人だしね…そういう誤解を受けるのも、しかたないけ
ど。こう見えても家事は一通り、学生時代に、お婆ちゃんに仕込まれたのよ。」
 そこで、照れ臭そうに首を傾げてみせる。
「といっても、やっぱり、忙しいときは、ほとんどデリバリーか外食になるけど…
初めてシンジくんがきてくれた日だから、久しぶりにね。」
 リツコの視線に促されて、シンジ少年は箸を取った。
「いただきます。」
 肉じゃがを一口食べてみて、うっ!!という表情になるシンジ少年。
(美味しい・・・・)
 別に料理が美味であっても、何一つ困ることはないであるが・・・・
「美味しい、美味しいですよ!!」
「光栄ね、シンジ君にそういってもらえるなんて・・・」
 上機嫌を隠すこともなく、箸を使うリツコ博士。シンジ少年は、普段の小食
ぶりが嘘のように、おかわりまでしてしまった。ジャガイモはよく味がしみているし、
肉は豚肉の脂肪がとろりとなるまで煮込んである。秋刀魚は脂がきつすぎない
程度によく太っていて、内臓も、臭みのない深みのある苦さがある。シンジ少年
は、骨だけ残してすべて食べてしまったのであった。
 嬉しそうに、自分の手料理を平らげていくシンジ少年の食欲を眺めながら、リツ
コも自分の分はしっかりと食べ、やがて、二人はすっかり満足して、箸を置いたの
であった。
「ごちそうさま!本当に美味しかったです!」
「お粗末様。気に入ってもらえて良かったわ。ちょっとレトロかと思ったんだけど。」
「このジャガイモ、品種は何なんですか?男爵でも、メィクィーンでもないみたい
ですけど・・・・・」
「ああ、これは、おばあちゃんが実家から送ってきてれたの。セイダっていう品種
らしいわ。身は小さいけど、味はいいでしょ?」
 それからしばらく、料理の材質や味付けに関して、よもやまばなしに花を咲かせる
二人。シンジ少年が恐れていた、「気まずい沈黙」や「緊張した気恥ずかしさ」
は、いつのまにか、遠ざかっていた。これも言うまでもなく、リツコ博士が、シンジ少年が
気兼ねなく話せる話題をいくつか考えていたことにもよるが、リツコ博士も、普段は
話せる相手がいない方面の話題を、十分に楽しんでいたのは言うまでもない。
ましてや、相手は、あのシンジ少年である。
 おさんどんとしてここ数ヶ月を過ごしてきたシンジ少年にとって、「不意の手料理
攻撃」は、予想以上の効果があったようである。
「じゃあ、リツコさん、明日は僕が作らせてもらいます。」
「ええ、期待させてもらうわ。」
「あ、洗い物しちゃいますね。」
 エプロンを手に、立ち上がるシンジ少年。
「あ、食器洗い機があるから、運ぶのだけ、お願いできるかしら?」
「はい!」
 合理化の進んだキッチンでは、洗い物も免除されるらしい。
 シンジ少年は、食器を片づけてしまうと、茶器の場所をリツコに聞いてお茶を
入れると、リツコと一緒にソファに落ち着いた。
 一息ついてみると、シンジ少年は、今までとは違う時間配分に、すこし落ち着
かないようである。
「どうしたの、シンジ君?」
 リツコが、紅茶のカップをソーサーに戻して聞く。
「あっ、いえ、あの・・・・いつもは、いろいろ家事で忙しかったから、ちょっとぼーっと
しちゃって・・・こんなにのんびりしてていいのかなって・・・」
 リツコは、おかしそうに微笑んだ。
「シンジ君、住居変更は、あなたの過労を緩和させることも目的の一つなのよ。
あなたは、休むのも仕事の一つだってことを、忘れないでね。」
「はい。」
「でも、手持ちぶさただっていうなら、ちょっとした家事はお願いするわね。
正直、家事を分担してくれるなら、個人的には、ずいぶん助かるし。」
「はい!!」
 それから、さらに、家事の分担方法や、シンジ少年がミサト邸でどう過ごしてきた
かなどを、のんびり話し合っていく二人。
「じゃあ、生鮮食品は、買い置きしないで、必要になる度に買い出した方がいい
ですね。」
「そうね。使徒の攻撃が続くと、料理はおろか、食事の時間さえ怪しいもの。
「忙しいときこそ、ちゃんと食べたいんですけどね・・・」
「たしかに、野戦用の長期保存食の連続は、ちょっと遠慮したいわね。」
 他愛ない話題を交換し、時には笑いあい、ときには二人で考え込んだりしている
うちに、精神的な距離が、少しずつ、詰まっていくようだった。
 実際、同じソファに少し離れて座っていたのであるが、リツコ博士は、分速
何センチという実に微妙な速度で、物理的な距離も縮めていたのであるが。
「え、じゃあ、ミサトさん、昔から、あんなに飲んでたんですか?」
「ええ・・・大学で出会ったときは、まだ十代だったのに、平気で一升あけてたわね。
彼女を、コンパで酔い潰そうとしてた男子が、5人がかりで撃退されたって言うし。」
「・・・・・・」
「ネルフの研修期間中にも、大量の焼酎と火酒を隠し持って行ったらしいわ。
どうやって、チェックをくぐったのかしら・・・・」
「あ、そのお話は、僕も聞きました。何でも、酒が切れて、工業用のメチルを飲んで
失明した、酔いどれ医師の話を本で読んで怖くなったとか・・・」
 シンジに断ってから、マルボロメンソールに火をつけて、ため息をつくリツコ。
「それで、禁酒じゃなくて持ち込みを検討するのが、さすがミサトよね・・・」
「もし、持ち込みが不可能だったら、ネルフに入らなかったかも・・・」
「笑えないわね・・・そうなってたら、使徒との戦いは、もっと難しかったでしょうけど。」
 そのとき、リビングの時計が、押さえた音量で涼しげなオルゴールを鳴らした。
文字盤の針は、午後8時を指している。
「あら・・・結構、はなしこんじゃったみたいね。」
「そうですね。」
「ふふ、でも、会話の相手がいるってうのも、悪くないわ。こんなに楽しく対話をしたのは
ずいぶん久しぶりですもの。」
 シンジ少年は、恥ずかしそうに微笑んだ。
「いえ。僕も、この時間に家事をしないで、こんなにのんびりおしゃべりできたのは、
久しぶりです。それに・・・・・」
「・・・?」
 なぜか、そこで、少しためらってみせるシンジ。相手に失礼かもしれないと思い当たった
のである。リツコに無言のまま促されて、少し考えてから、続ける。
「失礼な言い方ですけど、リツコさんと、こんなに気軽におはなしが出来るなんて、ちょっと
意外でしたし。」
 リツコは、怒ることもなく、うなずいて見せた。
「もっと、怖い女だと思った?」
「そ、そんな!」
「ふふふ、ごめんなさい。でも、冷たく見えたり、対話しにくい相手に見えて、当然だと思うわ。
私も、故意に、そう振る舞っているところもあるし・・・・」
「・・・・・・」
「仕事のできる女。他人に寄りかからない人間。努力と向上を忘れない人・・・・
そう見られていることが多いわね。まあ、そうなりたいと心がけてはいるけど。」
 シンジ少年は、少しうつむいた。無理もないことだが、シンジ少年のリツコに
対するイメージも、似たようなものであった。
(美人で、凄く頭が良くて、ピシッとしてて・・・ちゃんとした大人の人、だって
そうとしか思ってなかったんだ・・・・)
 接する機会が限られている上、その機会もほとんど仕事の上でのことなので、
そういったイメージで当たり前なのであるが。確かに、「外」では自分を厳しく律し
て、完璧なイメージを保っているリツコが、裏ではシンジ少年のストーカーと化し、
MAGIを共犯者にして、世界でもップレベルのその能力すべてを
「シンちゃん奪取」
に傾けているとは思うまい。
 以前、シンジ少年の猫耳姿を目撃して、鼻血の出血多量で、死にかけていた
現場の映像でも見れば、シンジ少年の見解は大幅に修正されるだろうが・・・
 と、シンジ少年の、心理的な一瞬の隙をついて、笑顔を近づけるリツコ博士。
「でも、その面だけを、保ち続けられるほど、模範的な人間じゃないわ。実生活
だと、けっこう抜けてたりするし・・・・」
「う、え、あ、そ、そうなんですか・・・」
 初めてと言っていいぐらい、リツコの顔を間近で見て、どぎまぎするシンジ。
リツコは、そこで、いらずらっぽく片目をつむって見せた。
「だから、そういうことも含めて、これから、お互いを理解していきましょ、シンジ君?」
「あ、は、はい・・・・・」
 ぽん、とシンジ少年の背中をたたいて、立ち上がるリツコ。
「じゃあ、シンジ君、お風呂、もうわいているから、先に入って。」
「あ、はい!!」
 シンジ少年は、上気した顔を隠すように、急いで立ち上がって、自分の部屋へと向う。
それを見送って、リツコ博士は、機嫌良く、キッチンの後かたづけに向かうのであった。

                                  つづく

皆様、本当にお待たせしてしまいました(平伏)
阿修羅王でございます。

前回の投稿より、会社の労働争議に勝利した後の事後処理と同時進行で
事務機器商の資格取得を目指し、ようやく成功しました。
今年の頭から、オンラインリサイクルショップなどはじめられました。
なんとか男一人が食っていける程度ですが、在宅自営業になることができ、
ようやく時間の都合がつくようになりました。
これからはがんがん書いていくつもりなので、どうかこれからもよろしく
お願いいたします。
今回は書きたいところに到達する前の、「インターミッション」という
かんじですが、ラスト近くでは前回以上の壊れっぷりを披露しますので、
どうかおつきあいくださいませ。
では!




[管理者のコメント]

ご無沙汰しております。めでたくご開業の運びとなられましたこと、本当におめでとうございます。

手抜かりのないやり口で、シンジを虎視眈々と手中に収めようとする赤木リツコ博士。
シンジに感情移入して読んでる身としましては、このままリツコ狼さんに赤ずきんシンジクンが食べられちゃう展開でもアリな気がします(笑)
久々の連載再始動に今後が楽しみになってきました。個人的には、色っぽい展開をぜひ希望したいところです〜。

皆さんの感想や励ましのお便りを、下記アドレスまたは掲示板の「よわシン愛好板」までお寄せ下さい。
ashuraou@mtf.biglobe.ne.jp
言霊祭