16章 「布石」

 ミサト邸の記憶から、ちょっとだけ警戒しながら、脱衣所のドアを開けるシンジ少年。
(・・・へんなところは、ないみたいだ・・・)
 大きめの全自動洗濯機と乾燥機、タオルや洗剤がきちんと配置されている棚。
シンジ少年は、愛用のシャンプーとリンス、ボディーソープとヘチマ、タオルを入れてい
たマイ洗面器を手に、脱衣所に入っていった。
「あ、シンジ君、洗濯物はそのまま洗濯機に入れちゃってね。」
「あ、はい!」
 シンジ少年がTシャツとトランクスを脱いで、洗濯機の蓋を開ける。
 と、中には、ランジェリーネットの中に収まった、なにやらシースルーの素材の衣類が
何点かすでに入っていた。
(う、うわ・・・まさかこれ、リツコさんの・・・・)
少年特有の潔癖さからか、シンジ少年は、妄想を振り払うように洗濯物を放り込み、その
まま急いでバスルームに駆け込んでいくのであった。

(ふふふ、シンジ君・・・・律儀ね。でも、思ったより、女性に免疫がないのかしら?
 ミサトの家でだいぶ鍛えられてたと思ったけど・・・・)
 当然、キッチンでリツコ博士は、その様をしっかり目撃していた。よく見ると、かけて
いる眼鏡がやや大型で、ごつくなっている。
 100インチスクリーン相当の画質・サイズが体感できる、ゴーグル型の、パーソナル
ディスプレイである。当然、洗濯機の中の仕込みも、前もって準備していたものである。
あわよくば「自己処理」の画像をともおもったのだが、さすがにまだそこまではいかない
ようだった。
(焦る必要はないわ、「戦術」は、まだまだあるし・・・)
 マッドな微笑を口元にたたえながら、リツコ博士は次策の準備に取りかかった。

さて、浴室のシンジ少年は、そんなことはつゆ知らず、のんびりと入浴を楽しんでいた。
大理石をイメージしたパネル配色の、かなり広めの浴室で、浴槽の大きさだけで3畳ほど
の面積があり、そこにたっぷりとした新しい湯が満たしてあった。
 体と頭を洗ったシンジ少年は、湯船に肩までつかって、全身で満足の息を吐き出す。
「はぁ・・・・・」
 体勢を変えて、浴槽の縁に頭を預けて、手足を伸ばす。浴槽の中で寝ころぶような姿勢
が可能なのは、日本の家屋状況では、ちょっと考えられない贅沢である。
(ペンペンがいたら、よろこぶだろうな・・・・)
 真っ先に思い出すのは、残してきた「同居人」のことであった。連鎖式に、二名の同居
人にも思いを馳せる。
「どうなるのかな、これから・・・・・・」
 自分は、ここにとどまるのだろうか。それとも、何週間か、何ヶ月か後に、ミサト邸に
戻ることになるのだろうか。
 ふわふわといろいろなことを考えているうちに、シンジ少年はぼおっとしてきた頭を振
って、浴槽から立ち上がった。
(いけない、のぼせちゃうところだった・・・・・)
 一度、頭から少し冷ためのシャワーを浴びてから、バスタオルで体をふいて、シンジ少
年は浴室を後にするのであった。

「リツコさん、あがりました!」
「あ、はい、じゃあ次は私が入るわね!」
 扉越しのシンジ少年の声に、自室のリツコはすこしあわてて立ち上がった。ゴーグル型
モニターをはずして、かねて準備のいくつかの道具を持つと、シンジ少年のいるリビング
経由で、浴室へと向かうのであった。
「なんか・・・本当にこんなにのんびりしていて、いいんでしょうか・・・?」
 ランニングにショートパンツという格好で、バラエティ番組を見ていたシンジ少年の言
葉、思わずリツコは吹き出してしまった。
「シンジ君・・・本当に、(主夫)が身に付いちゃってるのね・・・・」
「え、あ、ごめんなさい・・・・・」
「あやまならいで。ただ、ちょっとおかしかっただけだから。」
(可愛い・・・・無理をした甲斐はあったわ・・・・)
 シンジ少年に手を振ると、リツコは、上機嫌でバスルームの扉を開いた。

 ミサトにも劣らないグラマラスな身体を念入りに磨きながら、思わずハミングしてしま
うリツコ。曲はベートーベンの第九番、「歓喜の歌」である。
 その有り余る知力を、「若さ」の維持増幅にかなりの部分振り分け、また、激務の中に
も、ボディラインを維持するトレーニングを欠かさないこともあり、赤城リツコ博士の身
体は、肌のつやといい張りといい、十代後半並みであった。
 もっとも、その「成果」が何のためかは、過去と、現在では、対象が大幅に違っている
が・・・
 水流を強くしたシャワーで、全身のボディソープの泡を洗い流すと、浴槽に満たしたや
や熱めの湯に、身体を泳がせた。
「ふうっ・・・・・」
 湯気を透かして見た鏡には、今まで見たこともないくらい楽しげな、自分の顔がうつっ
ている。
(・・・欠点もあるけど、日本人の一般平均よりは、造形的に優れているわよね?)
 自分の容貌を真剣に批評していることにふと気がついて、おかしくなる。
「まるで、初デート前の中学生ね・・・・」
 だが、それ以上の真剣さがあっても、全くおかしくはない。いや、これからの行動の重
要性を考えると、むしろ、当然!
 力のこもった決意とともに、湯からあがる。
 そして、リツコは、手桶に新しいお湯を汲むと、そのお湯に、とっておきのローズの香
水を、思い切りよく振りまいた。
 それを静かに身体にかけて、立ち上る官能的な芳香に納得の笑みを浮かべると、静かな
決意とともに、バスルームをあとにするのであった。
 
「えーと・・・今日は宿題はなかったから・・・」
 リツコがバスルームに消えてから数十分、シンジ少年は、テレビから時計に視線を移し
た。午後11時を指しているのを確認して、テレビを消す。
 立ち上がろうとしたその瞬間、バスルームのドアの開く音がして、かすかに湯気と暖か
い空気の流れを感じる。どきりとしたシンジ少年が、中腰の姿勢のまま動きを止めて二呼
吸。ダイニングルームにあらわれたリツコを見て、シンジ少年の全身は硬直した。
「ふぅ・・・いい湯だったわ・・・やっぱり、シャワーだけじゃなくて、時間があるとき
は、ゆっくりバスタブにつかりたいわね。」
 上気して、いっそう艶を増した肌と、一切のメイクなしでも目鼻立ちのはっきりした美
貌。いや、それはいいとして、問題なのはその姿である。
 薄手の、タオル地のバスローブ姿なのであるが、バストが半分近く露出するほど胸元は
大胆に開き、丈は膝上何センチか聞くのも怖くなる、という形態のものであった。
「・・・っ!!!」
 硬直し続けるシンジ少年に気づかないふりで、シンジ少年に背を向ける姿勢で冷蔵庫の
ドアを開けるリツコ。背中越しに感じるシンジの痛いほどの視線に、声に出さずにそっと
微笑む。
(反応は、予想以上ね・・・・ふふ、じゃ、もうちょっとだけ・・・・)
 軽く姿勢を下げて・・・・ただし、膝は曲げずに・・・冷蔵庫の中のワインボトルを引
き出すリツコ。当然、人体構造上の必然として、腰を突き出すような姿勢になる。そして
配置上、シンジ少年は、その正面にいることになる。
「ーっ!!!!」
 シンジ少年の声なき絶叫に、背筋から首筋にかけて心地良い衝動の走るリツコ。
 一方シンジ少年は、バスローブに包まれた、日本人離れした美しさのヒップを突きつけ
られて、衝撃のあまり、動くどころか目をそらすこともできずに、さらに硬直している。
 近くで見てみると、やはりそのローブはかなり薄手で、しかも丈の短いそのローブ着用
で「そんな姿勢」をとったのであれば、言うまでもなく、その引き締まった、白い太股の
つけねギリギリまであらわになり、いっそ裸の方がまだ大人しいといえる状態だった。
 冷蔵庫のドアの閉まる音で、ようやく大宇宙をさまよっていた意識が戻るシンジ。
「くっ!!!」
 中腰で止まっていたのは、一種幸いだっただろう。
「直立すると不具合の出る身体的変化」
 によって、立ち去るわけにも行かず、力無くソファに座り直すシンジ少年。
「あら?シンジ君、どうしたの?」
 わかっていて聞くリツコも一種残酷だろう。片手にグラス、片手にワインボトルといっ
た姿勢で、シンジ少年の斜め横にふわりと座る。
「いや、あの・・・何でもないです・・・・」
 この世でもっとも説得力のないいいわけとともに、下半身の変化を必死で沈静化させよ
うと試みるシンジ少年。もっとも、その効果は悲しくなるほどに期待できなかったのであ
るが・・・
 不穏な空気をはらみつつ、赤城博士宅の夜は、ゆっくりとふけていくのであった。

17章へ続く