17章 「包囲、形成」

「なんでもない、ようにはみえないわよ?大丈夫?
 私は、一応医師の資格も持ってるの。ちょっと見せて・・・」
 シンジ少年の方に、軽く身を乗り出すリツコ。その拍子に、彼女の身体から、頭がしび
れるような甘い匂いが立ち上って、シンジ少年を包み込んだ。
 シャンプーとトリートメント、ボディソープ、それにリツコ秘蔵のローズの香水、さら
にそれとは微妙に異なる香り・・・当然、リツコの女性フェロモンである・・・が一体に
なった芳香に、シンジ少年の頭脳は頭蓋骨で銅鑼を乱打したような状態である。
 しかも、大きく胸元の開いたリツコのローブは、身を乗り出した時に、巨大な谷間を見
せつけている。
(う、う、うわああああああああ!!!)
 そのまま卒倒しかけるシンジ少年だったが、パニックを起こした瞬間、「前回の事件」
で培われた自己防衛本能が、その潜在力をフルに発揮したのか、やっとの事で、言葉を絞
り出すことに成功した。
「り、り、リツコさん!その格好!!」
 シンジ少年の精一杯の「反撃」に、内心舌を出しながら、怪訝そうに首を傾げるリツコ
博士。
「私の・・・格好?変かしら、これ?」
 不安そうな色までにじませたリツコの声に、必死に続けるシンジ少年。
「変、って・・・・そんなことありません、凄く似合ってます・・・・
 あ、あの、そういうことじゃなくて、その!!!」
「・・・?」
 形のいい眉に疑問符を浮かべながら、さらに、少しだけ間合いを詰めるリツコ。
 胸元のくっきりした谷間がさらに接近し、呼吸困難に陥りながらも、何とかシンジは、
 端的に状況を言語化することができた。
「そ、そ、その格好は、ちょっと露出が高すぎますよ!!」
 そのあとは、必死に目をつぶって、状況の映像情報を遮断する。
 リツコ博士、本当は楽しくて仕方がないのだが、一瞬、呆気にとられたような表情をつ
くって、二、三度瞬きをしてみせると、大げさな動作でバスローブの胸元をかきあわせた。
「あ・・・・ご、ごめんなさい、シンジ君!!気がつかなくって!!」
「いえ・・・・・」
 もう目を開けても大丈夫そうだとわかって、視線を宙にさまよわせたまま、明後日の方
向をむくシンジ少年。
「本当にごめんなさいね、シンジ君。ずっと一人暮らしだったから、そういったことに鈍
感になっちゃって・・・・男性の前で、はしたない・・・・」
「え、あの、ちょっと目のやり場に困っただけですから、そんな・・・・」
 まだ、少し恥ずかしそうな表情で、少女のように笑うリツコに、こちらも恥ずかしそう
に笑い帰すシンジ。
「こんな、おばさんの露出度が高くても、嬉しくもなんともないでしょう?」
「そんな!!リツコさん、凄く綺麗ですよ!!」
 半ば要求した答えとはいえ、予想以上にその響きの心地よさにうっとりするリツコ。
「あら、本当?お世辞でも、嬉しいわね。」
「お世辞じゃないですよ!」
 必死に、お世辞ではないことを訴えようとするシンジ少年。実際、写真や映像を含めて
彼が見た中では上位5名にはいるほどに美しい肢体だったのだから、駆け引きなしに熱心
である。
「凄く、若く見えるし、肌だって綺麗だし。凄くスタイルも良いですし・・・」
 語彙はごく当たり前ながら、一生懸命に説明しようとするシンジ少年の熱意に、思わず
微笑むリツコ。バスローブから伸びた、造形美を集約したような白い足を、ゆっくりと組
み替える。
「うふふふ、嬉しいわ。シンジ君にそういってもらえるなら、ちょっと自信がもてるわね。」
 そこで、少し声を低めてささやいた。
「じゃあ、シンジ君・・・・」
「・・・なんですか?」
「・・・さっき、少しは嬉しかった?」
「な、な、なに言ってるんですかあああああ!!!!」
 思わず叫ぶシンジ少年。リツコは、すました顔で首をかしげる。
「・・・・私は、ごく単純に聞いてみただけなんだけど・・・・何か、いやだった?」
 そういう対応はちょっと予想していなかったシンジ少年。ミサトだったらここぞとばか
りにからかいまくるだろうし、アスカだったら
「アンタ、なに本気にしてんの?」
 と馬鹿にされるところなのだが。
「ええと・・・その・・・・そりゃあ、あの、嬉しくはありましたけど・・・・・」
 内心、力のこもったガッツポーズを決めるリツコ。
「でも、ちょっと刺激が強すぎますよ!!もうちょっとで、下着見えちゃいそうですよ!!」
「大丈夫よ。下着が見えることはないわ。」
「そんなこと言ったって、今だって、もうほんの少しで・・・・・」
「下着は、つけていないもの。」
「・・・・・え?」
 計算し尽くしての爆弾発言に、一瞬時間の停止したシンジ。
「お風呂に入ったあとは、下着はつけないことにしているの。リラックスするためにね。」
 凍結した時間の中、思考だけが駆け抜けるシンジ少年。
(それって、それって・・・・・・)
(上も下も、下着なし・・・・)
(じゃあ、さっきも・・・・・というか今現在も・・・)
 おもわず、ふともものつけね近くまでむき出しのリツコの足に視線が落ちるシンジ。
「嘘じゃないわよ。ほら。」
 全く冷静なままの声と共に、バスローブの胸元をすっと開いてみせるリツコ。
 それほど大きくは開かなかったが、バスローブ自体がゆったりした作りのため、その白
いおなかが見えるほどまで開いたのである。大きいだけではなく、理想的な形と高さの胸
が、乳輪ちかくまではっきりと外気に触れていた。
(・・・・・さあ、どうかしら?)

そして、時は動き出す。

「うわぁあああぁあああぁああああ!!!」
 いつぞやの暴走する初号機に似たポーズを取って、絶叫したシンジ少年は、脱兎のごと
くリビングを駆け抜けて廊下に出ると、柱に何度も頭突きをかまして、必死に妄想を振り
払おうとした。
(本当に、本当に、下着なしって・・・・・・)
(じゃあ、あのときのお尻も・・・・)
(あまつさえ、あの時の、あの部位も・・・・)
(あと角度が少し、ずれていたら!?)
 ひとしきり頭突きを乱打した後に、廊下に崩れ落ち、荒い呼吸を繰り返すシンジ。
 まともな視覚と性欲をもつ人類ならば、彼の血の暴走を、誰がとがめられるだろうか?
「シンジ君、大丈夫?シンジ君!!」
 戦果を十分に確認して内心笑いが止まらないリツコだが、外面はあくまで不意のシンジ
の行動に驚いた様子で駆け寄って、シンジ少年を抱き留めるリツコ。
 もふー、もふー、と怪しげな荒い息をはきながら、必死に呼吸と妄想を沈めようとする
シンジ少年の背中を支えながら、もう一度リビングのソファに座らせる。
「・・・シンジ君、なにか、悪いことをしたのかしら・・・・ごめんなさい、学者馬鹿っ
てやつかしら・・・・ちょっと、世間の常識とずれているところがあって・・・・・」
「いえ・・・・あの・・・・リツコさんのせいじゃないです・・・・・変な行動をとって
・・・ごめんなさい・・・・」
 実際は彼女のせいのうえに確信犯全開なのだが、知らぬが花である。
「あの・・・・あの・・・・リツコさん、凄くよく似合ってるし、ある意味凄く嬉しいん
ですけど・・・
やっぱり僕にはちょっと刺激が強すぎます。もう少し、露出を押さえてもらえますか?」
「ええ。じゃあ、明日から、もう少し長い奴にするから・・・・ごめんなさいね、慎みが
なくて・・・」
 すまなそうに頷いてから、少し表情を変えて、嬉しそうに微笑んでみせる。これは全く
の本心そのままでもある。
「でも、正直、嬉しいわ・・・・シンジ君、私のこと、ちゃんと女性として見てくれてい
るのね。」
「え?」
 シンジ少年の疑問符を受けて、微笑むリツコ。
「人にもよるけど、女にはね、男性の賛美の視線って、凄く心地良いのよ。
 それが、自分の嫌いじゃない人なら、なおさらね。」
「か、からかわないで下さい!」
「からかってなんか、いないわよ。私にとって、シンジ君は、男性としても、好ましい相
手に思えるわ・・・・」
「好ましい、って・・・・・」
 意味が脳内に浸透するまでの時間に、距離を少しだけ詰めるリツコ。
「料理上手なところも、一生懸命なところも、それに、自分の感情を伝えるのが、ちょっ
と苦手なところも・・・」
 そのまま、シンジ少年のさらさらした髪の感触を楽しむように、指に髪を絡ませる。
「顔立ちも、体つきも。・・・・っていったら、ちょっと問題があるかもしれないわね?」
 今までのリツコとは全く違う、一種の「押しの強さ」を全身で感じて、今まで幾度とな
くさらされてきたために敏感になった「危険信号」が激しく警鐘を打ちならすのを感じる
シンジ少年。
 なんとか間を持たせようと、必死に思いついたことを口にする。
「え、あの、いや、僕なんて、そんな・・・・リツコさんこそ、そんなに美人で、頭も良
くて、スタイルだって良くて・・・・胸の形だって、凄く綺麗で、とっても色っぽいし、
その・・・・・」
(なにを口走ってるんだ僕はあああああああ!!!)
 どうやら、危険予測は発達しても、その後の対応方法は全く未発達だったらしい。
(当たり前と言えば当たり前であるが)
 リツコは、シンジ少年の発言に、びっくりしたように二、三度瞬きをした直後、じわっ
と広がる幸福感に、頬が上気するのを自覚した。
 すこしうるんだような目で、さまようシンジ少年の視線を捕まえる。
(まずい!なんだかとてもまずい!!!)
 シンジ少年の警鐘はすでに全力なのだが、相変わらず対応策はとれてない。
 リツコが、無言のままで微笑んで、シンジの手に自分の手を重ねた。そのまま、柔らか
く、しかし断固とした意志で、その手を優しく握る。
(どうしよう!どうしよう!)
 戸惑うシンジ。決断するリツコ。
(かなり、予定より早いけど・・・・いいわよね。所詮、人間は感情の動物だし。ロジッ
クじゃないものね、男と女は・・・・・)
 時と場合によって、都合良く論理を放棄する赤城博士。それでも科学者か。

 目を半ば閉じたリツコが近づいてくるのが、スローモーションのように見えている。
アドレナリンの大量分泌による、感覚の鋭敏化だろうか?そのわりには、身体が全く言う
ことを聞いてくれていないのであるが。
 シンジ少年は、凍り付いたような意識のなかで、自分も目を閉じた。

18章に続く