18章 「歓迎されざる乱入者」

(母さん!!母さん!!こう言うときはどうすればいいの!?)
 一瞬にも満たない短い時間の間に、シンジ少年は母に祈り、母に願った。
 次の一瞬、彼の脳裏に、天使の輪を浮かべた白衣姿の、美しい母の姿が浮かんだ。
 問題は、彼女は、白衣の下は、自らの理想的なボディラインを誇示するような、
 黒の極小紐ビキニの上下という格好だったことである。
 ある意味「コヒガタキ」であるリツコへの対抗心だろうか。
(母さん!なんてかっこうしてるの!!)
(シンちゃん、私もリッちゃんなんかに負けないわ!シンちゃんも負けないで!
 リッちゃんなんか、屈服させちゃいなさい!!!レッツファイト!!)
 ユ@ケル@帝液と赤@ムシドリンクを両手に応援しているユイさん。
 なにを考えている。
 一瞬のヘヴン・トリップから帰還したシンジ少年は、顔に、リツコの吐息を感じて、硬
直した。もう至近距離である。ついに観念して、ぎゅっと目を閉じた。その瞬間、なぜか
頭を走ったのは、
(ごめんなさい!!)
 という、文字。誰へか、なぜかは全く不明なのだが。
 だが、その思いは通じた。

 ピンポーン!!!

 通常は静かに響くはずのチャイムが、状況が状況だけに、耳元で銅鑼を殴りつけたよう
に響きわたった。反射的に、全く同じ姿勢で、何故かビシリと背筋の伸びる二人。
 一瞬視線を合わせて、そのまま無言で思考停止する。
 ピンポーン。
 5秒後、さらに鳴らされたチャイムで、あわてる必要はないのにわたわたと距離をとる
二人。
「・・・・だれよ、もう!!!こんな時間に!!!」
(あと少しで!!)
 という言葉は飲み込んで、照れ隠しに憤然と立ち上がるリツコ。
 こちらも、訳の分からないままに、照れ笑いを浮かべるシンジ。
「ごめんなさい、シンジ君。ちょっと、お酒が回りすぎたみたいね。」
「いえ・・・・」
(よかった、お酒のせいだったんだ・・・・)
 ほっとしつつもちょっと残念なシンジ少年。正直な彼の顔に出た気持ちに、くすっと笑
って続けるリツコ。
「でもね、ちょっと突飛な行動になっちゃったけど、言ったことは嘘じゃないわ。一緒に
いて嫌な人間と、生活しようとは思わないもの。
 あら、これはミサトの言葉だったかしら?」
 それだけ言って、照れたように、玄関へと向かった。
 正確に、ドアのチャイムは、5秒間の間隔を開けて鳴り続けていたのである。
「嘘じゃ、ない?」
 その場には、またもや硬直するシンジ少年と、「封の切っていない」ワインボトルが残
されたのであった。シンジ少年がそれに気づかなかったのは、神のせめてもの慈悲だった
かもしれない。

「いったい、誰・・・・・!?」
 かなり私的な怒りをまき散らしながら、辛抱強くまだ鳴り続けているチャイムを背景に、
インターフォンのアンタッチボタンに手をかざす。
 壁に備え付けの画面が点灯し、来訪者の姿を映しだした。
「・・・・レイ?」
 無言、無表情のまま、制服姿でたたずんでいるのは、見間違えるはずもない、ファース
ト・チルドレン、綾波レイである。
(何で、ここに?)
 こんな時間に、というか、そもそも赤城リツコ博士の自宅に、レイが訪ねてきたことは
一度もない。非常事態なり、質問があったりする場合は、綾波レイがまず本部に連絡を取
り、必要であれば本部からリツコ博士に連絡が回ってくるはずだった。
 ともかく、通常とは違う事態に違いはない。リツコ博士は、インターフォンに向かって
声をかけた。
「はい、赤城です。どうしたの、レイ?」
「・・・・赤城博士、用件が数件あったので、来訪しました。」
 そこで、少し考え込んで、付け足した。
「夜間の来訪、すみません。」
 モニターの前でちょっと感心するリツコ。
(シンジ君の、薫陶のたまものかしらね?)
 彼女の業務上は、レイが感情の幅を広げていくのは、どちらかといえば好ましくない。
だが、シンジ少年の影響力は、興味深かった。
「わかったわ。今、ロックをはずすから。」
「はい。」
 エントランスのロックをはずして一分ほどで、再びチャイムが鳴った。玄関前に到着し
たらしい。もう一度モニターをのぞくと、変わらず無表情、無言のままのレイの姿が確認
できた。ちなみに、エントランス、エレベーター、廊下、そしてこの玄関前と、徹底した
武器チェック・電子機器チェックが行われている。
(手荷物もほとんど変化なし・・・・何の目的かしらね?)
「赤城博士、到着しました。」
「今、出るわ。」
 そこで、やっと落ち着いたのか、シンジ少年がリビングから顔を出した。
「リツコさん、来たの、綾波ですか?」
「ええ・・・なにかあったのかしらね。」
 首を傾げながら、ドアロックを解除する。
 圧搾空気の抜ける、ため息のような音と共に、初号機パイロット・綾波レイが現れた。
「・・・こんばんは。」
「こんばんは、レイ。あがって。」
 短い挨拶と共に、レイが靴を脱ぐ。
「綾波?どうしたの、こんな時間に?」
「碇君・・・・こんばんは。」
「うん、こんばんは、綾波。」
 そんな短い挨拶のやりとりでも、少しだけ嬉しそうに表情が微妙な変化を見せるレイ。
余人なら全く気づかない程度だが、育ての親である赤城博士にははっきりとわかった。
(なんか、不愉快ね・・・・・)
 複雑なのか単純なのかわかりづらい不快感とともに、視線をやや厳しくするリツコ。
その視線を強固な無表情で受け流すと、レイは静かに口を開いた。
「本日、業務終了後、葛城三佐とセカンドチルドレンが、ここに来訪したと、配信された
報告書で読みました。」
「ええ、事実よ。」
「私も、それにならって、サードチルドレンの居住区の位置の確認に来ました。」
「え?」
 多少、唖然とした声を出すリツコ。少なくとも、レイの返答が、あまり予想していない
ものだったのは間違いない。
 一瞬、反論を忘れたリツコの隙をついて、シンジ少年のそばまですたすたと歩み寄るレ
イ。その赤い瞳で、まっすぐにシンジ少年の顔を見つめる。
「な、なに?」
「碇君・・・・怪我をしているわ・・・・」
「え・・・・ああ、さっきの・・・」
 柱に向かって頭突きを乱打すれば、怪我ぐらいして当然である。といっても、額の皮膚
が少しすりむけた程度のものではあるが・・・・
「ちょっと待ってて・・・・」
 シンジ少年をソファに座らせると、自分もそのそばにしゃがみ込む。手にしていた学生
鞄を開けると、中から消毒液のプラスチックボトルと、絆創膏を取り出す。
 大人しく座って治療を受けているシンジ少年の髪を手でかき上げると、一見無造作に、
しかしその実は細心の注意を払って、消毒液を吹き付けるレイ。
「つっ・・・」
「少し、我慢して・・・・」
 そのまま、4センチ四方の正方形の絆創膏を貼り付ける。
「これで、いいわ。」
「あ、ありがとう、綾波・・・・」
 照れたように笑うシンジ少年を、どことなく満足そうにみつめかえすレイ。
 当然、面白くないのはリツコ博士である。
(くっ・・・・なによ、この雰囲気は!!)
 自分が現在のレイの場所にいれば、どれぐらい嬉しいかという仮定を立ててしまい、反
射的にいらだちが急上昇するリツコ。そう、もし、レイの来訪がなければ、それは決して
仮定ではなかったかもしれないのに・・・・!!
 鬼や悪魔のたぐいも一歩退きそうな剣呑な意志を秘めた視線を思い切りレイに突き刺す
リツコ。レイは、静かな中にも絶対の決意をもった瞳で、それを正面から受け止めた。
 大気中に無形の火花が派手に散ることも知らず、シンジ少年は、二人の美しい女性を、
不思議そうに見つめていたのだった。

19章へ続く