第19章 「レイ、戦術」

振り下ろした刃どうしが絡み合うような視線をふっと外して、レイはシンジに向き直った。
「碇君。ここでの居住は、快適・・・?」
「・・・・どういう意味かしら、レイ?」
 低気圧をはらんだ赤城博士の声は涼しく無視して、視線で答えをうながすレイ。
「え?あ、ええと、快適、だと思うけど・・・・」
「そう・・・・」
「本当だよ?まだ今日来たばかりだけど、いろいろ、僕が過ごしやすいように気遣ってもら
えるし、家事も少ないし。」
 レイは、頷いて、リツコに向き直った。
「赤城博士、今回の住居変更は、サード・チルドレンである碇君の疲労軽減と、環境の改善
が主な目的でしたね?」
「ええ。」
「今日は、それが正しい方向に進んでいるかの、確認もかねて来訪しました。」
(この子・・・・)
 内心、やや驚きながらも、表情は全く動かさないリツコ。どころか、やや視線を険しくし
て反論する。
「あなたの意図は分かったけど、それは越権行為じゃなくて?この問題は、作戦部及び司令
部の管轄で、パイロットには関わりのないことだわ。」
 表情を変えない、ということでは、リツコの遙かに上を行くレイ。
「同僚の健康状態は、戦局全体にも、また、同じ戦場で共に戦う私たちパイロットの生命に
も、直接関わってきます。
 また、業務時間外で、命令に反しない範囲での私的な交流は認められているはずです。」
 ちらりと一度、シンジ少年に視線を走らせるレイ。
「碇君は、軽度の負傷をしているようですが・・・・」
「・・・原因は、日常生活の範囲内でのことよ・・・・」
 一瞬の沈黙の後にそう答えるリツコ。まさか、原因が
(お風呂上がりにノーブラノーパンバスローブ攻撃)に対するシンジ少年のプチ暴走の結果
とは言えまい。
「・・・・暫定とはいえ、保護責任者である赤城博士には、よりいっそうの注意を、願いた
いとおもいます・・・」
「もとより、そのつもりよ。心配しないで。」
(この「役目」を獲得したからには、責任をはたせってこと?)
 ごくわずかに唇を噛むリツコ。レイが、ここまで積極策に出てくるとは、さすがに予想に
入れていなかった。
「わかったわ。でも、レイ。もうすでに、夜も更けているわ。確かに、あなたはシンジ君と
私的交流の権利を持っているけど、少し、非常識じゃなくて?」
 別方向からの反撃にも、まったく表情を変えないレイ。おそらく、幾通りものシミュレー
トを繰り返したのだろう。
「常識、という項目が、学習プログラムの中には入っていなかったので・・・・・」
 さすがに、この切り返しにはうっ、という表情を、ごく短時間ではあるが浮かべるリツコ。
「リツコさん・・・・・」
 シンジ少年の、微量の非難を含んだ視線が頬に痛い。
 たしかに、教育プログラム項目の中に、「一般常識」の項目は最低限だった上、
「気遣い」だの「配慮」だのというものは一切なかった。これに関してはリツコ博士は文字
通りの「責任者」であるので、反論できない。
「レイ、シンジ君には、十分な休養が必要よ。」
 内心の同様を毛ほども表さず、反撃にうつるリツコ。
「それが、住居変更の主な目的だったでしょ?確かに、あなた達には、私的な交流の権利が
あるけど、それが日常生活に響くことは、好ましくないわ。
 夜間の訪問は、これからは出来るだけ、控えて欲しいわね。」
「はい・・・・」
(シンジ君と二人っきりの「夜間」が、こちらの最大の狙い目なのよ!!)
(赤城博士・・・夜間に・・・行動するつもりね・・・・)
 お互いに、視線だけで音もなく銃火を交錯させる二名。そこは、育ての親と娘、アイコン
タクトで大体のことは解る。ましてや、「目的」がおなじであれば。
「あの、リツコさん・・・綾波も、解ったと思いますから。せっかく気遣って来てくれたん
ですし・・・ちょっと雑談するぐらいは、許してくれませんか?」
(くっ!!シンジ君!そんな!)
(あなたは犯れないわ・・・私が守るもの・・・・)
 内心、レイにボディブローをかましたいリツコ博士と、シンジ少年の視界に入らないよう
に、口元をほんのわずかにつり上げるレイ。リツコは、また、やや守勢に回りながらも、で
きるだけ論理的に、シンジを諭そうとするる
「シンジ君、同僚を気遣うことは美徳なのかもしれないけど、あなたは、パイロットとして
自分の体調を管理することも、義務の・・・・・」
 そこで、唐突に、レイがリツコに話しかけた。
「ところで、赤城博士。ダミープラグの精製課程の、私とのリンク調整なのですが・・・」
(なっ!?)
 ばっ!!とレイを振り返る赤城博士。
「やはり、模擬的に認識させるためには、まだ障害が多く・・・ことに、初号機の碇ユ」
 バシッ!!
 すさまじい早さでレイの口を塞ぐリツコ。デスクワークが専門とは思えない素早さである。
が、さすがに、背中には冷や汗が浮いている。そのまま、レイを抱きかかえた姿勢で、ダン
スのターンのようにぐるんと背を向ける。
(レイ!どういうつもり、重要機密でしょ!?)
(・・・・・)
 鋭くささやくリツコに、無言のまま、視線で疑問符を浮かべてちょっと首を傾げるレイ。
彼女は、どうやら、様々な自己学習から
(すっとぼける)
 という技法を拾得したらしい。
(レイ、その話題は禁句よ、わかった!?)
 無言のままでレイがうなずくのを確認してから、ようやく口から手を離す。
「リツコさん、どうかしたんですか?」
「え、いえ、あのね・・・・あ、ちょっと諜報部の機密部分だから、テストパイロット以外
には教えられないの・・・・ごめんなさいね。」
「あ、そうなんですか・・・・」
 リツコは、このときほど、シンジ少年の(鈍感さ)をありがたく思ったことはない。
「申し訳ありません・・・この問題は、機密特命外でしたので・・・以後気を付けます。」
 ひとまず、胸をなで下ろすリツコ。
「それでは、加持諜報員の持ち帰ってきた、ベークライト硬化状態の、幼生の話題なども」
 バシッ!!!
 前回を上回る速度で、レイの口を塞ぐと、唖然としているシンジ少年を置き去りに、その
まま小脇に抱えて廊下まで拉致奪取する赤城博士。
 シンジ少年の視界外に出るやいなや、バスローブのポケットから、SIG・P230中型自動拳
銃を抜き出して、荒い呼吸と共にレイの顎に突きつける。
「レイ・・・何のつもり・・・!?保安条項特記、機密保持権限で射殺するわよ・・・!?」
 震える銃口を前に、平然と首を傾げてみせるレイ。
「申し訳ありません、これも、機密特命外でしたので・・・確認しようかと・・・」
 言わなくても解るでしょ!という怒声を必死に飲み込むリツコ。
 レイは、ネルフ、ひいてはゼーレの「計画」に、自分が必要不可欠なことを理解している。
そのうえで、それを武器に使いだしたのだ・・・・!!
(な・・・なんてこと・・・)
「申し訳ありません、条項に抵触したならば、処分は受けます・・・」
 出来るわけがない。そのことを、この少女は利用し始めたらしい。
 当然、最重要人物の綾波レイになんらかの「処分」を出来るはずがない。また、碇指令が、
異様な執着を見せ、それよりずっと重要なことに、シンジ少年の「仲のいい友人」である、
レイに、この場で何が出来るだろうか?
(だから・・・自意識を・・・持たせないようにしていたのに・・・)
 控えめに言って組織の一部(しかも心臓部)有り体に言ってしまえば道具であることを義
務づけられた少女である。「疑問」や「反抗」はもってのほかであり、零号機とのシンクロ
問題も含めて、そのための「感情を持たせない」教育方針だったのである。その「歯車」が
自分で考えた行動を取り始めたとき、これほど恐ろしいものだったとは・・・・
(最悪、ネルフも、ゼーレも、委員会も滅ぶわよ・・・)
 自分でも信じがたい自制心を発揮して、ようやく、震える銃口をおろすリツコ。
「レイ・・・何が、何が目的・・・?」
「赤城博士・・・解っていると思います・・・」
「・・・・・」
「多少の、配慮をいただければ、それで・・・」
「わかったわ、一時間の雑談までなら・・・ただし、記録に残ることは、忘れないで・・・」 
 ほんのわずかに、「勝利の笑み」を浮かべるレイ。
「はい、感謝します。それで、私の処分は?」
「・・・明日、碇指令の判断を仰いでから決定するわ。それまでは、処分保留よ・・・・」
「はい、ありがとうございます・・・」
 常人には解らない程度の変化、(上機嫌)さで、レイは静かにキッチンへ戻っていく。
 赤城リツコ博士は、ずきずきと痛むこめかみを押さえて、重い重いため息をついた。
「・・・まさか、こんな行動をとるなんて・・・」
 さすがに、「固有名詞」をだしていないのは、一応、「取引材料」としてしか使わないと
言う意思表示だろう。ネルフのことを迂闊に話したのであれば、レイ自身の出自にも触れる。
(レイは・・・そのことは、知られたくないのかもしれないわね、やっぱり・・・)
 だが、もし知られたら、シンジ少年の反応はどうなるだろうか?
 たとえ、彼女が、「人の作り出したモノ」であったとしても、彼が、そのことで彼女を嫌
うことはないだろう。反対に、そのことで、彼女に強く惹かれてしまうこともありえる。
「同情」や「優しさ」という、ある意味単純な感情ではないだろう。それらを含み、その上
でもっと強い、もっと激しい感情になりかねない。
 一方、自分たちは、どう思われるか・・・・
「嫌悪、の方面以外には考えられないわね・・・・」
 嫌悪、怒り、侮蔑・・・それはこちらが受けて当然のものだし、それを承知で行ってきた。
それに後悔はない。だが、さすがにそのときのことを考えると、暗鬱な気分になってくる。
「どうしたらいいの・・・母さん・・・」
 そのまま座り込んでしまいそうになったが、その一瞬、脳裏に、母親・赤城ナオコの姿が
浮かんだ。
 白衣姿の、30代後半ほどの女性・・・赤城ナオコ博士は、天使の輪を浮かべて。
 いとも慈愛に満ちた笑みを浮かべて、
 中指を立てた。
(リッちゃん、自業自得よ、自業自得!いまさら悩んでもダメダメ!)
 恋敵にあたる娘が悩んでたのが小気味良いのか、上機嫌でうなずく故・赤城ナオコ博士。
すばらしい親子愛である。
(このエロ年増学者ァァ・・・・!!)
 脳裏に浮かんだ非論理的幻想(だと思いたかった)をうち消して、決然と立ち上がるリツ
コ。怒りが、落ち込んでいた考えに一定の方向性を与え、思考を活性化させたようである。
(いいわよ・・・嫌われることぐらい、覚悟してたんじゃない!)
(やってやるわ、とことん!!)
 とりあえず、今日はもう休もう。まだまだ、やるべきことは山積している。
 まず、明日以降も、細心の注意を払って、(シンジ少年の疲労回復)につとめよう。同時
に敵手たちに対抗する手を表裏共に打って・・・
 そこまで考えたとき、廊下とリビングの間にある扉が開き、シンジ少年とレイが現れた。
「?」
 少し意外な表情を浮かべるリツコ。リツコが指定した一時間という時間は、まだ半分もつ
かっていない。
「綾波、そろそろ帰るそうです。」
「あら、そう・・・・」
 レイは、また、そのき美貌に一切の表情を消して、うなずく。
「ええ、目的は果たせましたので・・・・遅くに失礼しました・・・」
(なにか、あったのかしらね・・・?)
 内心疑問の残るリツコをそのままに、一礼して玄関へ向かい、靴を履くレイ。
シンジ少年が、鞄を手渡して手を振る。
「じゃあ、綾波、また明日・・・」
 レイも、その挨拶に、満足げに挨拶を返す。
「ええ、碇君、また、明日・・・」
 台風のような乱入者は、いとも静かに、自宅へと帰っていったのだった。

20章へ続く