第19話 夢
道を走りつづけている。
どこの道かは分からない。もう、随分前から走りつづけていた。
左右にビルがちらほら。時折民家の様な物も見える。
明るかった。
炎が町を覆っていたから。
体中が痛かった。
理由は分からない。
息が切れている筈なのに、不思議と疲労感は無かった。
夢だからだが、それを分かっていないのだから仕方が無い。
そして、巨大な体躯をした人型の物が横たわっているのが分かる。
時にはカシスのゾックが腹に穴を空けてビルに体重を預けていた。
時にはシグが操縦を嫌がっていたゲルググが暗くしたカメラ・アイをこちらに向けていた。
時には、四肢を失った空色のグフが天を仰ぎ見るように首を上に向けていた。
その周りを、ボロボロになった白やオレンジのMSが往来していった。
中には落ちる物も現れる。
恐かった。
見た事があるような赤い、肩に砲塔を背負ったMSがこちらを向いたような気がした。
淋しかった。
タンク型のMSが横を走っていくのが見えた。
救って欲しかった。ここに居るのは嫌だ、と思った。
目の前が不意に開けて、そこに緑と土の色をした巨人が現れた。
恐怖と絶望が周囲を包んだのが分かった。
心の中は悲しみでいっぱいだった。
上を向いた。
光が降り注いでくるのが分かる。
その真ん中に、純白の翼を背負った少女が居た。
近づいてくるに連れて顔が視認できるようになる。
それは、数年前にこの世から去っていった恋人、フリル・シンスである事が認識できた。
彼女はハリスに手を差し伸べている。
ハリスの頬に涙が筋になって流れた。彼はそれに気付かない。
フリルの方に腕を伸ばした。
指と指が絡み合う。
そして、彼女を抱き寄せた。

最初、ハリスはまだ夢の中に居るのではないかという錯覚に襲われた。
見慣れない部屋。
自分が寝ているふかふかのベット。
頭の真上にある時計。
逆に真下にある大きな木製のクローゼット。
右側に視線を向けると机があり、左側には壁があった。
クローゼットの右側には窓があり、外からはチュンチュンと鳥の鳴き声が聞こえる。
日当たりも良かった。
ボーッ、とした頭で寝返りをうつと、左腕から脳髄に痛みが走る。頭が覚醒した。
「なっ、ここは!?」
まず、彼が最初に浮かんだのは連邦軍に掴まったのではないか?、という事だった。
だが、軍隊が捕虜にこの様な部屋を提供するとは思えない。
「ちょっと待て・・・。」
必死に、今の状況を把握しようとした。
まず、記憶の糸を手繰り寄せる。
・・・俺の名前はハリス・クルンプ。25歳独身で高校卒業後に士官学校入学。
必死に今の自分の立場を考える。
・・・士官学校卒業後に戦地に駆り出される。これがほんの三週間前だったはず・・・。
イマイチ確信が持てない自分が情けなくなってきた。
・・・階級は伍長。確かヒューストン艦長の「クナシリ」でストームに配属される予定だったよな・・・。
これが今の彼の記憶である。
考えている間にも、体の節々を謎の痛みが襲った。
特に左腕は内面から来るようなじわじわとした、それでいて激しい痛みがある。
が、その原因は彼の記憶には無い。
今の彼に残っている物は、自分が「クナシリ」にいた事ぐらいだ。
・・・分かんね。
考える事を放棄した。それで、初めて自分がジオン軍の制服ではなく、見慣れないパジャマに身を包んでいる事に気付いた。
毛布を除けてみる。
「うわっ・・・。」
どうりで痛いはずだよ、こりゃあ。
そう、声に出して呟いていた。
体中に傷があった。
傷口には包帯やらバンソウコウやらがあったが、そこに赤い染みがあるのを見ると良く無事だったな、と思う。
毛布もベットも、枕も皆が清潔だった。
「・・・・・・。」
考えた末、もう一回ベットに寝転がることにした。
ドアの外から、パタパタとスリッパの音が聞こえて来た。階段を上る音だな、と思う。
ハリスは、自分がどうしてこんなに落ち着いていられるのかが分からなかった。
ドアの方に目を移すと、横に濡れタオルが転がっている。飛び起きた時に落ちたのだろう。
足音がドアの前で止まった。
ハリスは、あの足音は子供か女のだな、と思った。
ドアノブが動いた。
次の瞬間、彼は天使が来たと錯覚した。
ふわり、と宙に舞う金色の髪。
透き通るような白い肌。
くりくりとした可愛らしさを残した瞳。
愛らしい小さ目の鼻。
健康的な色をした唇。
その天使がハリスを見た時、その唇が動いた。
「あっ、起きた。」
替えのタオルを持って来たのだろう。それを床に置くと、
「お父さ〜ん!」
起きたみたいだよ〜。
そう、大声で廊下に呼びかけた。
その声は、多少能天気だった。
今度は、小さい声で「分かった。」という声が聞こえて来た。
お父さんなのだろう。
続いて、バタバタと廊下を走る音が聞こえた。
ハリスは、場違いにも小学生ぐらいの時に「廊下を走るな。」と先生に嫌になるほど言われたのを思い出した。
「ちょっと待っててね。」
天使の女の子が言った。
しかし、その天使には翼も無ければ頭の上の輪っかも無かった。
天使ではないと、判断した。普通の女の子だ。
先程までのバタバタとした足音が大きくなる。
すぐそこで止まるとドアが開いた。
「具合はどうだい?」
そう、親しげに話し掛けて来たのは見た事も無い中年くらいの男だ。
左腕に義手をしているのが目立った。
先程の問いに答えていないのを思い出す。
「良い気分ですよ。」
とりあえずそういう事にした。
「そりゃよかった。」
笑いながらそういう男に、ハリスは好感を覚えた。
「自己紹介がまだだったな。私はジェスト・エメス。こっちは娘のソフィアだ。」
ジェストと名乗った男は先程の少女の肩に手を乗せた。
「分かってもらえたかな?ハリス・クルンプ少尉?」
一瞬、ハリスは耳を疑った。
「なぜ知ってるのか?って顔してるな。」
ジェストが言った。
それは間違いだ。ハリスは自分が「少尉」と呼ばれた事に困惑しているのだから。
しかし、ジェストはハリスの様子に気付かない風に説明し始めた。
「君のパイロットスーツ、その他諸々は洗濯しといたよ。拳銃は持ち歩く主義かい?」
「・・・ちょっと、聞いてもよろしいですか?」
年上には敬語を使わなければならないと思い、丁寧に聞いた。
「なんだい?」
ジェストは優しく言ってくれた。この人は良い人だな、と思う。
「俺は少尉ではないです。確か伍長でした。」
流石にこの言葉は予測していなかったらしい。呆気に取られた表情をしている。
「でも、階級章は少尉だったよ。認識票にも少尉ってあったし・・・。」
呆気に取られたジェストに代わり、ソフィアが答えた。
「えっ・・・?」
それは信じられない事だった。無理も無い。今の彼にはベルヒテスガーデンでの事は記憶には無いのだから。
だから、身を乗り出してしまったのだろう。左腕に激痛が走り、顔をしかめた。
「ほら、怪我人は寝てなさいって。」
ソフィアが慌てて寝付けようとする。彼女の体温が伝わって来た。
「今日、何日ですか?」
痛む左腕をかばいながら、ジェストに聞く。
「あっ?・・ああ。確か、十一月二十九日辺りだ。」
信じられなかった。
彼の記憶は数ヶ月前の物なのだ。
「俺はどれくらいここに居たんですか?」
そう、聞いた。
「見つけたのは一週間ぐらい前だな。」
もう一回、我が耳を疑った。
(じゃ、今まで俺は何してたんだ?)
そうも思う。しかし、それは訪ねても仕方が無い。彼らは知らないと言っているから。
大きく溜息を吐いた。少しでも胸に溜まったもやもやを無くしたかったから。
「とりあえず、傷が治るまでここにいるといい。構わないね、ソフィア。」
ジェストがそう言ってくれた。話しを振られた少女は迷いも無く頷く。
「怪我人を放っておくと罰が当たる、てお母さんが言ってたもんね。」
自分に語り掛けるようにそう呟き、頷く。そんな少女は見ていて飽きないな、と笑った。
彼女はそれに気付いた様子も無くいきなり立ち上がる。ハリスが驚いたくらい唐突だった。
「お腹空いたでしょ?今なんか作ってくるね。」
そう言い残して部屋を出ていった。本当に見ていて飽きない。
「おてんば盛りでね。元気でいいこだろう。」
そんな娘の様子を見て、ジェストは柔和な笑顔を浮かべて言った。
「そうですね。」
パタパタと、来た時と同じ音を立てて階段を降りる彼女を見ていると、戦時下にもかかわらず平和な気分になった。
それは、良い事なのだろう。
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第20話 地獄の狩人