第1話 一月三日
 初めは、私が地球連邦軍に入った経緯を書こうと思ったが、あまり話に関係ないから省略しようか。これだけはと思うので少し書くが、十八歳で入隊した私の動機は、軍隊の給料が良かったからだ。
 しかし、ある一瞬からすべてが過激に回り始めるのに気付く者はほとんどいない。私もその一人だ。あの日から、すべては回り始めた。
 宇宙世紀0078一月三日。この話はここから始まる。
「おい! なにをボケッとしているのだ! 哨戒任務中だぞッ、ユノーラ少尉!」
 ユノーラ・イプキス。当時は少尉だったか。
 なにを隠そう。十五年前の私である。このままいつまでも一人称で話を続けるのも問題があるので、そろそろ私は筆者に徹しよう。あとは、彼らに任せて。
 ヘルメットの中に怒声が響き渡った。そのままヘルメットを越え、頭上の強化プラスチックのキャノピーを貫いて、すぐ向こうの宇宙にまで響くのではないだろうかとも思うほどだ。もちろん、真空の宇宙で、音が伝わるわけはないが。
「は! レオグ中尉! 申し訳ありません!」
 ユノーラは、その鼓膜を破るような怒声に飛び跳ねると、反射的にそう叫んだ。
「馬鹿者! 艦に帰投したら、キサマのその不貞腐った根性を叩き直してやる! 覚悟しろよ、ユノーラッ!」
 右手前方を駆る隊長機が、両翼を揺らす。セイバー・フィッシュのコクピットで、レオグ中尉がこちらを睨みつけながら左の人差し指を振り回していた。ユノーラが所属する、地球連邦軍宇宙軍第三艦隊第四サラミス戦隊の第二セイバー・フィッシュ小隊の隊長、レオグ・ドルーナ中尉である。
 ユノーラは今年で二十二歳になる新米士官である。澄んだ青い瞳が、印象的な青年だ。彼は、先月士官学校をまあまあの成績で卒業し、今年この部隊に配属された。無論最年少であり、階級もパイロットの中では一番下の少尉であるため、イジメの対象である。
 もちろん、それが小隊のシゴキであることには間違いないが、レオグ中尉を含む隊の全員が、彼をイジメているつもりはない。昨今の長い平安で誰も実戦経験はなかったが、こういう部隊内の精神修養は軍人として当然なさねばならないモノある。
 哨戒任務など、軍隊勤めで一番つまらない任務だ。第一、敵などどこにいる? 宇宙世紀になってこのかた、戦争など起きた試しがない。何度来ようが何の変哲も見せない宇宙を相手にしてて、つまらなくないと思えと言うのが無理な話である。演習をしているほうが、よっぽど楽しい。
 ああ。早く戻って、酒飲みてエな。
 ユノーラは、そんな事を考えながらセイバー・フィッシュの操縦桿を握っていた。
「ん! なにッ?」
 ヘルメットにレオグ中尉の怪訝な声が入った。すぐに中尉はオールラインになっていることに気付いたのか、回線を閉じた。右前方のセイバー・フィッシュに乗ったレオグ中尉はコクピットの中で何度か頷き、それからまた回線を繋いだ。
「全機! キプロスに帰投するぞ。哨戒任務はこれで終了する。左旋回!」
 これぞ有名なレオグ中尉の問答無用の声である。ユノーラは、中尉のセイバー・フィッシュと同じ角度で左に旋回する。この時のユノーラは、あの通信がなんであったかは知らなかった。

 第四サラミス戦隊は二番艦サラミス級「キプロス」が、第二セイバー・フィッシュ隊の母艦である。サラミス級巡洋艦四隻で構成されている第四サラミス戦隊は、サイド6に程近い宙域で哨戒任務に当たっているのだ。
 すでに、第二セイバー・フィッシュ隊の着艦に備えて、キプロスが戦隊から距離をとっている。サラミスの後方に回り込んだユノーラは、ランディングギアを機体から下ろした。
 サラミスの甲板は艦の下方にある。着艦するためには、サラミスに対し逆さまになり、船底の僅かな甲板に収まらなくてはならない。基地守備隊と違い、艦隊勤めはこの曲芸めいた芸当が必要になる。
 ユノーラは機速を落とす。サラミスと自機の相対速度は僅か。ゆっくりとセイバー・フィッシュを甲板に滑らせ、甲板を横切るワイヤーにランディングギアを引っ掛け、急停止させる。
 着艦すれば、あとは甲板員の指示に任せて艦内に機体を収める。格納庫に機体をロックさせれば、パイロットはやっとコクピットから解放される。ユノーラは風防を跳ね上げ、身体を固定させるハーネスを外すと、デッキに飛び移った。間髪をおかず整備士たちがセイバー・フィッシュに群がる。
「お帰り、少尉」
「ああ。整備よろしくな、ハリス軍曹」
 主にユノーラの機体の整備を担当しているハリス軍曹は、ユノーラと同年代であるが、パイロットと整備士など、所詮仕事の関係でしかない。プロを気取る軍人なら当然だ。ユノーラはパイロットの仲間内にしか加わらないし、ハリス軍曹も整備士仲間と一緒にいる。先程以上の会話は、交わした記憶がない。
 続々と僚機が着艦してくる。小隊運用上、特別な事情がないかぎり小隊長が一番最後に着艦する事になっている。レオグ中尉のセイバー・フィッシュが格納庫にロックされると、待機所に集合している部下の四人の前に立った。現在の一個小隊は五機で運用される。
「よし。これにて定時哨戒任務を終了する。第二少隊解散。各自、充分休養しろ」
 レオグ中尉は、いつも通りの言葉を言った。しかし、定時哨戒任務ならあと一時間はあるのである。それを途中で切り上げた理由をレオグ中尉は述べようとせず、第二少隊は解散された。ただ、急ぐ風情を微塵も見せず、レオグ中尉は艦橋の方へと向かって行った。
 今日はシゴキがなかった。ユノーラは、嬉々として自室に入っていった。

 第四サラミス戦隊は、レビル将軍が直接指揮する宇宙軍第三艦隊に所属しており、司令部はもちろん第三艦隊のあるルナUである。ユノーラの目にも明らかに戦隊はルナUに向かっており、何か緊急事態が起ったのかもしれないという漠然とした認識を起こさせた。
 その漠然とした認識は、その日のブリーフィングのレオグ中尉の言葉で現実のものとなった。
「……全員着席。まずは、諸君も薄々気付いているだろうが、我々はルナUに向かっている。戦隊は、単にルナUに帰港するのではない。我々第三艦隊はルナUに集結する」
「小隊長! 質問でありますが」
 すぐ左手に座っている、小隊では四番機を務めるジョン少尉が挙手と共に声を上げた。
「なぜ急に艦隊がルナUに帰港することになったのですか? 我々は、一ヶ月間のサイド7宙域の哨戒任務を受けていたはずです」
「うむ。ジョン少尉の質問に答えよう。ユノーラ、ジオン公国は知っているだろう」
 レオグ中尉がユノーラに尋ねる。ユノーラは一瞬顔をきょとんとさせた。
「は? あ。士官学校で習った程度でありますが、宇宙移民の国家を作ろうと独立運動をしていると聞きました。現在宇宙軍が増強されているのは、ジオン公国に対するためであります」
「上出来だな、ユノーラ少尉。諸君も知っての通りジオン公国は、我らの仮想敵国であり、地球連邦はジオン公国の独立を認めるつもりはない。先月二十七日に、連邦のパイロットがジオン軍籍と思われるアンノウンと接触したという噂も聞いたことがあるだろう」
 確かに聞いた事はあった。サイド3に程近い廃棄コロニーで、連邦の戦闘機乗りが未確認機と接触した噂は、どこからともなく流れてきていた。
「で、先程、ジオン公国側が地球連邦政府に独立宣言をし、宣戦布告を言い渡した。詳しい状況はまだ私には回ってきていないが、我々はルナUの第三艦隊と合流し、ジオン艦隊に攻撃を仕掛ける予定だ」
 レオグ中尉は、落ち着いた口調で言う。こういう事態を予想していたのだろうか。
 確かに、予想できるに値する現象は何度かあった。昨年十一月の観艦式はジオン公国に対する示威行動であったろうし、水面下の緊張状態は続いていたのだろう。しかし、二十年も続いた緊張状態の変化を、普通人が見極めろと言うのは無理な話であろう。
「せ、戦争でありますか? 小隊長」
 三番機のボブ少尉が弱々しい声で言う。彼も、ユノーラと同じく見極めていない普通人であった。いや、この小隊のほとんどの者がそうだろうし、レオグ中尉もその一人であるやもしれない。
「そうだ。ボブ少尉。今までのような甘い考えは今日限り捨てるように。戦隊は明日にはルナUに到着する。もう夜は遅いから、全員就寝するように。解散」
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第2話 一月四日