第2話 一月四日
 あんな事を聞いた後に眠るほうが無理と言うもので、ユノーラは寝袋に入ってもなかなか寝付けなかった。
 仕方なく寝袋から抜け出すと、兵員室から抜け出し、レクレーション室に入った。レクレーション室の舷窓からは広がる宇宙を見ることもできるし、簡単な食事や飲料も購買できる。狭い艦内での生活を余儀なくされるクルーたちに対しての、せめてもの憩いの場所である。
 今の気分は、レクレーション室に設けられた、さながらリゾート地のようなのどかな風景を眺めている気分ではない。自動販売機でコーヒーを買うと、ユノーラは舷窓のほうへと流れていった。
 宇宙はなにも変わりがない。サイド3は、ちょうど地球を挟んでルナUの反対側に位置するため、ここからでは何も見えるわけがない。だが、ユノーラは宇宙を見ることに耽った。
「……眠れないのは、俺だけではないようだな」
 背後から声をかけられる。振り返ったユノーラの前に、レオグ中尉が流れてきた。中尉も、片手にコーヒーを握っている。パッケージからブラックだと分かる。
「ん。レクレーション室でわざわざ敬礼をする必要はない。仕事を思い出して気が滅入るからな」
 当然敬礼しようとしたユノーラを、レオグはそう言って制した。彼は、部屋の側壁から伸びる手すりにつかまると、コーヒーを吸飲した。
 艦内では、今は夜という設定になっていて、ものすごく静かだ。こう静かだと、宇宙に放り出されたような気を起こさせる。徹夜の任務がない者は眠りを貪っているか、ユノーラのように寝付けないでいることだろう。どうせなら、哨戒任務でもしていた方が、気分が紛れると言うものだ。
 舷窓の向こうに艦船が張り出した。このサラミス級「キプロス」よりも大型の戦艦である。光交信をしているのか、戦艦の艦橋がチカチカと瞬く。
「あれは……」
「マゼランだな。あのエンブレムは第四艦隊の旗艦だな。ティアンム将軍の艦隊がルナUから発進してきたようだな」
 ボソッと呟いたユノーラの言葉に、レオグ中尉が答えた。確かに、戦艦の側舷にあるエンブレムは第四艦隊のものだ。レオグ中尉の言うとおりだろう。対ジオン軍の一番手は、ティアンム将軍率いる第四艦隊だという事なのだろうか。
 しかし、何故ジオン公国は戦争を望んだのだろうか。ユノーラが知っているかぎり、ジオン公国の艦船の数はそれほど多くはない。現在の戦艦の砲撃力を中心とした戦場では、ジオン艦隊に勝ち目がないことぐらい目に見えているはずなのに。
「……なにを考えている? ユノーラ少尉」
 レオグ中尉が、静寂を破って声をかけた。彼は、両手でコーヒーの真空パックを持ち、ユノーラの方を静かに見ている。
「いえ。べつにたいした事は……」
「そうか。そう言えば、ユノーラ少尉はサイド2の出身だったな」
「はい。そうですか、なにか?」
 ユノーラは、レオグ中尉に顔を向けた。レオグ中尉は、静かな顔をしていた。
「うむ。いずれ分かる事だろうから、言っておく。昨日のジオンの武装蜂起で、サイド3に隣接する三つのコロニーが攻撃を受けた。詳しい事情はまだ私には届いていないが、サイド1、2、4がジオン軍の攻撃で壊滅したそうだ」
 冷静なレオグ中尉の声は、それだけで残酷な響きを持った。
「それは……。その……」
 ユノーラは、死にかけた魚のように口をパクパクさせて、そう二言。
 あの時の私は、どのような顔をしていたのだろう。ちょうどレオグ中尉と同じような顔をしているのだろう。知りたくない事を、知るという恐怖で顔面を蒼白にさせていたのだろうか。それとも、それと同じ顔をしながら、その事実を分かっていながら、信じようとしない顔をしていたのだろうか。
 レオグ中尉は、腹の底に力を入れると、一言一言吐き出すように言った。すべては、それが真実である事を、彼自身にも認識させるために。 「そうだ。サイド2はジオン軍の攻撃を受けて壊滅した。残念だが、おそらく君のご家族も無事ではないだろう。三つのコロニーに住んでいた者は、全滅したらしい。ジオン軍はNBC、つまり核兵器や生物化学兵器を用い、戦闘員非戦闘員の見境なく殺したそうだ……」
 余韻が残る。レオグ中尉の言葉が、この空間に波紋を広げながら、余韻を残していく。
 何度目かの余韻を頭蓋の奥に受けた私は、絶叫のような絶望を目の当たりにした。だが、絶望は絶叫になろうとはしなかったが。
「……中尉。あの。オレは、どうしたら……?」
「ん。俺ではお前の思う事は分からん。だが、今はお前の思う通りにすればいい……。泣きたいのなら、胸を貸すぞ」
 レオグ中尉が言う。三十そこそこの、パイロット一筋に生きて、不器用をそのまま石像にしたような軍人が、初めて部下の前でそのデリケートな感情をみせた。この人は、優しすぎる。だから、不器用で頑固で。
 私は、軍という組織に入って初めて、上官の部下を思う気持ちを痛いほど感じた。
「い。いえ。す、すいません。少し一人にしてください……」
 ユノーラが、その時なにを感じたのかは、私ではわからない。おそらく、何も感じていなかったのだろう。何を感じたらいいのか、それすらユノーラは分かっていなかったのだろう。
「ん。かまわんぞ。だが、明日の朝のブリーフィングには遅れるな……」
 レオグ中尉は、ユノーラの心中を察してそう告げた。
「……はい」
 ユノーラは弱々しくそう答えると、レオグ中尉の前を過ぎて自室の方に向かっていった。ユノーラが、自室に入るなり放心したように力なく足元にへたり込んだ事は、今の私もよく覚えている。

 ここからは、この日のユノーラは到底知るはずのない事柄である。いや、ユノーラだけでなく、連邦軍を指揮する地球連邦軍首脳も、おそらくは詳しく知らない事であろう。
 サイド2に属するコロニーの一つ「アイランド・イフィッシュ」が、その軌道を逸れた日こそ、0079年の一月四日である。
 この開戦に至るまでの両国の緊張状態を鑑みれば、連邦軍がジオン軍に対し何の驚異も抱いていないと言うのはおそらく間違いだろう。そもそも、地球連邦軍が創設されるきっかけになったのは、サイド3が五十三年に「ジオン共和国」を宣言し、国防隊を組織したからである。
 宇宙世紀も五十年を迎え、順調に行われていたように見える宇宙移民活動に、突如現れた異分子であるジオン共和国に対し、六十年代になって連邦政府は経済的な圧迫をかけている。また、同時期に地球連邦軍も軍備が増強されているし、それは七十年代に入っても継続されている。すべては、この異分子の存在があったからに他ならない。
 では、なぜ地球連邦軍がジオンの武装蜂起を未然に防げなかったのか。或いは、その被害を最小限に抑える事が出来なかったのか。それは、ジオンと連邦両国の駆け引きのみならず、当時の新兵器「モビルスーツ」の存在が大きく起因している。
 「モビルスーツ」
 当時ジオン公国ではそう呼ばれる新型の兵器である。その人に近い形状と、全高18mを越える巨体から、開戦当初の連邦軍では「巨人」とも呼ばれていた。
 この兵器の存在の大きさを、定期的な諜報活動から上がってくる報告書のみから推測しろと言うのは、まず確実に無理な話であろう。
 第一、モビルスーツ開発の原点を見れば、言うなれば作業用ポッドの武装化である。コロニーを建設する上で大きな原動力となる作業ポッドは、自由度の高い四肢を持ってはいるものの、それが即座に現行の戦力を覆す代物になるとは、誰にも予想できまい。
 また、今では当然の事だが、ミノフスキー物理学が持つ大きな弊害を連邦軍首脳は当時理解していなかった。ミノフスキー物理学を応用し、核融合炉を形成する中で重要なミノフスキー粒子が、一定濃度以上で電波通信を妨害する側面を持っていることを知る科学者すら当時ほとんどいなかったのだから、連邦軍首脳が知らなくても仕方がなかったと言える。
 だが、この連邦軍の消極的姿勢から来た無知が、この数日間の両軍の動きの決定的な違いに反映していた。
 いざミノフスキー粒子がばら撒かれた戦場に到達してみると、連邦軍が七十年代に増強させた新鋭戦艦の砲力も本来の力を発揮できなかった。レーダーなどの電子戦力を駆使し、百発百中を誇っていた高精度の砲撃は、ミノフスキー粒子と言う厚い壁に阻まれた。
 また、十年以上も改良を重ね、この戦いに国力すべてを向けてきていたジオンのモビルスーツ「ザク」は、連邦軍首脳にはびこっていた「作業用ポッドの武装化」どころの性能ではなかった。艦隊に付随する宇宙戦闘機では、ザクの機動性、運動性についていけなかったのである。
 かくして、戦史に残る戦術革命を為していたジオン軍に対し、地球連邦軍のそれはまったくの抵抗をすることすら出来なかったのである。何年もかけて建造し、五十年を経て移民を受けとめてきたコロニーは、無残にも宇宙の藻屑と散った。そこに抱える、二十数億という生命と共に。
 そして、「アイランド・イフィッシュ」がその軌道を逸れたという事実は、先日の惨劇が序章でしかないと言う事を、人類すべてに知らしめるのであった。
 一月四日、この事実を察知した連邦軍は、ティアンム将軍率いる第四艦隊を派遣する。即時稼動可能であったほとんどの艦船を引き連れて。
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第3話 一月八日