第4話 一月十日
 記憶すべき忌まわしい日である。
 連邦軍の抵抗も空しく、サイド2のコロニー「アイランド・イフィッシュ」は、阻止限界点を突破する。
 それは、悲劇である。もうすぐそれは大気圏に突入し、数億の生命と共に消滅することが分かっていながら、誰一人それを止めることはできないのだ。悲劇以外の何物でもなかろう。
 ジオン公国軍総帥、ギレン・ザビの演説が地上、宇宙を問わず放映された。
「神の放ったメギドの火に、必ずや奴らは屈するであろう!」
 彼の脳裏にあるのはなんであるのか。彼は、私の調べる所愚かな男ではない。神などを信じるようなめでたい人間でもなく、自らを神に仕立て上げようと思うほどのバカでもない。だが、彼の理想を追い求める心と力は、本物であろう。
 ジオン共和国及び公国が建国されるのに、大きな影響を与えたのは、他でもないジオン・ズム・ダイクンである。サイド3での宇宙開拓生活の中で、ギレン・ザビはジオンに共感を覚えたろう。「宇宙移民」と称する連邦政府の政策のために、彼らスペースノイドは苦難を余儀なくされた。
 そんな苦しい生活の中に現れたジオンとその理想は、神々しいばかりであったろう。ジオンの死す今、その理想の真相を見極める事はできないが、宇宙移民の独立と自由な生活を謳った彼の理想は、ギレン・ザビの心を打った。
 その理想の下、ジオンを首相として建国されたのがジオン共和国である。ギレン・ザビの抱いた理想は、その時ジオンと同じであったろう。だが、国家を維持し、狡猾な手段を用いる連邦政府と対するには、ジオンでは無理があった。彼は、思想家、革命家ではあったが、政治家ではなかったのだ。
 ギレン・ザビの怖れるべき本性は、理想のためならば手段を選ばぬ所であろう。連邦政府の政治的圧力の前に何の策も打てないジオンに、彼は政治家として失望した。彼は、自らの父デギン・ソド・ザビと共謀し、ジオンを毒殺する。すべては、ジオンが掲げた理想を実現させるため。苦難を強いられる、宇宙移民の未来のためである。
 彼の本性はそれだけでは留まらない。サイド3で行われた大粛清は、ジオン一派を根絶やしにする。彼自身、この粛清の中で実弟サスロ・ザビを失ってはいたが、そんな事は彼には関係ない。彼は、過去を振り返る事を忘れた、理想を駆ける男ある。
 冷徹な政治家である。すべてはコマでしかない。彼は、強大な国力を誇る連邦に対知るためには、あらゆるカードを切るだろう。
 人の生命など、すべてが終わった後に考えればいいのだ。まずは、理想を実現させる事が第一。
 彼は日々こう考えながら、政務や軍務に勤しんでいただろう。事実、彼がジオン軍の総帥を務め、ジオン公国の実権を握ってからの、国家としてのジオン公国は順調に発展を続けていたのだ。
 そして、満を持して彼が切ったカードは、「ブリティッシュ作戦」の発動である。これが、一月三日の開戦から、一月十日のコロニー落下の日までの、ジオン側の作戦名である。
 彼にとって、同じ宇宙移民であろうと、その存在はコマに過ぎない。彼とジオン公国国民は、宇宙移民の独立のためのすべての人類の先陣なのである。軟弱な思考しか持たない烏合の衆など、この苦しい宇宙生活を余儀なくした連邦政府に抵抗しないスペースノイドなど、生命の両天秤にかける必要はない。それよりも彼にとって必要なのは、それら数十億の人間をせせこましく詰め込んでいたコロニーである。
 この巨大な質量弾は、作戦通り連邦軍本部ジャブローに深々と突き刺さるだろう。頭脳を失った連邦軍は抵抗を諦め、地球連邦政府はジオン公国の前に屈するはずである。後、数時間ですべての決着がつくのである。たとえ、ザビ家の名を血で歴史に刻もうとも、ジオンが掲げた宇宙移民の独立のためならば、毛ほどの痛みも感じない。
 だが、およそギレン・ザビが、作戦の成功を確信した頃に、その実妹キシリア・ザビからにわかに直通通信がもたらされる。
 大気圏の摩擦で、コロニーが前後に分離を始めたのだ。巨大な質量弾「アイランド・イフィッス」は大幅に予定軌道を逸脱する。質量が軽くなった分、予定されていたコースに侵入できなかったのだ。
 悲劇である。これこそ、後に一週間戦争と呼ばれる闘いの最大の悲劇である。
 分解したコロニーはジャブローを逸れ、シドニーに落ちる。そこに住む者は全滅したと記録される。まず、コロニーの質量とその落下の速度から来る破壊力で爆発が起る。これでまず爆心地は壊滅する。次の瞬間、爆発と共に起った衝撃波がシドニーの街を包む。ビルは薙ぎ倒され、市街地が吹き飛ぶ。
 史上最大の質量弾の落下は、その程度では収まらなかった。衝撃で大地がえぐれた。ちょうど月のクレーターと同じようにだ。シドニーは海に近い産業都市だ。運の悪いことに抉れたクレーター部に海水が侵入する。爆発と衝撃波の中で生き延びた僅かな市民も、膨大な海水に飲まれ力尽きた。シドニーの人口は三百万人ほどであったから、確実にそれだけの生命が失われた。
 さらに、膨大な海水が爆心地に流れ込んだため、太平洋沿岸の各所で大津波が起り、かなりの被害をもたらしていた。もっとも、それ自体は長い年月てほとんど忘れられていたが。
 しかし、それ自体は一つの悲劇に過ぎない。第一、ジャブローに落ちていても同程度の人命が失われているのだから、そこにシドニーであるかジャブローであるかに違いはないのだ。
 だが、戦略的戦果を鑑みれば、この結果は最悪の結末である。ジオン軍は、ジャブローを叩けなかったのである。そこにある連邦軍本部は健在であり、地上及び宇宙の連邦軍に対して何の影響も与えていないのだ。
 この「ブリティッシュ作戦」の失敗こそ、この後の一年戦争に繋がる一つの要因である。
 私も神は信じないが、この時、神は人類に何をさせるつもりだったのだろうか。旧世紀から繰り広げられていた殺戮の歴史を、もう一度人類に歩ませようとしたのか。或いは、宇宙にまで膨れ上がった人類を、ふるいにかけ選りすぐるためかなのか。それとも、地球を捨てようとした人類に対する裁きの鉄槌なのか。
 私ではわからない。
 とにかく、私が悲しむのは、これより一年の間に失われた数々の生命である。その数は、一月三日に失われた生命の総数と匹敵する。この作戦さえ完遂されていれば、この血は流されなかった。
 歴史など、どちらが勝とうが大きな意味をなさない。連邦が勝っても今までと同じであり、ジオンが勝てば執政者が変わるだけである。それだけで、人々の生命に大きな危険が及ぶわけでもない。
 私は、コロニーがジャブローに落ちなかったことを悔やむ。一人の元連邦軍士官としてである。この戦争は、そもそも神のいたずらではないのか。そんな気さえ起こさせる。神は、人の血を求めていたのかも知れない。

 その時のユノーラは、ルナUにいた。
 地球に落ちたコロニーの爆発は巨大なきのこ雲を生み出し、その禍々しい光景は、このルナUからでも充分見ることが出来た。ルナUにいる者たちの反応はさまざまである。
 明け透けに憎しみを浮かべる者。シドニーに肉親を持つ者も少なくない。他には、ジオンの凶行に怒りを燃やす者もいれば、悲しみに打ちひしがれる者もいた。呆然と、地上の光景を眺めている者もいた。尉官以下、連邦の兵士は表現系はさまざまであるが、自らの感情を率直に表していた。
 だが、ジャブローの直撃を免れた連邦軍は、このままジオンに引き下がるわけにはなかった。翌一月十一日には、サイド6が中立を宣言をする。その時の連邦にそれを抑止する力はなかったが、まだ連邦軍の宇宙艦隊の大半が健全なのだ。
 宇宙のミリタリーバランスを保つ為に、連邦軍はジオンに勝って見せねばならないのだ。コロニーを地球から支配するためには。コロニーが、ジオンの驚異を怖れて連邦から離反する事だけは裂けなくてはならないのだ。
 連邦軍は、ジオン軍に対する警戒態勢を強化する。だが、それだけである。この時はまだ連邦軍首脳は「モビルスーツ」の戦闘力を看破できなかった。敗軍の将であるティアンム将軍の発言力は、決定的に弱まっていたのだ。
 連邦軍は艦隊を再編成させる。ルナUにあるレビル将軍の第三艦隊を中核となし、第一連合艦隊を統制するのだ。いかにジオン軍の「モビルスーツ」が強力であろうと、数に勝る兵法はない。五倍、八倍の兵力差で望めば、「モビルスーツ」が相手でも勝てるはずである。
 そして、このままではいられないのは、連邦軍だけではなかった。「ブリティッシュ作戦」の失敗で決定的な勝利を収められなかったジオンは、「ブリティッシュ作戦」の継続を発動する。今度こそコロニーがジャブローに直撃すれば、地球連邦政府だろうが、地球連邦軍だろうが、コロニー諸政府だろうがなんだろうが、ジオン公国の前に屈するのだ。
 そうすれば、ジオンの理想を実現できるのだ。
 両軍は、新たな会戦を求める。先に動いたのはジオン艦隊。ギレン・ザビの弟ドズル・ザビが率いる第二艦隊が、一月十三日、サイド5はルウムへと出撃したのだ。そして、それに引き寄せられるかのように、一月十四日、連邦軍のレビルが率いる第一連合艦隊がルナUからルウムへと迎撃に向かった。まさか、サイド5まで破壊され、地球に落とされるわけにはいかない。連邦軍も必死である。
「ルウム戦役」
 歴史に名を残す大会戦は、こうしてその舞台が整えられたのである。
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第5話 一月十五日