序章
……静かだ。
 宇宙を滑走するモビルスーツの駆動音だけが、シートを伝わってくるだけだ。
 やがて彼女は、自分の息の音を聞いた。
「まもなく敵警戒エリア内に入る! 全機、戦闘態勢をとれッ!」
 しっかりとした男の声が耳に響いた。彼女は、ゆっくりと目を開けた。
 目の前に宇宙が広がった。息を吸い込むと、自分の中に宇宙が溶け込んでいく気がした。
 彼女は両手のレバーを握った。手に馴染んだその感覚は、彼女に戦闘の記憶を蘇らせた。そして、ドクンと一つ心臓が強く高鳴り、熱い何かが身体中に迸るのを感じた。
「―――こちらルナU基地! こちらルナU基地! 貴機らは地球連邦軍の警戒宙域に侵入している! 直ちに退去せよ! 繰り返す、直ちに退去せよ! さもなくば……」
 ……ブツッ!
 彼女は、高圧的な口調で叫んでくる連邦軍の怒声に、おもむろに回線を切った。事態を飲み込めず、今さら悠長にそんな事を叫ぶ連邦軍に嫌気が刺した。
「ルナUから敵モ…………ツが出撃した。……バさま! ご決断をッ!」
 さっきの男の声が、話し掛けてきた。ミノフスキー粒子の影響で無線が不調となってきていた。
 彼女は一瞬小さく笑った。それは、緊張感のない動きをする連邦軍のモビルスーツ隊に向けられたものではなく、なぜか、彼女自身に向けられたものだった。
「……全機、かかれッ」
 彼女は、短く、だが強い声でそれだけ言った。

 ジェガンが胴切りにされて爆発した。爆風が基地構内に広がり、真っ赤な炎が燃え上がった。そして、その燃え上がる火炎の中で、迅雷の如く攻め立てる白銀色のモビルスーツが赤々と浮かび上がった。
「……ジ、ジオンだ! ジオンのモビルスーツだッ!」
 逃げ惑う連邦軍兵士が悲鳴をあげて立ち竦んだ。入れ違いに一機のジェガンが前進し、敵のモビルスーツの前に立ち塞がった。
 ジェガンはビームサーベルを抜き放つと、敵モビルスーツとの間合いを一気に詰めてサーベルを振り下ろした。敵のモビルスーツは難なくシールドでサーベルを弾き返すと、さらにシールドでジェガンの機体を押しやった。
 ジェガンは敵のシールド攻撃を受け止めたものの、相手の巧みなシールド捌きに翻弄され追いつめられる。痛烈な一撃で基地の側壁に叩きつけられたジェガンに、再び円い大楯が襲いかかった。
 耳が裂けるような金属音が響いた。凄まじい圧力を受けたジェガンの装甲がひしゃげ、ジェガンの動きが封じられる。そして、敵のモビルスーツはおもむろにビームサーベルを振り上げると、一閃させた。
 ビームサーベルがジェガンのコクピットを貫いた。瞬間辺りは真っ白な光芒が迸り、最も重要な部分を失ったジェガンは、沈黙した。 「……この私のギャンに格闘戦を挑むとは、愚かな……」
 コクピットの中で、その男は呟いた。装飾過多なノーマルスーツを着込んだ男だ。ヘルメットの奥の眼差しが刺すように鋭い。眉間から左の頬にかけて深い傷跡が走っている。
 何かを直感した男は、ハッと振り返るよりも先に、両手のレバーを引いた。
 バーニアが火を噴くと、モビルスーツは素早くその場を飛び退った。標的を捉えそこなったビームは大破したジェガンに命中し、爆発と共に爆炎が基地構内を包んだ。
 新たに現れた三機のジェガンが、爆炎の影に見え隠れする敵モビルスーツに向かってビームライフルを乱射した。だが、狭い構内を縦横に駆ける敵モビルスーツを捉えることはできなかった。
「フハハハッ! このマ・クベの駆るギャンに、貴様らが勝てるわけがないのだよッ!」
 男は高笑い、モビルスーツを突撃させた。機体にまとった爆炎が糸を引き、あっという間に後ろへと流れていった。そして、振り下ろされた巨大なビームサーベルは、三機のジェガンをまとめて切り裂いていた。

 紫紺色のモビルスーツが足を止めた。その足元には、降伏した連邦軍の仕官や兵士らが捕えられていた。その周りには数機のモビルスーツが佇み、無言のまま捕虜たちを威圧していた。
 モビルスーツのコクピットが開き、中から一人の女性が舞い降りた。
 ヘルメットを取ると、長い茶色の髪が流れた。女性はそれが癖であるらしく、静かに靡かせた長い髪を指で耳に掛けた。
 澄んだ茶色の瞳。その優れた血筋を窺わせる整った顔立ち。年は若い。若さの上に女らしさが見えはじめた二十歳前後だ。すらりと伸びたその四肢は、育ちのよさを感じさせた。だが、こちらに投げかけたその視線は、およそこのような境遇の者に多い高慢さではなく、また別な独特の雰囲気を漂わせていた。
「……お、お前が、ネオ・ジオンの……」
 ルナUの基地司令と思しき中年の士官が、そううめいた。だが、その女性は視線だけでそれを制すると、流れるような清涼な声で言った。
「貴様は、この基地の司令官か?」
 基地司令は、たったそれだけの言葉に気圧された。だが、不愉快な感覚ではなかった。考える事を止めさせるその感覚は、心の底のどこかで求めていたものだった。
 基地司令が無言のまま頷くと、女性は急につかえが取れたかのように破顔した。その微笑みは驚くほど綺麗だった。
「諸君の戦ぶり、見事であった。が、兵の責務を全うした諸君は、わたしに敗れた。諸君が分かっているように、諸君の生命はわたしの手中にある。わたしがそう望めば、今にも諸君はこの宇宙の藻屑と化すだろう……。だが、わたしの目的は殺戮でない。わたしは、この荒んだ世界を変革させるために、この宇宙に現れたのだ。そのためにわたしは諸君たちの生命を借り受ける。そして、わたしのために死んでもらおう……!」
 女性はそう言った。そういう間にも、背後のメインゲートにはジオン系の戦艦が続々と入港していた。その数は、連邦軍の宇宙艦隊の総数に劣らぬ程であった。
「我がネオ・ジオン軍は、あらためて地球連邦政府に対し宣戦を布告する! 攻撃目標はジャブロー! 各部隊、整備怠るな! 三十分後に出撃する!」
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第1話 シャアの反乱