第1話 シャアの反乱
「アラン! 後ろだッ!」
 アラン少尉は、隊長殿の怒声に後ろを見やった。振り返った全天周モニターには、ソードアクスを振りかざしたギラ・ドーガの大きな機体が浮かび上がっていた。
「うわあぁぁあっ!」
 絶叫しながら、アランはレバーを引いた。反転したジェガンにギラ・ドーガが襲いかかる。機体速度を利用したギラ・ドーガのタックルが、アランの機体に炸裂した。凄まじい衝撃がコクピットを襲う。モニターが明滅し、反動がシートに身体を叩きつけた。
 咄嗟に逃げるジェガンがバルカン砲を放つ。だが、ギラ・ドーガはその直撃をものともせず、再び襲いかかった。
 ギラ・ドーガの真っ赤な一つ目がモニター一杯に映し出されると、振り下ろされたソードアクスがジェガンの左腕を切り裂いた。小爆発が視界を遮る。さらに逃げるジェガンをギラ・ドーガが追う。
 アランの絶叫は声にならない。ギラ・ドーガのソードアクスと抜き放ったジェガンのサーベルが交錯する。ギラ・ドーガの右肩から先が吹き飛び、爆発と共にジェガンがサーベルをもう一閃された。
 眩い光が漆黒の宇宙空間を照らし出す。胸部を切り裂かれたギラ・ドーガが、糸の切れた操り人形のように無重力空間を流れていく。
「離れろッ、アラン! 爆発するぞ!」
 誰かの怒声が響く。だが、その次の瞬間、凄まじい衝撃がコクピットを包んだ。

 ……死んだかな。今度こそ。  青年は暗い闇の中でそう思った。頭痛がする。ひどい頭痛だ。まるで直接脳みそが締めつけられたみたいだ。
 痛いな……。痛い。痛すぎる。……なんでこんな目に?
 青年は、暗闇の中で記憶を辿った。暗闇の中に、ギラ・ドーガの真っ赤なモノアイが浮かび上がった。
 ……ああ、そうか。オレはあの爆発に巻き込まれて死んだんだ……。
「おい! アラン! 大丈夫かッ?」
 心配そうな声がかけられた。何かが身体を激しく揺すった。
 痛い! 誰だッ? なにをするんだ!
「うわッ!」
 アランは、すぐ側にいた誰かをはじき飛ばすと、飛び跳ねるように起き上がった。
 赤い髪。真夏の太陽のように赤い髪をしている。瞳は真紅。すっと鼻筋の通った鼻と切れ長の眉は、気性の激しさを感じさせたが、その面差しからは若さが満ち溢れていた。
「なんだよ! アラン! なんでオレを突き飛ばすんだ!」
 下の方から怒声が上がった。アランがその方向を見やると、若者が立ち上がった。
 ワッツ少尉。アランとは士官学校が同期に当たり、この部隊への配属も同時だった事から、お互い最初の戦友である。ワッツ・トルーニプはアランと同い年だったが、アランよりも幼さが残る顔立ちだ。そのくせ、モビルスーツの操縦技術は確実である。
「……なんだ。またお前かよ」
 アランはなぜか不貞腐れると、痛む身体をベッドに落とした。
「フン! ドジ踏んだ割には口が達者だな、アラン。言いたい放題言いやがって。……お前を艦まで連れてきてやったのは、このオレなんだぞ! 少しは感謝しろ!」
 ワッツは、反り返って腕を組むと、少し怒ったようにそう言った。損壊したアランの機体を、いつも艦まで連れ帰ってくれるのはワッツである。
 機体の事を思い出して、アランはワッツの方を見て言った。
「なあ、ワッツ。オレの機体大丈夫かな。まだ使えるよな?」
「……ああ? オレに聞くなよ、どうせまた大破だろ? 今日も一機壊したから、今度こそやばいんでないの?」
 ワッツはウンザリして言った。こういう時はいつもこう聞いてくる。相手になんかしてられない。
 とその時、おもむろに医務室の扉が開いた。
「隊長殿ッ!」
 ワッツがそう声を張り上げて敬礼した。アランとワッツが所属する「ネオ・ジオン追討軍第三戦隊」のモビルスーツ中隊の指揮官、ケビン・リチャードソン大尉であった。隊長殿は緩やかに敬礼を返すと、アランのベッドのほうに歩み寄ってきた。
「具合のほうはどうだ? アラン少尉」
「……は、ハイ! 面倒をおかけして申し訳ございません!」
 アランはいつものセリフを返した。そうとしか言えない。
「まあ、今度は特に外傷もないらしいからな。明日には復帰するように……」
 隊長殿がふと沈黙した。アランの顔に気まずい色が浮かぶ。そして、隊長殿の後ろではワッツがなにがそんなに楽しいのか、露骨にニヤニヤしていた。
「……今日でお前もエースになったな。おめでとう!」
 隊長殿は重く閉ざした唇と開いたかと思うと、隊長らしい渋みのある声でアランに言った。だが、アランには隊長殿の言葉の意味を即座に理解できないでいた。
「な、なんだよ、それ!」
 ワッツが思わず声を上げた。途端隊長殿と視線が合ったワッツは、すこし狼狽えた表情を見せた。その顔がアランには少し面白かった。だがすぐに、いつもよりずっと厳しい顔をした隊長殿が、アランのほうに向き直った。
「……確かに、アラン少尉のモビルスーツの操縦技術は優れている。センスもいいだろう。だが、今日のような油断が自分自身の、ひいては隊全体の危機を招くという事を忘れている」
 こんな厳しい顔をした隊長殿は、入隊の時以来だった。
「……お前は腕はイイ。今までは運も良かっただろう。だが、今日のような油断が続けば、運はお前を見放して逆にお前自身を殺す事になる。戦争で生き残ろうって思っていたら、運を粗末にするな。最後に助けてくれるのは、生まれもった運気だけだからな……!」
 隊長殿は厳しい口調でそういった。隊長殿は、一年戦争の頃からのモビルスーツパイロットで、アランが入隊してからのスコアもすでに二十機を越えている。
 公私ともに尊敬する隊長殿の言葉は、なによりもアランの心に突き刺さった。

「前方に岩塊多数! 敵のダミーとも思われる。各機、警戒態勢! すぐ側にジオンがいると思えッ!」
 隊長殿の凛とした声が、ヘルメットの中に響いた。アラン少尉は、左右の友軍との位置を再確認すると、上方へ視線を向けた。
 岩塊の中を十二機のジェガンが疾走する。敵らしきレーダー波の反応地点へ出撃して既に二十分強。おそらくこの辺りに潜んでいると、経験の浅いアランにも認識できた。
 連邦軍の「ロンド・ベル隊」に敗れたネオ・ジオンの残党は、密かに集結し、追討軍に抗戦し続けているのである。小規模なネオ・ジオンの残党は各宙域で撃破されているが、それは却って彼らを一点に追い詰めているだけに過ぎない。
 緊張感が宙域に張り詰める。それは、自分達だけのものではない。
 岩塊が音もなくはじけた! ダミーである!
 突如出現したヤクト・ドーガによって、二機のジェガンが撃破された。次の瞬間、岩塊に隠れていた多くの敵モビルスーツが、一斉にケビン中隊に襲いかかった。
「敵機およそ三十ッ! 奴らはかなりの手練だ! 各個で闘おうとするなッ! 小隊ごとに抗戦しろ! アラン! ワッツ! 私に続けッ!」
 隊長殿が叫んだ。アランは、前方でスラスターを全開にさせた蒼いジェガンに追いすがった。すぐ後方をワッツ機が追随した。
 真っ暗闇の宙域が、途端に華々しく輝く。放たれたビームの軌跡。乱舞するサーベルの円弧。直撃を受けたモビルスーツの爆発。およそ宇宙の一部に現れた光の造形にしか見えないそれは、確実に人の業が生み出した禍々しい残骸でしかない。
 隊長殿が一機のギラ・ドーガを爆殺する。アランは、その爆発の影に隠れて一機のモビルスーツが接近するのに気付いた。
 ネオ・ジオンの強化人間専用機ヤクト・ドーガである。こちらに構えた銃口が輝いたかと思うと、ビームが迸った。
「ワッツ!」
 高速で戦場を疾走する三機のジェガンの間に、ビームは介入した。最後尾のワッツ機は逆噴射でビームをかわしたが、そのワッツ機にヤクト・ドーガが襲いかかる。
「待ってろ、ワッツッ! 今行くッ!」
 なにも考えずアランはそう叫ぶと、ジェガンのスラスターを振り絞った。
 ヤクト・ドーガがサーベルを振りかざしワッツ機に迫る。的確さを誇るワッツのビームライフルは、ヤクト・ドーガには当たらなかった。ワッツ機がバーニアを噴かす。だが、ヤクト・ドーガの方が速い。切り裂かれたワッツ機の右腕が、宇宙空間の中で真っ白く輝く。
 ワッツ機はバルカンを放ちながら必死に逃げる。だが、背後に岩塊が迫る。ダミーであることに賭けたワッツの望みは、冷たい衝撃に打ち砕かれた。ヤクト・ドーガのサーベルがジェガンのコクピットに吸い込まれる。岩塊に突き刺されたワッツのジェガンは、パイロットとともに爆発した。
「ワアアアァァァアアァアッ!」
 目の前の惨劇にアランは雄叫びを上げると、ジェガンを突撃させた。血気が狙いを狂わせる。乱射するビームライフルは、ヤクト・ドーガに当たらない。
 ヤクト・ドーガがアサルトライフルを放つ。慌てて避けたアランに、今度は別のメガ粒子砲が襲った。ヤクト・ドーガの真価とも言うべきファンネル攻撃であった。
 常人では見切ることの出来ない究極兵器の前に、アラン機の頭部が吹き飛ぶ。全天周モニターの前方部分が暗転し、ほとんどのセンサーがイカレた。アランは無我夢中で逃げ回った。高熱源体が何度も機体のすぐ側を掠めるのを感じた。それは、アランが初めて実感した死の恐怖だった。
 その恐怖は、真後ろにヤクト・ドーガの機影が浮かんだ時にアランの全身を包んだ。喉からせり上がる恐怖が、顔面を蒼白にさせた。息が出来ない。思考が途切れ、身体中の感覚さえもなくなってしまった。
 ビームが直撃し、機体が硬直する。間合いを詰めたヤクト・ドーガはビームサーベルを抜き放った。重厚な機体が迫り、アランは死を覚悟した。
 だが、次の瞬間、二機の間にビームが迸った。
「生きているか! アラン少尉ッ!」
 アランが上方を見た。消えかかるモニターの中に、隊長殿の真っ蒼なジェガンが映し出された。
「はい! 隊長殿! なんとかッ!」
 凄まじいビームの雨に、ヤクト・ドーガが堪えきれずに後退った。隊長殿の蒼いジェガンと接触回線が開くと、アランは今にも泣きそうな声で言った。だが、今し方アランを助けた隊長殿の機体は、見た事もないぐらいに損傷、破損していた。
「アラン! 私がここで時間を稼ぐ。お前はスラスターの続く限り逃げろッ!」
「……し、しかし、隊長殿。それでは……」
「うるさいぞ! アラン! 隊長命令だ! 行けッ!」
 蒼いジェガンがアランの機体を突き飛ばした。アランには他にどうする事もできなかった。辺りには撃墜された味方の機体が散乱していた。第三戦隊ケビン中隊は全滅したのである。
「うおおぉぉおおッ!」
 隊長殿の断末魔が耳に響く。振り返ったアランの目に入ったのは、多勢の攻撃に絡め取られた隊長殿の蒼いジェガンが、ヤクト・ドーガのサーベルに両断された瞬間だった。爆発し、宇宙の塵と化すその輝きは、一層に鮮やかなものであった。
 アラン少尉は、一人戦場から逃げた。

 今にも墜ちそうなジェガンを騙し騙し辿り着いた第三戦隊は、もはや戦隊と呼べる状況ではなかった。ネオ・ジオン残党の別働隊の攻撃によるものだった。第三戦隊の旗艦カイラム級「パールハーバー」は轟沈し、全四艦船の第三艦隊に残った艦船は三番艦クラップ級「ヨツムンガンド」一艦のみであった。
 大破した二番艦のクルーの救助活動が引っ切りなしに行われていた中で、戦隊司令は二番艦の放棄を決定した。ここアステロイドベルトに近い宙域では、廃艦を回収する事はできない。それに、ここは既に残党狩りの最大最前線になっている。こうする合間にも、再びネオ・ジオンの残党が襲って来ないとも限らなかった。
 さらに悲惨な状況は、艦載モビルスーツ隊の全滅である。戦隊の守衛に残った四機のジェガンはすべて撃墜されたし、攻撃部隊十二機もアランの大破したジェガンを残すだけである。今の時代、モビルスーツのいない艦を守る術はない。
「当艦ヨツムンガンドは第三戦隊の指揮権を引き継ぎ、追討軍主力と合流するため一旦この宙域を離脱する。なお、モビルスーツ隊アラン少尉は大至急第一ブリッジに来るように……!」
 アランは、横になったばかりの重たい身体を起こした。緊急事態に対して善後策を急ぐ艦橋の気持ちは分かるが、アランは少しでも眠りたかった。しかし、それがかなわぬ望みである事ぐらい、アラン自身も分かっていた。
「……私がクラップ級ヨツムンガンド艦長、ビエラ・バレンタイン少佐だ。……実はな。遅れていたケビン大尉専用のZガンダムプラスが、戦闘開始直前に受領された。艦には他に乗れる者がいないので、君が使ってくれ」
 この少佐の言葉は、アランには耳が痛かった。仕方がない事とはいえ、アランにはまだ隊長殿の死を仕方がないものとして認識できない。
「……で、暫定的だが、今日付けで君を中尉に任官し、当艦のモビルスーツ隊を指揮してもらう。予備機の二機と君の機体を修復すれば一個小隊にはなる。パイロットは手配する。素人だが、一両日で彼らを乗れるようにしておいてくれ。なにが起こってもおかしくはないからな……」
「ハッ! 了解しました!」
 ビエラ艦長の歯切れのいい言葉に、アランはさっと敬礼をすると艦橋から退室した。
 アランは、先日の隊長殿の言葉を思い返した。受領が遅れてさえいなければ、隊長殿は死なずにすんだのかもしれない。そうすれば、ワッツも死ななくてすんだかもしれない。
 アランの脳裏には、その事ばかりが浮かんだ。
 数日後、第三戦隊は追討軍主力と合流した。クラップ級「ヨツムンガンド」は第三独立戦隊として追討軍の一翼を担い、ネオ・ジオンの残党狩りに参加した。
 その中に、漆黒の宇宙を蒼いZガンダムプラスで駆けるアラン中尉の姿があった。彼は、それ以降のネオ・ジオン残党狩りにも参加した。この時すでに、シャアの反乱より半年が過ぎようとしていた。
 宇宙世紀0093年。アラン・スム・ラーサ中尉、二十歳の秋であった。
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第2話 地球連邦