第7話 光の落ちる日
 ネオ・ジオンのジャブロー降下作戦の成功と南米大陸制圧によって、宇宙は不穏な空気に満ちている。どこのコロニーも反地球連邦運動が息を吹き返し、公然とネオ・ジオン派を表明しなくとも微妙な状態に陥っている。損傷した艦隊を寄港できるところはなかった。
 そんな中で、いち早くサイド1のロンデニオンが地球連邦派を表明したのは、まさに地獄に仏であった。今では解散されているが、かつてシャア・アズナブルと戦ったロンド・ベル隊と深い関係にあったロンデニオンでは、五年を経たいまでも連邦派が根強い。
 ジャブロー上空戦で散り散りになっていた地球圏防衛艦隊も、旗艦ラ・テュールがロンデニオンに寄港したと聞きつけ、半日の間は残存艦の寄港が相次いだが、それ以降はぷっつりと途絶えた。
 これには、さすがのオスカも肝を冷やした。旗艦で撃沈を確認していた艦船以上の、実に全体の40%に昇る艦船が戻ってきていない。退却中にネオ・ジオン艦隊に撃沈されたか、他のコロニーに寄港しているのかしたのだろう。できるだけ良い方向に考えたいが、現状はそうもいかなかった。
 さらに、現在の艦隊の生命綱とも言えるモビルスーツ戦力も極端に低下していた。失った40%の艦船に相当する分のモビルスーツ戦力が未帰艦となっている。ネオ・ジオン艦隊もジャブローにその半数の戦力をジャブローに降下させているだろうが、地上では大気圏突入可能な大型の巡洋艦も確認されている。宇宙戦力の増強も用意されているだろう。
 だが、ネオ・ジオンと違い地球連邦軍は、今回の武装蜂起に対してなんの警戒もしていない。今、不穏な空気が充満している諸コロニーの守備隊から戦力を割けば、暴動が起こるかもしれない。そうなってはネオ・ジオンの思う壺であり、戦火に油を注ぐ事になる。
 とにかく、自前の艦隊とわずかばかりの余剰艦隊を寄せ集め、オスカはロンデニオンを出撃する。連邦軍は、コロニーの不穏な空気を抑えるためにも、ネオ・ジオン艦隊に勝って見せねばならない。いつまでもドックに引きこもっているばかりではいられないのだ。
 なんとか艦船数をネオ・ジオン艦隊と同じ程度は集めた。ザクWの驚異的な性能に対するために、ジェガンも運動性に若干改造を施した。二十六日にジャブロー上空で破れてから、二日間でできるだけの事はした。あとは、ネオ・ジオン艦隊がどこまで戦力を補強しているかにかかる。
 オスカは、攻略目的をネオ・ジオンの制圧下にあるルナUとしながらも、地球上空を彷徨う。この疲弊した戦力で高い防衛力を誇るルナUは叩けない。ネオ・ジオン艦隊に出撃を誘い、再び宙域戦に持ち込む事に意を決した。

「本当か。レイル」
 そう言ってブリッジに入ってきたマ・クベが、コマンドシートに腰掛ける。
 今、マ・クベ艦隊の主力はルナUにある。ジャブロー上空の制宙権を確保し続けるために残しておいたムサカ戦隊から緊急連絡があったのでる。破損艦の補修に時を費やしていたマ・クベ艦隊は、作業も半ばのまま即刻出撃準備を整える。
 艦橋上部と第一砲塔を失っていたシルバー・ファングの補修は、ルナUに戻るなり急ピッチで進められた。砲塔は完全に補修できたが、艦橋は半分程度。ミネバのクィーン・コスモと並びネオ・ジオン艦隊の旗艦を務める戦艦として、破損したまま戦場に投入するのは整備士の癪に障るが、そういうわけにもいかない。
「ハイ。マ・クベ少将。これで連邦軍の宇宙艦隊を撃滅すれば、宇宙の連邦軍勢力は大きく後退し、コロニーもネオ・ジオンが完全に手中に収める事ができます」
 シルバー・ファングがルナUのメインゲートから発進する。レイルはキャプテンシートに腰掛け、マ・クベに言った。出撃艦隊はマ・クベの率いる艦隊のみ。クィーン・コスモを旗艦としたミネバ艦隊はグラナダとスウィートウォーターの防衛に当てられており、ルナU及び地球上空の守備は、マ・クベ艦隊の管轄である。
「ふっ。自信満々というわけか、レイル。結構な事だ」
 マ・クベが言う。不思議と、最近のマ・クベは機嫌がいい。落ち着いた微笑みさえ浮かべている。
「ところでマ・クベ少将。例のあの作戦は実行なされるのですか?」
 レイルは、マ・クベに褒められるとすぐに嬉々とした笑みを浮かべたが、それから今度は曇った顔を見せ、重苦しい口調でそう言った。だが、マ・クベの笑みは崩れない。そもそも、レイルの問いかけを予想していたかのように楽しそうな口調で言った。
「あれか? ……ミネバさまの地上部隊が南米大陸を制圧したといっても、地球はまだまだ広い。連邦軍のラサを始めとした重要拠点の多くは健在であり、統制を取り戻した連邦軍相手ならば今までのような快進撃が続くとも限らぬ」
 マ・クベは目を閉じる。顔を斜めに走る大きな傷が、ブリッジの光に赤く染まる。
「本国スウィートウォーター、月面都市グラナダ、宇宙要塞ルナUそして南米ジャブローをあわせても、いまだネオ・ジオンの国力は連邦に劣る。コロニー諸政府がネオ・ジオン側についたとしても、そのバランスは変わらぬだろうよ」
 レイルにとって、マ・クベは父に近い存在かもしれない。レイルの父はシャアの反乱において戦艦を指揮し戦死した。レイルはその亡くした父の像を、マ・クベと重ねているのだ。レイルの父も、よくこんな仕種をしていた。
「ならば、国力で劣る我々がこの戦争に勝利するためには、連邦軍に対し短期決戦を挑まなくてはならない。しかし、迎撃態勢を整えつつある連邦軍相手では、通常の作戦では被害も甚大だ。我々は、自軍の戦力を温存しつつ、連邦軍の戦力のみを削がなくてはならない。そのためには、あれを実行するしかないのだよ。そして、ミネバさまの勝利のためならば、いかなる手段でも私は用いる」
 マ・クベが目を開いて立ち上がる。舷窓に立ち、すぐそばに広がる宇宙を眺める。そのブリッジの光に照らされて舷窓に映るマ・クベの姿を、レイルは見ていた。
「……まして、間違ってもこの作戦をミネバさまご自身が行うわけにはいくまいよ。連邦軍に勝利し、ミネバさまのお力で地球圏を統治するためにも、我々はミネバさまの手を汚すわけにはいかない。それに、こういう作戦はミネバさまより私の性分に似合っていると言うものだ……。クックック。レイル。戦争に勝つためには、敵に戦争をさせてならないのだよ。この作戦は、そのためだ……」
 艦隊のはるか後方を、何十隻もの運搬船が航行している。運搬船の足は遅いし、装甲も火力も戦闘には耐えられない。この運搬船団を抱えたまま戦場に赴く事はできないから、艦隊は護衛用の数隻を遺して、主力を運搬船より先行させているのだ。
「しかし、なにを言っても目の前の連邦艦隊を撃破しないことにはこの作戦は実行できんな。先のジャブロー降下作戦とはわけが違うからな」
 と言って肩をすくめたマ・クベがコマンドシートに腰掛ける。そのマ・クベの隣のキャプテンシートに腰掛けたレイルは、ケロンとした口調で言った。
「それは、勝ってしまえばいいのでしょう。マ・クベ少将。連邦軍の寄せ集めの艦隊なんて、今のネオ・ジオン艦隊の敵ではありませんわ。マ・クベ少将の出撃なしで殲滅してみせます」
「そうなると、私は失業だな。クックック」
「そ、そんな事を言ってるんじゃないです」
 皮肉っぽく笑うマ・クベに対して、レイルは慌てて弁明した。それから思い出したかのようにもう一度口を開いた。別段、マ・クベはレイルの言葉を気にしていない。
「……あ。それと、マ・クベ少将。ニュータイプ研究所の方から、新たな強化人間が来ています。この戦闘に参加させますか?」
「うむ。聞いている。βだな。黒騎士も戦の匂いを嗅ぎつけて、とうとう起き出したか。かまわん。奴にはモビルスーツ二個中隊を貸してやれ」
 マ・クベの言葉を受けたレイルが、一瞬不愉快そうな顔をして答える。
「……二個中隊とは、随分と買っておられますね。βを」
「黒騎士か? 一年戦争のときのあの男を知っていれば、妥当とは思うがね。ま、あの男がいるなら、連邦軍の残存艦隊相手に私が出る必要もないな。レイル、艦隊戦の指揮はキミに任せよう。ソーラレイと降下部隊の準備は私がする。いいか。勝つためには敵に戦争をさせてはならんぞ」
 そう言ってマ・クベはレイルの肩に手を乗せると、床を蹴って下へと流れていく。連絡艇で後方の運搬船団に向かうつもりだろう。運搬船団には幾百枚ものソーラーパネルが積み込まれている。それを展開し、直接地上を攻撃するのだ。
 マ・クベの、敵に戦争をさせてはならないという言葉が、レイルの脳裏に響く。
 戦争ではない戦争は、殺戮だ。策を尽くし、謀を巡らし、敵を一方的に殺しまくる事だ。マ・クベがその事を言っているのに、レイルは気付いている。
 だが、そこに暗い響きはない。当然だと思う。戦場で敵に活躍させてやる必要はない。活躍するのは自軍だけで充分だ。モビルスーツパイロットがどう考えようと、世間の一般人たちがどのように思おうと、部隊を指揮する者の思考は冷たくなくてはならない。冷静で冷徹で冷酷でなくてはならない。
 レイルは、索敵ラインの最大レンジにかかった連邦軍艦隊の影をみとめると、黒騎士βの指揮するモビルスーツ部隊を発進させた。会敵点はラサの上空を過ぎた宙域。右翼に広がる5thルナの岩塊を利用して、黒騎士βの隊を敵の背後に回らせる。
 ここなら、マ・クベのソーラレイを展開させるも好都合だし、そもそもレイルは敵に戦争をさせるつもりはない。今までマ・クベの元で戦場を経験してきた彼女に、半壊状態の連邦軍艦隊なぞ敵ではない。
 ただ、敵と対する緊張よりも、マ・クベに試されるということにレイルはノドの焼けるような感覚を覚えた。こうして艦隊の全艦とそのモビルスーツ部隊の総指揮を任される機会を与えてくれたマ・クベに、ネオ・ジオンの輝かしい勝利で報いたいと思う。
 どれだけ華やかに敵を散らすか。手傷を負い、ネオ・ジオンのモビルスーツになす術すらない連邦軍をどれだけ鮮やかに討ち果たし、どれだけ徹底的にその戦力を壊滅させるか。今のレイルの思考には、そんなものが多大に含まれていた。
 レイルは主力のザクWを発進させる。右翼に転じる黒騎士βの部隊も気付かれていない。後方では、そろそろマ・クベがソーラレイの準備を始めるだろう。攻撃目標は、地球連邦軍本部ラサ。おそらく、ラサはソーラレイの光に焼かれよう。そして、マ・クベの率いる降下部隊の前に制圧されるだろう。
 だが、目の前の艦隊がその様を見る事はできない。一艦残らず、一機残らず壊滅されるのだから。レイルは、シルバー・ファングの主砲を開かせた。眩いばかりの閃光が、戦場へと迸る。戦端は切って落とされた。

「各艦へ。敵モビルスーツ部隊が発進した。迎撃のジェガンを発進させろ」
 オスカは、敵の艦隊をみとめると率いる全艦に号令を出した。
 発進するのは、ジェガンC型。従来のジェガンの運動性と機動性を向上させた、現地改修型である。もともと完成度の高い機体であるジェガンRGM‐89は、現地改修のような付焼き刃的な性能アップが有益な機体ではないが、少々スペックのバランスを崩しても、敵の主力であるザクWに対応できなくては戦力にならない。
 地球圏防衛艦隊の旗艦カイラム級「ラ・テュール」の甲板から、各所にスラスターを増設したジェガンが発進していく。左右のタラップ級からも続々と発進が続き、前面に展開するザクWに応戦していく。
「熱源探知! 敵艦隊よりメガ粒子砲! 回避行動は102!」
「回避行動、遅い! もたもたするな!」
 オペレータの声に、ビエラが怒声を上げた。幾条もの奔流が艦隊に流れ込む。艦隊への着弾はなかったものの、先手を取られた。敵の砲撃がさらに続く。だが、その砲撃数は思ったより少ない。
「敵艦隊をトレースできました! データ送ります」
 やはり敵の艦隊数は、前のジャブロー上空戦の半分に満たない。総戦力の差だ。もともと連邦軍は全宙域を網羅できるだけの戦力を持っているが、ネオ・ジオンはルナUやグラナダ、そしてその輸送路を確保しつづけるだけで艦隊行動の取れる戦力が減ってしまう。
 前面の戦力は、ジェガンの改良もあってあのザクW相手に互角。艦船数も連邦軍が圧倒している。今度は勝てる。このままジェガンと艦船の数で押せば、この宙域で勝てる。
「左翼のデータはどうなっている? ちゃんと索敵しているのか」
「無数の岩塊のため、よく分かりません。ミノフスキー粒子濃度は低いのですが、岩塊にレーダー波が干渉されて……」
 オスカの声にオペレーターが答える。五年前のシャアの反乱でラサに落ちた5thルナの残骸がまだ残っているのだ。まだこんな所に岩塊が残っていたとは、オスカにとって予想外だった。
「ち! 改造が遅れているジェガンに偵察に行かせろ。岩塊の中に敵が潜んでもいたら厄介だからな」  身軽な、改造されたC型よりも見慣れたジェガン一個小隊が左翼に飛んでいく。
 この短期間で改造がなされたC型は、残存するモビルスーツ隊の約70%である。C型に移行できていないジェガンを主戦場に送り出しても、熟練パイロットを犬死させるだけだ。通常のジェガンの今現在の任務は、艦隊の直援と戦闘行動を主としない各種任務とされている。
「敵第二波の出撃確認! その数およそ三十機!」
「よし、来たか! モビルスーツ隊第二波出撃! 第四波ミサイル、前面主戦場に向け発射。主砲第二斉射、目標敵艦隊。放てッ!」
 正面の戦場が思わしくないのか、ネオ・ジオン軍が先に第二手を投じる。ジェガンの改良もさることながら、ジャブロー上空戦の敗北から今日までの数日間で艦隊の戦力を立て直した成果だ。モビルスーツ戦は、数の圧倒する連邦軍が有利に推し進めている。
 オスカは主砲の第三斉射を行う。一気に数で押しまくるつもりだ。

 華やかに光で飾りたてられる戦場を左手に見る位置に、無数の岩塊が広がっている。5年前のシャアによる5thルナ落としの遺物だ。
 ここは、目の前遥かに広がる光の造形とは程遠い。漆黒の闇だ。浮遊する岩塊に暖かみはなく、無機質な光景だけが広がっている。すぐ向こうの世界は鮮やかに光輝き、生命の炎を生々しくも美しく燃やしているというのに。
 黒騎士は、モニターに映るそれを見つめながら、無言のままであった。
 実際彼がそう感じていたかというと、そうでもない。どこか自分とは違う誰かが自分のすぐ傍らでそう言っているようでしかなく、心の内面から溢れ出るような感情のリアル感がまるでなかった。
 とにかく、黒騎士はモニターを見つめた。たった四機のジェガンが、光の尾を曳きながらこちらに向かってくる。黒騎士は、舌で唇を潤した。一呼吸する。
「……全機、敵偵察部隊がくる。シルバー・ファングへ信号弾。これより作戦を開始し、敵部隊を挟撃する。続け!」
 漆黒の、岩塊に隠れ光の失われた漆黒の闇が、突然動き出した。
 まるで闇がそのまま動いているかのようだ。黒騎士βが駆るモビルスーツ、ギャンUカスタムである。シルエットは、同じ強化人間であるαのギャンUと変わらない。
 だが、機体色は、漆黒。あらゆる闇よりも黒く、そして深い黒をまとうその機体は、存在という生々しさを失って、あらゆるものを飲み込むような透明感を持っていた。
 スラスターが火を放つ。圧倒的なその推力が追随するザクWを引き離す。
 ジェガンが黒騎士の接近に気付く。だが、遅い。瞬時にして四機のジェガンが撃墜される。
 サーベルに両断され、ビームに打ち抜かれたジェガンから、それぞれ四つの爆発が起こる。漆黒の闇に包まれた岩塊が、一瞬華やかに光る。
 だが、それはそのすべてを飲み込んで、冷たい漆黒に落ちる。あらゆる光もそこには届かず、ただただその漆黒の表面を静かに伝い、宇宙の中へと溶け込み漆黒に包まれていく。
 βは、無言で敵機の撃墜を確認すると、今まさに華やかに生命を散りばめている戦場へ向かった。黒騎士は、その輝きを、その漆黒の瞳の中に宿していった。

「上がった!」
 レイルが、戦場の遥か右手に上がった一筋の真っ白い光芒を見て言った。
 黒騎士βの率いる二個中隊が右手の岩塊の中から、中央の主戦場に襲い掛かる。数的優位も崩れ、警戒していなかった左翼から攻撃を受けた連邦軍のモビルスーツ隊が浮き足立つ。
「全艦最大戦速! 左翼に転じ、敵部隊を包囲、撃滅する!」
 レイルが指揮を飛ばす。シルバー・ファングを始めとしたマ・クベ艦隊が、加速しながら戦場の左手に展開する。
 黒騎士の突入は旗艦の発光信号を合図に行われるはずだったが、予測外の敵となんらかの接触があったのだろう。そういう事態になったのならば、信号弾とともに攻撃を開始するように指示してある。
 レイルは、艦隊の直援部隊を左翼に送り込み、砲門を敵モビルスーツ隊に向ける。
 各部隊の鮮やかな動きに、敵モビルスーツ部隊は完全に包囲された。正面のザクWを破る事もできず、右翼から後方へと展開した黒騎士の隊に退路を断たれ、左翼からは戦艦の砲門が襲い掛かる。

 オスカは、愕然として戦場を見ている。
 先程偵察部隊を送った左手の岩塊に一筋の発光弾が上がったかと思うと、二個中隊にも及ぶザクWの部隊が出現し、中央で戦うジェガンC型を撃砕していった。予期せぬ左翼からの新手に、主力であるジェガンC型部隊はそれまでの数的優位が崩れ、混乱と壊走に陥った。
 さらに、敵の新手は速やかに艦隊とモビルスーツ部隊を分断した。四方を包囲され、退路を失ったジェガンが次々に落とされていく。そして、ネオ・ジオンのモビルスーツがジェガンを屠ったあと、彼らは艦隊へと襲い掛かった。
 直援のジェガンが迎撃に向かう。だが、性能で劣り数で劣る通常のジェガンでは、敵し得る相手ではなかった。あっという間に全滅した直援部隊を抜くと、ネオ・ジオンのモビルスーツ隊は十数隻の艦船を包囲する。
 対空火器が轟音を蹴立てて唸る。だが、モビルスーツ戦での圧倒的な勝利に勢いづいた敵には当たらない。そして、対空防御のために密集した艦隊に向かって、ネオ・ジオン艦隊の主砲が的確に襲い掛かってくる。
 モビルスーツの前にクラップが沈む。右翼の戦域を統括していたカイラム級が、ネオ・ジオン艦隊の集中砲撃に包まれて轟沈する。左翼は敵のモビルスーツ隊に撃破され、残る中央にもザクWの主力部隊がせまる。敵の術中にはまった部隊は、もはや数分と持たないだろう。
 オスカは、目の前のあまりの現状に言葉を失っていた。というよりも、オスカの思考では、この現状を理解し、それに対応した指揮を出す事ができなかったのである。
「ラ・テュール! 機関最大!」
 死相を漂わせ、被害報告だけが木霊するブリッジに、ビエラの鋭い声が響いた。
「進路取り舵15、俯角10! 敵の中央と右翼の間をすり抜ける!」
 ビエラの冷静で経験に裏づけされたその言葉は、クルーが失いかけていた活力を取り戻させ、再び思考を巡らさせた。そして誰より、ビエラの声で我に返った男は、オスカ・フェインであった。
「各艦に告げる! 十秒後に機関最大! 我が艦を先頭にして血路を開く! 遅れるな!」
 即座にビエラの意図を読み取ったオスカは、艦隊に司令を出した。旗艦ラ・テュールはビエラの指示で動かせても、艦隊にはオスカの指揮が必要なのだ。
 そして、ビエラの役目は旗艦を預り、艦隊司令であるオスカの生命を確保することである。最後の最後まで諦めてはならないのだ。たとえ他の艦を危険に曝し、生命の天秤を常にオスカの方へと傾けようとも。
「アンチミサイル粒子弾、ビーム撹乱膜噴射用意。進路上に撒いて、敵の攻撃を防げ」
「艦間を狭めよ。各艦の防衛ブロックに火力を集中し、対空力を無駄にするな。ビエラ艦長、艦の指揮は任せる。敵モビルスーツ隊を近づけさせるな!」
 このまま敵前で艦を反転させ退避しようとしても、その間にモビルスーツ隊に撃破されるのは誰の目にも明らかであった。ならば、残る艦隊の対空火力をもってして敵部隊に突貫し、自ら血路を切り開かねばならないのである。
 だが、血路を開こうとも、今残るすべての艦が助かるわけではない。必ず旗艦が生き残れるとも限らないし、モビルスーツに絡め取られる艦もあるだろう。他の艦の艦長たちがその事実に尻込みするだけで、一艦のみ前進した旗艦はオスカとともに宇宙に消え、艦隊はネオ・ジオンに屠られるだけだ。
 今この瞬間、旗艦ラ・テュールに続き敵モビルスーツ隊に突貫するのは、戦略でもなければ戦術でもない。もはや自己犠牲だ。そして、決断を下すべき各艦の艦長もその事実を知っている。旗艦を捨て投降するか。それとも、旗艦とともに決死の突貫を試みるか。
 すべては、艦隊司令としてのオスカの価値そのものによるのである。艦隊の者にとって生き残らせるに値するだけの者ならば、艦隊はオスカに続くだろう。死を決して従うその重みに報いてくれると思えるのならば、彼らは続く。
「主砲斉射の後最大戦速! 旗艦ラ・テュール、敵モビルスーツ隊に突貫する!」

 レイル率いるネオ・ジオン艦隊と地球連邦軍の艦隊戦が繰り広げられている遥か後方で、ようやくラサ上空に辿り着いたネオ・ジオンの運搬船団がその積荷を宇宙に展開させる作業に追われていた。
 ソーラレイシステムである。
 幾百枚もの可動式ミラーパネルを用い、太陽光を集束させ、その熱量によって攻撃する大型兵器である。その威力は凄まじく、敵艦隊を一撃で駆逐出来る圧倒的な破壊力に、一年戦争以来もっともメジャーな戦略級兵器として軍関係者に知られるようになったのである。
 なにより、この兵器は南極条約違反とならない。同程度の戦略級兵器として名高い核兵器は、一年戦争初期に締結された南極条約によって禁止されているが、それ以降に開発されたこのソーラレイシステムは、南極条約に禁止事項としての取り決めがなされていないのである。
「ソーラーパネル展開完了」
 ソーラレイのすべてをコントロールする艦から、マ・クベのザンジバラルに通信が入る。パネルのミラー部分を展開し終えたソーラレイが、太陽光を集めていく。
「よし! 攻撃目標は地上。地球連邦軍本部ラサ基地である。照準合わせ!」
 マ・クベの命令を受け、ソーラーパネルが照準軸を合わせていく。
 ラサには、連邦軍本部としての軍人の他に、数百万の民間人が住んでいよう。今このままソーラレイをラサに放てば、そのほとんどの者が天の火に焼かれる事になるだろう。
 だがそれは、マ・クベが通常の降下作戦を実行した場合に失われる人命と変わらない。いや、戦争が長引き、戦火が広がれば、それ以上に多くの人命が失われる事にもなりかねない。巧い戦争とは、短期間に決着を決めてしまうことである。そうすれば、余計な人命が失われる必要もない。
 照準が定まる。マ・クベの命令一つで、地球連邦軍の総司令部を抱えるラサ基地は、炎の中に呑まれるのだ。そして、そこに降下したマ・クベの部隊によって、この戦争は終結する。
「少将閣下! シルバー・ファングより緊急通信です!」
 マ・クベがその言葉を発しようとした時、ブリッジに鋭い声があがった。
「マ・クベ少将! 大変です! 討ち漏らした連邦軍の艦隊がそちらへ向かっています!」
 シルバー・ファングを指揮し、マ・クベ旗下の宇宙艦隊を率いていたレイルからである。
 確かに、ネオ・ジオン艦隊の包囲網をからくも突破した連邦軍がこちらに向かってきている。だが、それに残されている戦力では、このソーラレイを阻止する事できない。即時稼動できる部隊は、こちらも充分ある。
「焦るな、レイル。問題はない。お前はそこで今世紀最後の花火でも眺めておけ」
 マ・クベは、やや緊張した面持ちのレイルにそう告げると、ブリッジに命令を発した。
「照準そのまま。五分後にソーラレイを照射せよ。降下部隊のザンジバラルへ! 敵艦隊を迎え撃つ。モビルスーツ隊発進せよ!」
 降下部隊を構成するザンジバラル隊が、ザクW部隊を発進させる。ソーラレイでラサ基地を壊滅させた数時間後、大気圏突入コースに進入する予定である。それまでなら連邦軍艦隊を相手にしていても問題はない。
「マッケイ! 私も出撃して敵の足を止める。ギャンの発進準備を急げ!」
 マ・クベは、銀色のノーマルスーツのヘルメットをかぶると、モビルスーツデッキを呼び出した。そして、メカニックのマッケイが二つ返事を返す頃には、マ・クベはブリッジを後にしていた。

 ネオ・ジオン艦隊の包囲網を突破した地球圏防衛艦隊に残された艦船は、たったの八隻。旗艦ラ・テュール以外のカイラム級はすべて撃沈され、戦場に投入できなかったジェガンが三十機ほど残されているだけである。
 いったいどれだけの艦がラ・テュールの楯となって沈んでいったか。何隻もの艦が激戦の中で落伍していっただろうか。彼らは、ネオ・ジオン艦隊の猛火の中に沈み、襲い掛かるザクWの前に散っていった。
 彼らが死の間際になにを思ったかは計り知れないが、少なくとも、このままここでネオ・ジオンの手にかかって死ぬわけにはいかないのである。先のジャブロー上空、そして今回のラサ上空で散っていった者たちの魂に報いるためにも、ここで倒れるわけにはいかないのだ。
 だが、そんなオスカたちの心をあざ笑うかのように、前方に新たなネオ・ジオン艦隊が展開される。大気圏突入可能なネオ・ジオンの巡洋艦ザンジバラルを主体とした艦隊である。
「くっ! こんな所にもネオ・ジオンか! ハメられた!」
 ネオ・ジオン艦隊は、即座に攻撃態勢を整えると、モビルスーツ隊を発進させる。ザクを中心におよそ三十機。今残される戦力では、勝ち目がない。残された艦には主砲のエネルギーも、対空火器の弾薬も残されていないのだ。
「司令! 敵艦隊の後方になにか発見しました……。ソーラレイです!」
 オペレータが悲鳴のような声を上げた。ブリッジすべての者が、前方のモニターを凝視した。まさしく、無数のミラーパネルを用いたソーラレイシステムである。
「オスカ大佐……」
 ビエラがあらゆる意味を含めて、それだけ言った。ブリッジは静まり返り、艦隊は旗艦の動向を静観していた。それがどこへ向けられ、今からどのようなことが起るだろうというのは、誰の目にも明らかである。
 だが、それ以上に彼らは、それを阻止するだけの余力、いや、接近する敵モビルスーツ隊を撃破する力さえも自分たちに残されていない事を、身体を切り刻まれるほど分かっていたのだった。
「…………」
 オスカの沈黙が、少しの間ブリッジを包んでいた。
「モビルスーツ隊発進! 接近中の敵部隊を迎撃せよ!」
 弾かれたようにハッチが開かれると、ジェガン隊が出撃する。これも、C型のような改良は受けていない、ほっそりとした機体が儚い光の尾を残しながらザクWに立ち向かっていく。
「モビルスーツ隊発進後、ラ・テュールは転進せよ。前方および後方のネオ・ジオン艦隊を迂回し、ロンデニオンに帰港する」
 すでに出撃するジェガン隊は分かっているのかもしれなかった。もはやC型の前に主力の座を失い、敵のザクWにあらゆる面で劣るジェガンが戦場に投入されるという事に、パイロットたちはその意味を察していることだろう。
 オスカは、今出撃したジェガン三十機のパイロットの生命を捨て駒にすると決心したのである。いや、それ以上にラサに住むすべての者の生命も捨てると決めたのである。
「通信士。ラサに緊急通信を忘れるなよ」
 オスカは、それだけ告げた。ただ逃げる艦隊の背後で、ザクWに落とされていくジェガンの光を見ていた。そして、これからその膨大な光の渦に呑まれるであろう地上を、なぜか静かな心のまま見つめているのだった。

 連邦のジェガンのあまりに儚い弱さに、連邦艦隊のあまりに切ない敗走に、マ・クベは哀れを抱く。
 回戦を避けて撤退していく連邦軍艦隊。それに追いすがろうとするマ・クベのギャンに向かって攻撃を仕掛けてくるジェガン隊。性能も圧倒的に劣り、数でも優勢を保てない連邦軍相手の戦闘は、戦場のそれではない。そして、それを援護する事もできず、逃げ去っていく生き残った者たちの後姿。
 だが、マ・クベにその感情を抱く事は許されていない。一人の軍人として、部隊を率い勝利に導かねばならない者として、その感情は心の奥底にしまっておかなければならないのだ。そして、たとえそれが殺戮であり、血生臭い策謀であろうと、彼はなさねばならないのだ。
「……いつまでの新たな世界の息吹に目を背ける連邦よ。我らの怒りの炎でその身を焦がし、己らの浅はかさを呪うがいい……」
 マ・クベがギャンを反転させ、そう呟いた。
 その時が訪れる。
「輝け。ソーラレイ!」
 一瞬の、静寂が宇宙空間と地球を包んだ。そして、天の火が、輝きを放つ。
 一条の光芒が、ラサから天に向けて伸びていった。
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第三章 戦乱 第1話 ラサ