第2話 平原のコヨーテ
 平原のコヨーテという男がいる。
 本名は、グラハム・ヘイマン大佐。地球連邦軍地球方面軍キャリフォルニアベース所属モビルスーツ大隊の隊長を、今では務めているはずだ。
 働き盛りの彼は、グリプス戦役からモビルスーツに乗り始めたバリバリのベテランである。指揮官として比類なく、パイロットとしても優秀で、「平原のコヨーテ」の異名はラサばかりでなく、地球の向こうへも鳴り響いている。
 グリプス戦役時、彼はティターンズに所属していた。二十歳代の若さでティターンズに選抜されるほどのエリートパイロットであったが、知っての通りティターンズはグリプスの宇宙に破れた。
 彼は、ティターンズ崩壊当時地球の部隊に配属されていた。所属する部隊は、エゥーゴに乗り変わった地球連邦軍の前に降伏し、彼は生き延びる。
 そして、生き延びた彼の前にある道は、やはり軍人しかなかった。当時のエゥーゴは摂政ハマーン・カーンの率いるネオ・ジオン軍と交戦状態にあり、即戦力となるモビルスーツパイロットが一人でも多く必要だったのである。
 彼は、ティターンズのノーマルスーツを捨て、エゥーゴのノーマルスーツに袖を通した。
 宇宙へと上がった彼は、常に最前線へと配属された。元ティターンズであったパイロットをエゥーゴの者たちは当然信用しようとせず、どこへ行こうと彼の心休まる所はなかった。
 ただ、彼の心を支えていたものは、地球連邦軍の士官としての意地だけであった。元々ティターンズに選抜されていた彼は、地球の安定を乱す者に対して強い反感を抱いていた。アンチスペースノイドというほどの凝り固まった思念ではなかったが、ジオンのような軍事組織には、憎しみさえ抱いていた。
 やがて、彼は信頼を勝ち取った。彼の働きぶりが、彼の居場所を生み出したのだ。彼はモビルスーツパイロットとして連邦軍の大佐となり、北米最大の基地であるキャリフォルニアベースのモビルスーツ大隊長に配属された。
 今のその精悍な面影と、毅然とした態度からでは想像もつかない、いや、言われればそうとも思えるほどの心のビシッとした男で、そんな苦しかった過去も、大隊長としての彼の男ぶりを上げていると言えた。
 そして今日、蒼の翼隊を迎えてくれたのは、他でもない「平原のコヨーテ」であった。
 キャリフォルニアベースの滑走路に、グリフィン・クロウが着陸する。護衛するのは平原のコヨーテが率いた小隊。グリフィン・クロウは止まり、一目でカスタマイズされていると分かる陸戦型ジェガンのコクピットが開いた。
「キャリフォルニアにようこそ、蒼の翼。そして、蒼の翼隊」
 グラハムは、グリフィン・クロウから降りてきた者一人一人に握手をした。人の良さそうな、だが誰よりも厳格そうな手が、印象的である。
「ありがとうございます、グラハム・ヘイマン大佐。キャリフォルニアに降りれるとは思ってもいませんでした」
 アランが、固く手を握るグラハムに対して言った。
「いえ。当然の事ですよ、アラン・スム・ラーサ大尉。なにしろ、もうここは最前線の基地ですからね。おッ。ワグナー艦長!」
 グラハムは明るい声でそう言い、グリフィン・クロウから降りてきたワグナーの姿を見つけると、やはり大佐らしい口調で呼んだ。
「護衛の任、感謝します。グラハム大佐。できれば、できるだけ早く基地司令とお話がしたいのですが……」
 ワグナーは、やや固い表情でそう言う。グラハムの人となりは嫌いではないが、ラサからずっと任務を負ってきた緊張は、まだとけていない。
「ワグナー艦長。基地司令のコルマン少将はラサにおられます。現在は、私の責任で基地を預っている次第です。……が、すでにご存知でしょうか?」
「なにがです?」
 グラハムは、先程と変わって暗く厳しい表情を浮かべる。
「そちらと交信したすぐ後にキャッチした情報なんですが、ラサが陥落しました」
「なんですとッ!」
「なんだって!!」
 グラハムの言葉を聞いた全員が、一様に声を上げた。そばの者と話をしていたナオが、聞き取れずに一人あっけに取られた驚いた表情をしていた。
「そんなまさか! ラサの部隊がそんなに簡単に負けるはずがない! ラサには、師団クラスの戦力が常駐しているんですよ! ラサが落ちたなんて、なにかの間違いだ」
 ラサ陥落の報は、冷静なアランをしてそう言わせた。だが、一抹の不安感に声が震えていった。
 確かに、ネオ・ジオンがどれほどの軍備を整えていたとしても、地球上で最大の防衛力を誇るラサが一夜の交戦もなく陥落するなどありえない。ラサには、蒼の翼隊もよく知るとおり、連邦軍地上方面軍の中でも選ばれた者たちで構成される精強な守備隊がいる。
 彼らの頑強な抵抗が予想されるラサが、そんなに早く落ちるはずがない。ラサのエース部隊である蒼の翼隊が、いち早く南米へと援軍に向けられたのも、そうした磐石な戦力があったからである。
「……ソーラレイです」
 グラハムは、蒼の翼隊の者を基地施設の方へ歩かせながら、心痛を隠し切れない面持ちで言った。だが、アランたちにその言葉の意味を即座に理解しろというのは難しかった。
 誰もが、ラサ陥落の報だけで混乱しそうなのに、そんなことを言われても即座にその状況を悟る事はできなかったのだ。
「宇宙のネオ・ジオン軍が、ラサに向けてソーラレイを使用したのです」
 グラハムの言葉がアランたちの思考に及ぶ。どれほどの悲惨なことがラサに起ったか、そのヴィジョンが彼らの脳裏に鮮明に浮かぶ。焼け落ちる街。死に絶える人々。闇夜は業火に轟き、死の沈黙が地獄の中で漂う。
「詳しい情報はまだ入ってきていません。とにかく、今は一度この基地で休んでください。グリフィン・クロウの補給は、こちらの物資を使ってもらって構いません。モビルスーツの整備も人手を貸します」
 グラハムは、本当に気をつかった言葉遣いでそう言った。突然の事態に神経をすり減らしているだろう蒼の翼の隊員たちを気遣って、そう言っているのだ。ほんの少しの時間だけでも休ませてやりたいと思っていた。
「休んでいるヒマななどない!」
 アランが、唐突に鋭い声を上げた。
「グリフィン・クロウの補給が済み次第、ラサに取って返す! ラサにはまだ生き残った部隊もあるはずだ! 救援を求めているやもしれない! すぐに引き返せば、油断しているネオ・ジオンの部隊を撃退する事だってできるはずだ! そうだろッ! ワグナー中佐!!」
 アランの血走った言葉が、ワグナーに飛ぶ。だが、ワグナーはアランの肩に手をかけ、冷静な口調で言った。
「アラン。落ち着け」
「これが落ち着いていられるかぁッ!」
 アランの怒声。隊員たちの驚きと怯えた瞳。ワグナーの苦い面持ち。
 言葉に発するうちに、言っても詮のない事ぐらい分かる。ワグナーや他の隊員たちも、ラサには家族が住んでいる。心に煮え立つような怒りは、誰も変わらない。ソーラレイという無差別兵器の前に家族を失い、怒りと憎しみに身をゆだねて何が悪いのだ。
 だがアランは、この蒼の翼隊を率いている者の一人だ。責任感と自覚が蘇る。どれほど怒りを覚えようと、アランは最後まで冷静さを失ってはいけないのだ。
 苦悶にしかならない。
「…………くぅ。くそぉ」
 アランは、怒りに震える拳をほどくと、一つ苦しい息をして、グラハムのほうを向いた。
「分かりました、グラハム大佐。蒼の翼は、このキャリフォルニアベースで補給を済ませ、南米から進攻してくるネオ・ジオン軍の迎撃作戦に参加します」
 グラハムの顔が、すこし和らぐ。
「有難い。なんとしてもキャリフォルニアを抜かれるわけにはいきません。できれば、前線の後方より、単艦で遊撃隊を担っていただきたい」
 ネオ・ジオンの部隊がメキシコを抜け、北米大陸に至るまでにはそれほどの時間を要しまい。北米の要所たるキャリフォルニアベースが軸となり、早急に防衛線を展開しなければならない。時間的な猶予は少ない。
 グラハムの命を受けたキャリフォルニアベースの整備士たちが、グリフィン・クロウへと向かって行く。損傷したナオのZプラスを修理し、失ったグリフィン・クロウの燃料と物資を補給すれば、また前線へと向かう。
 だが、哀しい眠りだけでしか苦しみを紛らわす事のできなくなった者たちは、いつしか眠りを恐れる。癒されぬ苦しみを抱えたまま眠り続けるより、修羅の庭に身を投じ続けるほうが、心紛れるのやもしれない。
 戦場の風に呼ばれる者たちは、哀しい運命と性の中に、生命の輝きを求めているのだろうか。遠い灰色の戦嵐は、まだその予兆を示しているだけに過ぎなかった。

 ヤナギ・ヨウ大尉は、ザンジバラルのブリッジで少しご機嫌斜めであった。
 察しのいいミネバに、すこし嫌味なところさえなければ、恋の相談だってできるのに。
 とは言え、ご機嫌斜めなのはそのせいだけではないのだが。
 ヤナギのザンジバラルは、もう一隻のザンジバラルを率いていて、今では二個中隊。エクアドル戦で残ったザクW八機とビグ・ザムに、ザクWの二十四機が新たに加えられた。ネオ・ジオン軍内でもその名が聞こえるようになってきた、ホワイト・アローの率いる部隊としては、やっと質にも量にも箔が付いてきたというものだ。
 それもこれも、わたしの働きのお陰ね。
 ヤナギがそんなことを考えていると、噂のホワイト・アローがブリッジに入ってきた。
「はあい、少佐どの。真新しいジオン軍服の着心地はいかがなものかしら!」
 αは、ヤナギのご機嫌そうな声に足を止めた。ヤナギは浮かれた声でそう言いながら、αの周りの一周ぐるりと回った。
「うぅん。イマイチねぇ」
 ヤナギは、お世辞もなしに辛辣な事を言う。
 だが、ヤナギが言っているのはαの軍服のデザインの事ではない。白い軍服に銀色の刺繍、そしてその上に羽織っている紺色のマント。なんとも、男に着せるにはもったいないくらい綺麗である。しかも、細身のαが着て似合うのだから、どうにも仕方もない。
「もっちと豪華な飾りにできなかったかなぁ。あー見えてミネバさまも意外にケチなんだよねぇ。南米を制圧したのはわたしたちだって言うのに、少佐だなんてケチだと思うわぁ。あの戦果だったら、大佐に抜擢しても誰も文句なんか言えないのに……」
 そうだ。ヤナギがご機嫌斜めな一つの原因は、思ったよりαが昇格できなかった事だ。たった一個中隊で南米大陸の連邦勢力を一掃したのだから、少しぐらいヤナギが不貞腐れても仕方ないかもしれない。
 だが、本人はと言うとあまり気にしていないようだ。
「ヤナギ。おまえだって大尉になっているんだから、ミネバさまにあまり文句を言うなよ」
「……わたしが言っているのは、わたしの階級じゃなくてあなたの階級の事よ。それぐらい分かりなさいよ。そんなことより、ミネバさまとなんの話だったのよ。呼ばれたの知っているのよ」
「ああ。先程お会いしてきた。右翼の先鋒を受け持ち、敵を縦断しろとのご命令だ」
 αは、本当にマジメなのか、それとも本当にドンなのか、どちらか分からない態度と口調でヤナギにそう答えた。確かに、αの右手には指令書が握られている。
「ああ。そう。それだけ」
 αの期待はずれな返事に、ヤナギもつまらなさそうに肩を落とした。が、内心は少し安心している自分がいる事に、肩を落としながらもヤナギは不思議に感じていた。
「で、お前は本当にミネバさまの本隊に戻らなくていいのか? さっきはミネバさま直々に仰られていたのに……」
 αは、そんな顔もできるんだと少し驚かさせるような、困った顔をして言った。
「別に……。ミネバさまの本隊には、頭のいい人も大勢いるんだしさ。わたしが戻ってもなにもする事ないし、またどうせ裏方の雑用するんだったら、こっちに残った方がいいかなぁって思う」
 ヤナギは、なんとも歯切れの良くない喋り方をする自分が、悔しく思えた。
「フフッ。それにあなた。わたしが本隊に戻ったらどうするの? 誰が作戦立てるの? それに……ミネバさまの事はもういいの? わたしがいた方がいいと思うけどなぁ」
 ヤナギは、自分に悔しいから、わざと明るい口調で笑いながら後の部分を言った。
「そうか? 確かにそうだがな。まあいいよ。ミネバさまには、オレの方からも言っておくから。……ああ。モビルスーツの整備状態はどうなんだ? 向こうについたらすぐに攻撃開始だ。頼むぞ」
「任せといて。キャリフォルニアベースもわたしたちで落としましょう!」
 αの言葉に、ヤナギは明るく答えた。
「ハハ! ミネバさまの本隊を出し抜くのか? 分かった。やってみせよう!」
 威勢のいいヤナギの言葉に思わず吹き出したαは、クスクスと笑ってそう言ってみせると、ブリーフィングルームへと向かっていった。
 ブリッジのドアの向こうに消えていくその後姿を、ヤナギは無言で見ていた。
「さてと、仕事しなくっちゃっな」

「おい。このギャンはなんだ?」
 βが、モビルスーツデッキで作業をしているメカニックマンに尋ねる。βが乗る漆黒のギャンUのとなりに、塗装の施されていないくすんだ赤のままのギャンUが立てられている。
「ああ、これは。修理用のパーツです。大尉のギャンUが破損した時に、これからパーツを取るんで、今はちょうど各部品のチェックをしているんです」
 メカニックマンの男が言う。だがβは、いつもと同じすました顔をしたままで、すこし皮肉っぽい口調で言った。
「……この黒騎士もバカにされたものだな」
「はぁ。なにがですか?」
 メカニックマンには、βがなにを言っているか分からない。なにを見ても表情も変えず、まるで感情を持ち合わせていないようなβの言葉の真意は、なかなか理解できないものだ。
「マ・クベ少将も、意外に皮肉な事をしてくれる。スペアのモビルスーツがいるような強化人間なら、部隊を任せなければいいのだ。誰が連邦のモビルスーツ相手にやられるものか。スペアよりも、もう一機ザクを回してもらいたいものだな」
 βが、己のエースとしてのプライドを傷つけられた事に腹立てていると分かると、メカニックマンもそれなりに取り繕う。
「あれは、ニュータイプ用のチューンナップになっているので、大尉やマ・クベ少将閣下以外は乗れませんから。一機余っていたのでしょう」
「……どうだ。イリア。乗ってみせろ」
 βは、もうそれには興味もないように無言を返すと、後ろに立つイリアを振り返り言った。  今、艦の話題をさらう人物と言えば、イリアの他にない。部隊を率いるβが、突然ラサから拾ってきたかと思うと、彼女はそのβを殺すために乗艦したと言っている。それなのにβは、まるで客人でも艦に招いたようにイリアを扱い、さっきはシャワーを浴びさせ、着替えの軍服を渡させていた。
 透けるような肌。炎のような赤い瞳と、同じ色をした艶やかな髪。若さがかもし出す輝くような美しさを鋭い憎しみと哀しい憎悪で覆い、まだあどけない仕種の中に冷たい切り裂くような視線が見え隠れする。
「……なぜわたしがそんなものに乗らなくちゃいけないの?」
「嫌なら、艦を降りてもらってかまわんぞ。だが、イリア……」
 突っぱねるような口調で応えたイリアに対し、βは含み笑いを浮かべながら言う。
「お前は、この私を殺すためにこの艦に乗ったのではなかったのか? お前の復讐は、私を生かしたまま終わるのか?」
 イリアの怒った視線が、βの冷たい視線と交錯する。
 イリアはβの言葉には応えず、クッと拳を結んだ。赤い瞳が、βの闇色の瞳を見据える。βは、視線を逸らさない。
「……乗ればいいのでしょう! あなたのモビルスーツ、後ろの装甲を増やしておいた方がいいわよ」
「クックック……。戯言はその程度にして、よくシュミレーションをしておけ。私を殺す前に、連邦のモビルスーツに落とされたくなかったらな」
 と、艦内の警報が鳴り響く。ブリッジからβを呼ぶ放送が流れ、艦内は急に騒然となる。そして、βはモビルスーツデッキからブリッジへと繋がる通路へと向かって行く。
「フッ。シュミレーションの間もないようだがな。お前も出撃だ。……誰か、ノーマルスーツ! 着替えたらそれに乗っていろ、いいな!」
 そう言って、βがブリッジへと駆け出す。イリアは、すぐそばの兵士から手渡されたノーマルスーツを受け取ると、走り去っていくβの後姿を見た。艦橋へ直通するエレベータの扉が閉まる。そうしてイリアの周りには、誰もいなくなってしまった。

「敵の本隊は、我々キャリフォルニアの部隊が受け持つ。右翼はシアトルの隊、そして左翼はテキサスの隊で守れ。敵右翼の進攻速度は速いぞ。エクアドルを落とした例の機動部隊と思われる、十二分に注意せよ。蒼の翼隊には、戦況に応じて遊撃してもらう。総員、キャリフォルニアで敵の足を止める! 以上だ!」
 グラハムの檄が飛ぶ。すでにキャリフォルニアベースの前面に部隊は展開し終えている。ジャブローが陥落したと同時に呼び集めていた北米諸基地の部隊も集結し、三個大隊にも及ぶモビルスーツ戦力がある。そして、それに付属した新式の戦車や航空戦力もある。戦力的には、敵を上回れるはずだ。
 だが、ジャブローに降下し、一夜で南米を攻略した怒涛のネオ・ジオン軍は、進攻速度を落とす事なく一気にキャリフォルニアへと迫ってくる。キャリフォルニアに軍勢が集結している事を知らぬわけでもないだろうが、それでも彼らは迂回路を選ぶつもりはないようだ。
 確かに、うかつにキャリフォルニアベースを迂回し、ニューヤークの部隊と挟撃される危険を冒すわけにはいかないのだろう。南米を奪ったとはいえ、地上のネオ・ジオン軍はまだまだ孤軍に違いないのだ。
「この一戦は長い。だが、非道を行うネオ・ジオンに対し、我らが戦いを挑まずに誰が戦いを挑もうか! ……彼らの戦いに正義はない。だからこそ我々は戦うのだ! 正義は我らにあり! この戦い、必ず勝てるッ!」

「やはり連邦は半端な数じゃないな。モビルスーツ戦力だけで三個大隊か……。驚くばかりだ」
 αは、パネルに上がった連邦軍の展開を眺めると、まるで感心するような口調で言った。
「α。悠長に無駄口叩いている場合じゃないでしょ。作戦開始はすぐよ。もうすぐにミネバさまの部隊が攻撃を開始するわ! 出遅れないで」
 ヤナギが、ブリッジでのんきな口振りのαに釘をさす。αもそれには素直に応え、素早くブリッジから自機のある格納庫へと降りていった。
「全機! 例の蒼い機体も出てくるかもしれんぞ! エクアドルでの借りを返す好機だ。ゆめゆめそれまでに墜ちるな!」
 白亜のギャンUはすでに稼動できる状態。αが直接指揮を執るモビルスーツ中隊も全て発進準備を整え、その時を待っている。αはコクピットに乗り込み、艦橋のヤナギに指示を出す。
「ヤナギ! 敵は多いぞ。ザンジバラルはあまり前線に出すな。損傷機はこちらから後退させる。勇み足で艦を傷つけるな」
 これだけの戦力を相手に、母艦を前線に出すのは危険すぎる。が、αにとってそれは戦術的な意味以外も大きい。先程のミネバ直々の言葉を無視するわけにはいかないのだ。
「了解したわ。α、作戦開始よ」
「よし! α隊出撃! 攻撃目標、敵右翼の先陣! 速度を活かし、蹂躙せよ!」
 快活なヤナギの声。それに応えるα。ザンジバラルの降下ハッチが開くと、ホワイト・アローの白い機体を先頭に十六機のモビルスーツが素早く射出されていった。

 轟く砲声。煌く閃光。輝く爆炎。
 正午を前に、戦闘が始まった。激突する両軍のモビルスーツ。物量で圧倒する連邦軍と、性能で圧倒するネオ・ジオン軍。キャリフォルニアベースを背にし、磐石の布陣で防戦する連邦軍の防御は堅く、ネオ・ジオン軍の進攻も思うように進まない。
 後方のキャリフォルニアベースから投入される航空戦力。驚異的な物量と油断ならない地上砲火。敵モビルスーツに比べれば圧倒的に高性能なザクWも、地上と空からの連携の前に停滞を余儀なくされ、その中に混じる陸戦型ジェガンの正確無比な攻撃に悪戦苦闘する。
 南米を制圧したような奇襲でもなく、ラサを陥落させた戦略兵器の投入でもない。
 初めて目の当たりにする連邦の頑強な抵抗。敵の先陣を駆るは、連邦のエース。味方が次々と撃墜されるその光景に、ザクWの足も鈍りパイロットたちの戦意も下がる。
 平原のコヨーテが駆る陸戦型ジェガンは、片時も戦線を離れず、自軍を鼓舞しながら戦い続ける。着脱式の増設装甲。長時間稼動できるように増やされたエネルギー。それもこれも、彼が指揮官として戦場に最後まで留まるためである。
 続いて投入されるネオ・ジオン軍の第二波。前進するザクWと後退するザクW。グラハムの素早い追撃を受けたザクWが若干撃墜される。
 そして、連邦軍もグラハムの指揮どおり時を逃さず第二波を投じる。入れ違う陸戦型ジェガン。だが、率いる者は変わらない。グラハムの継続した指揮を受けた連邦軍の砲火は衰えず、ザクWは進撃のタイミングを逸する。
 膠着する戦線。まるで水をも漏らさぬ連邦軍の守りと、それを率いる鉄壁のエース。戦闘は、まだ始まったばかりにすぎない。

「敵の指揮官は、あのブライト・ノアか……。敵の戦力は!」
 すでにノーマルスーツを着込んだβが、ブリッジで指揮する。
 敵の現在地は中国の雲南省あたり。ラサから進攻してきたβの部隊とブライト・ノアの連邦軍が会敵するれば、
 モビルスーツ隊はすでにいつでも出撃できる状態になっており、いつ仕掛けても、仕掛けられてもかまわない。
「およそ二個大隊かと。ホンコンシティ及びその周辺の連邦軍の合流軍だと思われます。敵は高機動の陸戦艇を要しており、容易には振り切れそうにありません。ここはザクWを前面に押し立て、正面から……」
「フン。さすがは英雄ブライト・ノアと言うべきか。ラサ陥落で右往左往する基地ばかりという中で、まともに動ける男はそれほどいるまいが……」
 となりの副官の言葉をまるで聞いていないかのように、βは言う。
「よし。艦隊に下命しろ。最大戦速でここを迂回。敵部隊を抜けてニューホンコンシティを攻略するとな」
 βの命令を後ろの艦隊に送りながらも、副官たちは顔を見合わせる。このまま正面から敵部隊とぶつかっても、黒騎士βを擁したこの一個大隊なら問題ないはずだ。なぜこんな消極的な戦術なんだろうか。ホンコンを攻めても大した価値はない事ぐらい、βも分かっているはずだ。
「フッ。敵の根拠を叩くぞ。気負って出てきたブライト・ノアのウラをかいてやれ」
 だが、そんな副官たちを尻目に、βは命令を出す。四隻のザンジバラルはそろって増速し、前方の連邦軍と会敵せぬままホンコンへと向かう。その動きはもちろんブライト・ノアの部隊にも察知され、即刻追撃を受けるだろう。
 もちろん、βはそれさえもすでに計算に入れている。単純にニューホンコンを攻めるための迂回路ではない。もっとも、ブライト・ノアもそのあたりを計算に入れて追撃戦を演じるつもりだろうが、機動力が上回る敵にどこまで対応できるか。
「第三モビルスーツ中隊に命じろ。ザンジバラルを降下してこの南の森林地帯で伏兵せよ。敵部隊移動後、本隊とともにブライト・ノアを挟撃する。艦隊は速度を落とすなよ。本気でホンコンシティを落とすように見せかけろ……」
 βは、後方の第三番艦ザンジバラルに命じる。ザンジバラル一艦に搭載できるモビルスーツはおよそ一個中隊。命令を受けた第三中隊は順次降下していく。
「……もっとも、敵が追いつけなければ、蹂躙するだけだな」
 βは冷たく笑う。ザンジバラルから降下した第三中隊は、荒野を抜け森林地帯に入っていく。全機漆黒のザクW。艦隊を預る黒騎士βと同じカラーリングを施された機体だ。迷彩効果のあるその塗装は、森林に潜めばよほど接近しない限り分からない。
 次々に打たれるβの手。周到な作戦と、綿密な行動。いかな連邦の英雄も、家族の生命に視界が曇る。迷い込んでいく連邦軍。突然反転するザンジバラル艦隊と、それを読んでいたように迎撃するブライト・ノア。
 黒騎士βの戦いは、これから始まる。

 キャリフォルニア・ベースを巡る戦闘が、すでに夕闇の頃を迎えている。正午から四時間。ネオ・ジオンの砲火はまだ絶えようとせず、応戦する連邦軍も防衛線を死守している。
 だが、その鉄壁の守りにも徐々に綻びが生まれてくる。
 平原のコヨーテが率いるキャリフォルニア・ベースの部隊は、グラハム・ヘイマンの粘り強い指揮の上、地の利を得ているためネオ・ジオンも防衛ラインを突き崩せないでいる。右翼のシアトル隊も、海と基地に挟まれた狭い地形を利用して押し寄せるネオ・ジオン軍を跳ね返している。
 だが左翼のテキサス隊は、機動力の高い敵ネオ・ジオン軍の撹乱作戦にあって非常に苦しい状況に立たされている。左手に広がるのはただ広い平原だけだ。機動力の高いネオ・ジオン軍のザンジバラル艦隊には、機動力を活かせるもってこいの戦場だろう。
 昨日に南米の各基地に奇襲をかけ、陥落させた部隊もここにまわされている。テキサスの部隊だけではこれ以上さばききれない。
「よし! 蒼の翼隊は出るぞ。左翼のテキサス隊を支援する」
 ワグナーの声がブリッジに飛ぶ。その頃には、グリフィン・クロウはすでに離陸しており、搭載するモビルスーツも修理と整備を終えいつでも出撃できる。
「敵は夜になっても攻勢を緩めてこないだろう。が、この左翼が破られたら、グラハム大佐の本隊が挟撃される。ネオ・ジオンを一機たりともぬかせるな。アラン、できるな!」
 ワグナーは、ZプラスS‐1のコクピットで待機するアランに繋ぐ。誰もがラサ陥落の報に精神的な痛手を負っている事は分かっている。だが、その感情を出しても何も始まりはしないし、感情に迷いが生まれれば戦場では死につながる。ワグナーは辛い心を抑え、隊員たちに叱咤を飛ばす。
「ああ。任せてくれ。蒼の翼出撃する。各機、私に遅れるな!」
 アランは淡々とした口調でそれに答える。モビルスーツパイロットらしい平静心を保った声だ。まるで、ラサ陥落の報にも動じていないかのように。
 一瞬にして、アランの機体が射出される。続けてカインの機体。ウェブライダー形態の蒼いZプラスが続々と出撃していく。夕闇は、真っ赤な太陽を提げたまま紫色の闇を持ち上げようとしている。そして戦場は、目の前にある。
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第3話 赤い彗星