第4話 勃発
「ミライ!」
 ブライト・ノアは受話器を置くと、妻を呼んだ。
「ハイ。どうかされたの?」
 たまの休日に鳴り出した電話。大まかな事情はミライにも分かる。電話を取って彼に渡したのはミライ自身であったからだ。軍関係者からの電話は何度も掛かって来たが、すぐに夫に替わるよう指示されたのは滅多とない。
「……ああ。どうやら宇宙でネオ・ジオンの反乱が起きたらしい。ラサの緊急会議に呼ばれた。用意してくれ。九竜基地の軍用機でラサに向かう!」
 ブライトはそう言うと、上着を脱いだ。クローゼットを開いて中の軍服を数着取り出すと、一着を身につけて、残りを妻に手渡した。
「ハサウェイはどこにいる? 連絡はとれないのか?」
「大学の方にいるみたいだけど、最近は連絡をくれないし……」
 慣れた手つきでミライは衣服と必携品をカバンに入れた。小走りで玄関に向かうと、夫はすでに靴を履き終えていた。
「わかった。もしかしたらまた宇宙に行く事になるかもしれんが、戻ってくる。ハサウェイとチェーミンによろしく頼む。……行ってくる」
 短いキス。駆けながら家を出て行く夫を見送って扉のところに立つ頃には、夫は車を急発進させていた。ミライが見上げたその宇宙は、不気味な静けさを保っていた。

 旧世紀の仏教遺跡で有名だったラサは、シャアの隕石落としによって壊滅した。それは、旧世紀から人の心を縛る存在を取り除こうとしたシャアの意志の表れでもあったが、それに気付く人物は少ない。
 衝撃波は高山大地をえぐり、複雑な高山地形を平らにならした。再建を図る地球連邦軍にとって、それは非常に勝手が良かった。
 窪んだ爆心地を基地中央の拠点とし、その周りを囲う円形の外輪を利用して対モビルスーツ戦用の高い塀と濠を設けた。また、爆発によって整地された周辺地帯には、シャトルの発進基地や軍用空港、モビルスーツ工廟に各種陸空兵器の格納庫など、余るほどの土地が用意されていたのだ。
 ラサ基地の軍港に降り立ったブライトを、数名の士官らが出迎えていた。ブライトを乗せた野戦用のジープは、基地中央地下の会議室へと直行した。
「スウィートウォーターの守備隊はなにをしていたのだ! なぜ、ネオ・ジオンの決起を未然に防げなかった!」
 統合幕僚長の怒声が会議室に木霊した。ブライトは、幾人かの人物に視線で会釈を交わすと、着席した。
「守備隊がすでにネオ・ジオンに取り込まれていたのであります、統合幕僚長閣下。地球連邦軍と言っても大半はコロニー出身者です。今の地球連邦政府の政策を見れば、スペースノイドが寝返ったとしても仕方ありません……」
 一人の男がそれに答える。ブライトから見れば、一番右の席に座った男だ。階級章は大佐。ブライトよりは若干若いが、その眼光は鋭い。
「ならば、なぜグラナダが攻め落とされた! 宣戦布告も無かったではないか! ええい! 卑怯者めらが!」
「すでに、地球連邦政府に対しての宣戦布告はなされています。……これです」
 その男は一枚の文書を提出した。それにはこう記されている。
―――親愛なる地球連邦政府へ。
 宇宙世紀0098年、去る十二月二十ニ日。我々ネオ・ジオンは、貴国の圧政を受けるコロニー、スウィートウォーターを解放した。
 ついては、ネオ・ジオンとしてのスウィートウォーターの独立を認められたし。
 なお、十五時間以内に有効回答が得られない場合は、この文書を宣戦布告となし、二十四日零時より月面都市グラナダに攻撃を開始する。
 我々の目的は戦争ではない。地球連邦政府の賢明な回答に期待する。
 ネオ・ジオンのクィーン、ミネバ・ラオ・ザビより―――
 そこには、正式文書を表すネオ・ジオンの印が刻まれていた。
「わしは知らぬ! こんな文書があると言うのに、なぜ連邦政府は我々に情報を回さなかったのだ?」
 宇宙方面軍総司令は机を叩いて立ち上がると、怒りに顔面を真っ赤にして文書を破り捨てた。無論、それはそれぞれに配られたコピーである。
「無理な話ですよ、閣下。これは我々とて同じことでしょうが、連邦政府の誰が、ザビ家の末裔が生き残っていたという話を信じられるでしょうか? それに、少なくとも我々は、この反乱に対して四年前になんらかの対策を講じるべきだったのです」
「……四年前だと?」
 彼の言葉に、統合幕僚長が目尻に皺を寄せた。
「君は……。オスカ君は、この事態を予測していたのか? 予測していたのならば何故上奏しなかったのだ?」
 そうだ。ブライトは名前を聞き思い出した。
 彼の名はオスカ・フェイン。最近軍部内で頭角を現し始めている地球連邦軍大佐である。頭脳は明晰。戦術力、状況判断力ともに優秀かつ大局を見る目も備えているが、如何せん彼には実戦指揮の経験がない。
「……確かな確証は得られませんでしたので、今までは上奏を控えておりました。四年前の、ネオ・ジオン再決起の動きありという報告を、我々はもっと真剣に受け止めておくべきだったのです」
 オスカは、そう言って眼鏡をクイッと上げた。その印象は、彼をより聡明に見えさせたが、逆に冷たい印象も与えた。
「では、奴らの目的はなんだ? コロニー落としか? それともシャアのような隕石落としか!?」
「彼らはスペースノイドの集団ですよ。なぜ故郷であるコロニーを落とします? 隕石にしても同じです。そのような労力を割くぐらいならば……」
 オスカは、会議室に駆けてくる足音に言葉を止めた。
「た、大変です! ルナUが攻め落とされました! ルナUを陥落させたネオ・ジオン艦隊はなおも前進し、地球の衛星軌道上へと向かっています!」
 どよめく席上。地球連邦軍の宇宙基地では最大級の防衛力を誇るルナUが、油断があったとはいえこれほど短時間に陥落するとは思えなかったのである。
「これは我々が認識する以上に忌々しき事態です、幕僚長ならびに大将閣下」
 オスカ大佐の縁無し眼鏡が光をはじく。
「敵がグラナダからルナUに向かったという事は、彼らにとってすでに宇宙が戦場ではないということです。でなければ、月と正反対の位置にあるルナUを真っ先に叩くわけがありません。宇宙はもはや彼らに支配されていると見て、間違いないでしょう」
 彼の言葉に会議の座は静まり返った。腐敗していたとはいえ、彼ら連邦軍首脳の頭脳はそれほどまでに鈍くはない。
「……敵は、ネオ・ジオン艦隊は、衛星軌道に向かっているのか。……彼らは、地球に降下するつもりなのか?」
 ブライトは、独り言のように言った。それは、自分が艦橋にいると思い込んでいる、十数年以上艦隊を率いてきた者の職癖である。
「地球に降りるだと! ならん! 決してならん!」
 統合幕僚長が怒声を上げた。他の御大将の反応も似たようなものである。地球連邦軍首脳にとって、そこはギリギリのメンツなのである。
「ブライト君! 至急宇宙に向かってほしい! 衛星軌道上の艦隊を指揮して、ネオ・ジオンの地球降下をなんとしても防ぐのだ! 場合によっては、ロンド・ベル隊の再結成もかまわん!」
 統合幕僚長が叫んだ。だが、その瞬間ブライトの視界の隅に、オスカ大佐の姿が入った。嫉妬の感情だけにしては、鋭すぎた。
「閣下。ロンド・ベルは四年も前に解散されています。今さら再結成するわけには……。それに、私はいま新たに決起したネオ・ジオンについてはまったく無知であります。私よりも、四年前から敵の行動を予測していたオスカ・フェイン大佐が適任だと思われますが……」
 一瞬、会議室の面々はホッとした表情を浮かべた。彼らにとって、ブライトの存在は強すぎるのだ。もしも一年戦争来の英雄が自分と同じ将官にでもなれば、今度は自分たちが蹴落とされると認識しているのだ。
 逆に、ある意味ではこの凄まじい戦績を挙げている男をこのまま大佐にしておくのは危険かもしれないと思えたが、本人の発言なのだから遠慮する必要はないのだ。
「……ならば、地球軌道上の艦隊の指揮はオスカ・フェイン大佐に一任する。なんとしても、奴らネオ・ジオンを地球に降ろしてはならん!」
「ハハ!」
 オスカ大佐は素早く起立すると、靴を合わせて敬礼した。それに合わせて、他の者たちも立ち上がった。
「……これにて会議を解散する」

「ノア大佐! ノア大佐!」
 ブライトは自分を呼び止める声に振り返った。あの男である。
「先ほどはありがとうございました。この恩は……」
「礼を言われる筋合いではありませんよ、オスカ・フェイン大佐。それよりも、敵の動きに充分注意なされたほうがよろしい」
 こうして話せば、この男はまだ若いようだ。実戦経験のなさが、そうさせているのかもしれない。悪い男ではないようだが……。
「はッ、了解しました。それよりもあのミネバ・ザビと言う名。信用してよいのでしょうか? まさかザビ家が再び現れるとは……」
 オスカは歩きながら話し掛けた。ブライトも歩きながら答える。
「でなければ、これほど早くにネオ・ジオンが再起できるはずがない。しかし、これは彼らにとっても最期のカードを切ったわけです。ジオンの覚悟、ただの覚悟ではないはず……」
 二人は立ち止まった。目の前に車が待っている。
「ハハ! ご忠告ありがとうございます! では、私はこれで……」
 ブライトは何かを思い出し、オスカ大佐の乗り込んだ車の窓に手をかけた。
「大佐。もしもご不安がおありのようでしたら、宇宙方面軍に優れた艦長がいます。その男を使えば、大きな間違いにはならないはずですよ」
 オスカは興味津々な顔をブライトに向けた。よほど、実戦に自信がないらしい。 「それは誰です! ノア大佐の請売りですか!」
「そういうことです。ビエラ・バレンタイン少佐という男です。大味な男ですが、使ってやってください」
「ハ! 分かりました!」
 オスカ大佐は、車内で律儀に敬礼をした。ブライトも敬礼を返す。そうする間に車は発進していき、一ブロック向こうのシャトル発射基地へと疾走していった。
 それを見送りながら、ブライトは帰った時のミライへの言い訳を考えていた。
 せっかくの出世のチャンスをフイにするとは、我ながらバカである。ま、もっとも。この十年来の埋め合わせが出来てないから、仕方がなかった。ミライの理解なら得られる自信が、ブライトにはなぜかあった。
 それに、彼はもう宇宙には上がりたくなかった。彼にとって、シャアとの戦いは多くの戦友を失わせた。あの一年戦争からの戦友、アムロ・レイもついに宇宙に散った。もし宇宙に上がったなら、次は自分であると、彼なりに直感していたのである。
 シャトルが、大気を切り裂いて宇宙へ上がっていく。おそらくは、オスカ大佐を乗せたシャトルであろう。冬の青空に広がるその飛行機雲は、再び新たな戦火が巻き起こる前触れに過ぎない。
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第二章 第1話 衛星軌道戦