第4話 蒼の翼
 ネオ・ジオンの降下部隊がジャブローの重要施設の制圧を完了し、ミネバのギャンUがジャブローに入城する頃には、後続のザンジバラル隊もジャブローに降りてきていた。
 それまで降下部隊が行っていた基地周辺の警戒もザンジバラルの部隊に引き継がれ、モビルスーツ及びモビルアーマーの補給を含めて、降下部隊の兵士たちには一両日の休養が与えられた。
 ジャブロー守備隊の降伏が早かったため、基地施設の多くは破壊を免れている。数刻前には基地の電力も復旧し、早速地球におけるネオ・ジオンの橋頭堡が築かれた形となった。また、ジャブロー基地の諸機能が復旧する頃には、連邦軍兵士たちの処遇も決定した。
 ミネバが、投降した連邦軍兵士に言う。
「……我が名はミネバ。ネオ・ジオンのクィーン、ミネバ・ラオ・ザビである」
 連邦軍兵士の間にどよめきが起こる。まさか、ネオ・ジオンのクィーン自らが出陣していたとは、誰一人として思っていなかったのである。敵降下部隊の総指揮官が女であった事自体驚きであったのに、それが敵の女王であったとなると彼らの驚愕は留まらない。
 ミネバは、彼らのそんな反応に微笑しながら、言葉を続けた。
「……兵としての諸君の責務は果たされた。長期戦を構える諸君の戦いぶりは見事であったが、惜しむらくは迎撃の第一撃が甘かったな。初撃での戦力の損耗を怖れたがために我々の物資を失わせるに至らなかったのが、諸君の敗因であろうな。司令官……」
 ミネバは、いつもの癖のまま長い茶色の髪をなびかせると、ジャブロー司令官に向かって言った。彼女の美しすぎる微笑みに射抜かれた司令官は、不覚にも口篭ると顔を紅潮させた。連邦軍兵士の間に失笑が起こる。ミネバも、柔らかい笑みを浮かべている。
「が、戦の常ならば諸君らの処遇はわたしの裁量一つで決まろう。捕虜に対する戦場の不文律は尊重に値しようが、諸君の知る通り我々は孤軍だ。後退のままらなぬ部隊を率いて、敵軍に復帰するやも知れぬ捕虜の生命を確保するというのは、自殺行為に等しいと言えよう。……基地内に諸君を抱え、敵軍と戦うのが至難の業となれば、今ここで諸君を捕虜にしたという事はなかった事にしてしまってもよい……」
 先程の天使のような微笑みを浮かべていた女性と、同一の者とは思えないほど、冷ややかな笑みを浮かべている。冷酷な瞳とその冷淡な口調は、和んでいた連邦軍兵士の心地を恐怖に震え上がらせた。その美貌は、静けさを湛えた冷徹をまとっても、よく似合うのだった。
「しかし、わたしの目的は殺戮ではない。わたしは、腐敗しきった地球連邦政府を打倒するために地上に降り立ったのだ!」
 ミネバの言葉に気迫がこもる。その覇気に満ちた美しさと言葉は、彼らの心を抉り取る。
「先のシャアとの戦いに勝利した地球連邦政府の増長は、諸君とて知っての事だろう。彼ら無能なる衆愚政治の前に地球はさらに汚染され、スラムと化した都市には貧困と犯罪が蔓延し、地球に巣食う腐りきったエリートどものために、諸君の血税が湯水の如く浪費させられているのだ! わたしは、この官僚政治の病理現象と民主政治の堕落を払拭するために地上に降り立ったのだ! これは、ジオンと連邦の戦いではない。まして宇宙に住む者と地球に住む者同士の戦いでもない! 人類が宇宙と地球とを抱えて、新たなる真の秩序を勝ち取るための戦いなのである! この人類の明日をかける戦いに、諸君の力を貸していただく! 諸君は我が剣となり、我が理想を実現させねばならんのである!」
 ミネバの呼びかけに、連邦軍のジャブロー守備隊は、ネオ・ジオンの傘下に加わることを決した。ジャブロー守備隊のジェガンは三個中隊に相当する機数が残存している。それらモビルスーツの機数以上に、地上にいる連邦軍の兵士らがネオ・ジオンに加わった事は、何物以上の戦果であろう。
 ネオ・ジオン降下部隊の損失は、ザクW六機とエネルギー切れによって擱座し撃破されたビグ・ザム一機のみ。そして、新たに得た連邦軍兵士の力。地球連邦の真中に降りたネオ・ジオンの戦力は、たった一日の内に倍増したのである。

 太陽が沈む。地球の夕刻は、二十年前と比べるとよりその紅さを増した。二十年にわたる戦火の中で地上が戦場と化した結果、大気中の細かな塵や浮遊物質が大幅に増加したために、大気中を通る太陽光が遮られるからだ。
 今日の夕方は、比較的穏やかだろう。
 隕石落としの結果、地球の気候は激烈になった。寒冷化を目的としていたシャアの隕石落としが失敗に終わったため、地球を完全に冷却化することができず、地球全体の気候を変えることになったのだ。もはや、毎日が異常気象の連続である。
 幸い、今夜は南米の独特の気候に恵まれた。無論、コロニー育ちの兵士たちには暑い。だが、日も没し、宇宙が夜空に現れる頃には多少しのぎ易くなる。
「ミネバさま! ミネバさま!」
 ネオ・ジオン士官の制服を着た一人の女性が、インターカムに呼びかける。
「ヤナギ中尉か? 開いている。入れ」
「ハッ。ヤナギ中尉、入ります!」
 ヤナギは、そう言って入室した。その後ろに、一人の男が無言で続く。入れとは言われたものの、一見部屋には誰もいない。薄明るい照明が灯っているだけだ。
 もともとジャブローは、防備に当たる軍人とその家族も収容できるように設計された地下都市である。また、市民生活が円滑に行われるよう、学校や病院のような公共施設の他にも様々な施設が設けられている。
 そのほとんどはビグ・ザムの破壊によって消滅されたが、皮肉かな高級住宅街は破壊を免れた。本来の住人は、戦争勃発の報、若しくはネオ・ジオンのジャブロー降下を受けて、この街から脱出したのだろう。無人の高級住宅を接収したネオ・ジオンは、兵士の宿舎に充てている。このミネバの宅も、その一つである。
 傍で仕えているヤナギにしてみれば、およそミネバの趣味に沿った邸宅だろう。他の邸宅でありがちな豪奢さもなく、どちらかと言えば荘厳で、壮麗な雰囲気の調度をあつらえた室内である。逆に、乏しいばかりの薄明かりがこの部屋の良さを引き立てていた。
 が、いかに左右を見渡しても、ミネバの姿はない。普通ならば、もう姿を現してもいい頃だ。静かな部屋で、ヤナギと男は耳を澄ませた。音が聞こえる。水の音。シャワーの音だろうか?
 それからしばらくして、水の音が止まる。気配が動き、奥に通じる扉が開く。
「……待たせたな、ヤナギ中尉。どうかしたのか?」
「ハッ。部隊ごとの兵舎の割り当てと、基地守備隊の配備完了いたしました……」
 右手の平を左の鎖骨の下あたりに当てて頭を垂れたヤナギが、歩み寄ってきたミネバの足元に視線をやって思わず首を傾げた。正装用の真っ白いブーツでもなく、略服時の靴でもない。きれいな素足に、スリッパだけだ。
「てッ! み、ミネバさま! なんて格好なんですかッ!」
 頭を上げたヤナギの前に、ミネバが立っている。いきなり大声を上げたヤナギに、ミネバはびっくりした様子だ。
 ヤナギが驚いたミネバの装いは、まさに湯上り然としたバスローブ姿。いつものノーマルスーツや正装着と違って、バスローブでは首筋や腕、脚の素肌が露わになっている。湯で若干火照っているその素肌は、艶やかに美しい。暑いのか、はだけた胸元が見えそうだ。
「これがか? なにか問題があるのか? シャワーを浴びたあとに正装を身に付けろと言うほうが間違っているとは思うがな、ヤナギ中尉」
「はっ、うッ?」
 ヤナギが変な声を上げて天井を仰いだ。まだ濡れた髪をなびかせたミネバの艶めかしい仕種に、思わずのぼせてしまったのだ。不覚にも鼻血が出た。いくら綺麗で艶美だったとしても、同性のそんな仕種でこんな痴態を曝すとは!
「ああ。そなたが降下してきた強化人間αだな。マ・クベから話は聞いているぞ」
 ミネバは、上を向いたままのヤナギを無視して、αに視線を向けた。
「ハ! お初にお目にかかります、クィーンミネバ!」
 上擦った声で弾かれたように言うと、αはミネバの前に跪いた。ちょうどさっきのヤナギと同じ仕種のままで、左脚を後ろに引いた格好である。
 頭を垂れたαの両の耳が僅かに紅潮した。今まで、αはミネバと会った事はなかった。ニュータイプ研究所に訪れるのはいつもマ・クベであり、αは、今始めて自分のクィーンを目の当たりにしたのだ。
 にわかにαの全身を動揺が襲う。さっきまでボケッと突っ立ていたのは、ミネバの美しさに見惚れていたからだ。美しすぎた。喉がカラカラに渇く。湯上りの香りが、αの鼻腔をくすぐった。悟れまいとすればするほど、落ち着けと心の中で叫べば叫ぶほど、鼓動は早く音高くなり、視界は血走ったかのように狭くなっていった。
 αは、もう一度ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「……うむ。あいにく、ジャブローはわたしの手勢で落としてしまったからな。そなたの活躍が見れなかったな……」
 いかにも残念そうな、それでいて濁りのまったくない涼やか声でミネバが言った。
 そもそもジャブロー降下作戦は、ザンジバラル隊の投入によって勝利を収める作戦だったのだ。新型ビグ・ザムの地上での性能が良好であったのは、嬉しい誤算に過ぎない。ミネバ自身、自らの手勢だけでジャブローを陥落させられるとは思っていなかったのである。
 αは、意を決するとミネバを仰ぎ見て言った。
「ミネバさま! 私めにザンジバラルを一隻お貸し下さいませ。ミネバさまの本隊の先駆けとして、南米大陸の連邦軍基地の攻略に向かいます! ジャブローを攻略した今、我がネオ・ジオンの地上軍がこれを確固たるものにするためにも、早急に南米大陸全体を手中に収めるべきであります。幸い、先の戦闘においてザンジバラルの戦力は温存され、連邦軍のジャブロー守備隊を傘下に収めております。私めが一隊を率い、敵が油断している早期に攻勢を掛け、一気に連邦軍勢力を南米大陸から追い落としてみせます!」
 αは若い。目鼻立ちは鋭く、優しい顔立ちではないが、お世辞抜きでも男前と言えるだろう。だが、打算的な表情を浮かべたミネバは、腕組みをして部屋の隅の方に視線をやった。
「うむ。だが、ザンジバラルに搭載できるモビルスーツ戦力は一個中隊だぞ。それだけで本当に南米大陸の諸基地を攻略できるのか?」
「ハッ! もちろんであります! 愚昧なる連邦軍の部隊が、ネオ・ジオンの、そして、ミネバさまと私の敵として足りえましょうか! いえ! 足りえません! 私が、この一両日において、南米の重要基地を攻略してご覧にいれましょう!」
 ミネバにとって、この若い強化人間の戦術的な言葉の羅列などより、今のような覇気に満ちた言葉の方がより心を打った。フッとにこやかに笑みを浮かべると、ミネバは爽やかな口調で言った。
「そうか! よし、分かった。南米大陸の重要拠点の攻略は、αとヤナギ中尉に任せよう。わたしは、本隊を率いてそなたたちの後方から進撃する。そなたたちにはザンジバラルで先発し、敵戦略基地の早期攻略を命ずる」
 鼻血も治まったヤナギが、ミネバの言葉を聞いてあっけらかんとした声を上げた。
「ミネバさま。わたしも出撃するのですか?」
「マ・クベが、αにはヤナギを共に行動させろと言ってきている。……文句ならマ・クベに言うんだな、ヤナギ中尉」
 静かな口調でそう言ったミネバに、ヤナギは据えた視線で抗議したが無駄である。ミネバはもう用はないかという風に両手を広げてみせ、
「さあ。もういいだろう? わたしは疲れているのだ。やはり、地球は重いな……」
 と言って、二人を自室から追い出した。

 ミネバの部屋から退室した二人は、ふぅとため息をついた。それからヤナギは仕事が済んだような顔をして、スタスタと歩き出した、
「中尉……」
「はい?」
 不意に、αがヤナギを呼び止めた。振り返ったヤナギが首を傾げる。
「……君は、実戦指揮を執ったことがあるか?」
「まさか。わたしは、いつも裏方仕事ばかりやらされているんですよ?」
「そうか……。当てが外れたな……」
 αは、そこまで言うと、左手を片方の手の肘にまわし、右手の親指の爪を噛んだ。ヤナギは、三つ年上のこの強化人間の仕種に苦笑すると、軽い口調で言った。
「……だけど、熱いわねぇ。あなたも」
「いけないかッ?」
「いいえぇ。別にかまわないんじゃなくて?」
 ヤナギが暗に含んだ意味を解するのか解さないのか、イマイチよく分からない返事をしたαに向かって肩をすくめると、ヤナギは顎に手を当てて尋ねた。
「それよりも、当てって何よ。どういう意味?」
「ああ? ……ああ。オレは作戦を立てるなんて苦手だからな。モビルスーツ隊の戦場指揮なら何度もしたことがあるが、攻略作戦を立てた事なんてないからな」
「ああ。そういう事なの。って、あなたね!」
「オレはモビルスーツパイロットだ! どんな時でも、どんな相手にも負けない自信はある! だが、それとこれとは別だ! オレは参謀士官じゃない!」
 αが大袈裟な仕種でそう言ってのけると、ヤナギはしたり顔でニ、三度頷いた。
「ははぁ。要するに、わたしに基地攻略の作戦を立ててくれって事ね」
「……そういう事だ。中尉だって、いつまでも雑用ばかりやらされるより、戦場に出て出世したいだろう! オレのギャンUカスタムがあれば、どんな基地でも落とせる! 手柄の三割は中尉にくれてやってもいい! とにかく、オレは、どんな事をしてでもミネバさまにデキル男だって事を証明しなきゃならないからなッ!」
 αがそう言い終わってから一瞬、ヤナギは反応を忘れた。立派に言い放ったαの言葉の内容を、頭の中で反芻する。それから、ぼんやりとその意味を理解したヤナギは、本人の目の前で吹き出した。
「ふっ、ふふっ! アッハッハッハッハッハッハッハッ!」
 ヤナギがおなかを抱えて笑う。吹き出した笑いが抑えられない。αは、いきなり笑い出したヤナギに怪訝な顔を向ける。
「あなた。まさかミネバさまに惚れちゃったの? アッハッハッハッハッ! だ〜からあんな大袈裟なこと言ってたんだぁ!」
「いけないかッ! 部下が指揮官を慕うのは当然だろうッ!」
「ふふっ! そうよ、そうよ。当然の事ですものね。あ〜あ。いい事聞いちゃった」
 ヤナギは、αの言葉にイチイチ頷くと、必死に笑いを堪える。あんまり笑いすぎて、αを怒らせるのも利口じゃないから。
「ま、そーいう事なら任せなさい! バッチシお膳立てしてあげるわよ!」
「それは、どういう意味だ! 中尉!」
「うふ。どちらでも!」
 こう見えて見えなくて、ヤナギはミネバと親しい。公式の場では他の人の手前きちんと接するが、私的な関係なら、親友同士と言っても過言でない。
 ヤナギは、曖昧な返事だけを残して、スタスタとその場を去っていった。αは、ヤナギの言動が理解できないのか、首の後ろのあたりを掻いていた。

 黎明。朝焼けの空。高く澄んだ冬の空を、地平から現れた太陽が金色に染める。
 ここは、地球連邦軍総司令本部ラサ基地の軍用空港の第一滑走路である。ちょうど今頃は、ジャブローの守備隊が敵の攻撃に堪えつつ夜を迎えようとしている頃だろう。
 ひんやりとした空気が、滑走路を駆け抜けてくる。滑走路の一番端で、管制塔の離陸許可を待っているのは、先月就航したばかりの新鋭航空空母・グリフィン級一番機「グリフィン・クロウ」である。前身機のガルーダ級と同じく、モビルスーツ隊の運用を主とした攻撃空母であるが、その性能は旧型とは比較にはならないほど向上されている。
「アラン。準備はいいか?」
 振り返ってそう聞いたのは、グリフィン・クロウの艦長ワグナー・レインマン中佐である。今年の誕生日で五十歳を迎えるこの艦長は、現場一筋の堅実な男である。新鋭攻撃空母を任され、ジャブローへの援軍に指名されたのは、その充分な実績と経験を買われたからである。
「ああ、艦長。こっちは終了した。発進させてかまわない」
 応えたは、今シートに腰掛けたばかりの若い男。燃えるような赤い髪をしている。瞳も真紅。若干二十五歳で、航空モビルスーツ部隊「蒼の翼」を率いるエースパイロット、アラン・スム・ラーサ大尉である。
 管制塔から離陸許可の信号が送られる。グリフィン・クロウは、スロットルを上げると、機体を滑走路に滑らせていく。安定した挙動で加速すると、グリフィン・クロウは空へと上がった。グリフィン級は、同種の攻撃空母と比較すれば非常に運動性に優れる。巡航速度も音速近くまで達する事もできる。新鋭空母の名は伊達ではない。
「アラン。積んでるZは七機だけだぞ。二個小隊の予定じゃなかったのか?」
 機体がオートパイロットに設定されたのを確認すると、ワグナーはハーネスを外し、キャプテンシートから立ち上がった。
 グリフィン・クロウの搭載可能なモビルスーツの機数は、約二個小隊の計八機。ガルーダ級に比べれば搭載機数は落ちるが、より効率的に運用できるようになっている。
「まあ、蒼の翼は元々一個小隊だからな。ラサでも、Zを三機調達できれば御の字だよ。もう一機は、途中ハワイで空中給油の前後で合流する予定になっている。……そんなことよりも艦長。ジャブローまで後どれぐらいかかる?」
 アランがワグナーに尋ねる。ワグナーは手元の航行パネルを操作して、手早く所要時間を計算する。
「ん。いくらこの新型の足でも、ジャブローまではせいぜい半日かかる。おまえ達モビルスーツパイロットは休んでいろ。残りの三機も蒼く塗り替えさせておこうか?」
「ああ。そうさせておいてくれ、ワグナー艦長。しかし、援軍出撃までに一晩かかるとは、ラサの連中はどう考えているんだ?」
 シートから立ち上がったアランが、ワグナーに言う。
 四年前から、ワグナーは「蒼の翼」の母艦の艦長である。気心知れる二人は、あまり敬語を使おうとはしない。もっとも、二十歳そこそこの部下相手にそんな態度なためか、ワグナーの出世は同年代や同じ実績の者から比べると遅れていると言える。だが、彼はそんな事を気にする性分ではないのだが。
「さあな。俺は、おまえと違って難しい事は考えない性質でな。どうしても知りたきゃ、司令本部の将軍さまたちに聞いてきな」
「フッ。そうだな。この戦争が終わればそうさせてもろうよ、艦長」
 アランはそう言って、ブリッジ兼コクピットから退室していった。
 このグリフィン級はとにかく狭い。運動性向上のため、モビルスーツを運用するための空間以外はギリギリまで切り詰められている。深海で作戦行動を行う潜水艦と比べればマシな方にはなるが、攻撃空母としては悲しくなるくらい狭い。
 まず、天井が低い。モビルスーツを運用する事が前提に設計されているため、このような人が通るための通路の高さは2mほどしかない。一部の例外を除き、パイロットの規格は170cmから190cmまでとされているため、歩く分には問題ないが、簡単に天井に手が届くのは違和感を抱かせた。
 さらに、横幅も狭い。ブリッジを兼ねたグリフィン・クロウのコクピットでも、大人が六人座席に座れば、もう余裕はない。通路も大人二人がすれ違うだけの幅だ。特に問題はないとはいっても、他の艦、特にペガサス系列の強襲揚陸艦に乗るのとは、まったく空気が違う。こちらは、機内からして戦場を実感させる。
 コクピットからの通路を進むと、右手にクルーが休む部屋があり、左手にブリーフィングルームとその奥にモビルスーツパイロットの待機室がある。その向こうにまで進んでいけばモビルスーツデッキとなり、今は七機のZガンダムプラスが整備士たちの入念な洗礼を受けているはずだ。
 アランは、ブリーフィングルームの扉を開く。すでに、「蒼の翼」のパイロットには集合するように伝えてある。扉の開いた角度と比例して、中のざわめきが耳に大きく響いてくる。
「あ! アラン隊長!」
 ハッと顔を上げた一人のパイロットが、黄色い声を上げた。途端に部屋の中のざわめきが収まる。シンと静まり返ったブリーフィングルームに、アランの踵のコツコツという音だけが響いた。
「ん。ミカハラ少尉。よし、全員着席。これよりブリーフィングを行う」
 アランは、今声を上げたパイロットに短くそう応えると、全員の正面に立った。
「まず、今回の作戦任務を確認する。すでにジャブローにおいてネオ・ジオンの降下部隊と局地戦が展開されている事は全員知っているだろうが、我々蒼の翼の任務は、敵降下部隊と交戦中のジャブローへの支援である。支援内容だが、敵の後方撹乱の他に、ジャブロー基地守備隊の戦術支援が中心だ。場合によってはジャブローに着陸し、同基地の防衛にあたる事にもなるだろう。作戦期間ついては、敵部隊を殲滅するまで続行されると認識しておいてもらおう。誰か、何か質問は?」
 アランはそこまで述べると、そう言って隊員たちの方に視線を向けた。
「ハイ! アラン隊長の二番機は誰がなるんですか!」
「ナオ少尉。それは後だ。アラン大尉、もし仮に我々が到着する前にジャブローが陥落していたらどうするんです?」
 さっきアランにミカハラ少尉と呼ばれたパイロットが、大きな声を上げた。が、すぐに年配らしい男の声が釘をさした。
 ナオ・ミカハラ少尉は、蒼の翼の紅一点。昨年モビルスーツ士官学校を非常に優秀な成績で卒業し、いきなりエース部隊である「蒼の翼」に配属されたパイロットである。明るい声と、二十二歳になったばかりの年齢相応の美しさで隊員たち人気はあるが、さっきのように若干マイペースな性格のようである。
「すいません、ヨハン中尉」
 ナオは素直にペコリと頭を下げた。この素直さも人気の要因であるらしい。
 今年三十五歳を迎えるヨハン・セバンナ中尉は、一言で言うならば生粋の軍人である。質実剛健、堅忍不抜。彼はまさにそれである。「蒼の翼」ではアランに次ぐエースであり、モビルスーツパイロットとしての長い経験を持つ彼の存在は、アランにとって信頼置ける副官であり、蒼の翼にとっても重要なポジションを占めている。
「ヨハン中尉の言うようにジャブローが陥落していた場合は、南米の健在な基地に着陸し、現地部隊と協力しつつ敵降下部隊の殲滅する予定となっている。できれば、ジャブローが陥落しているとは思いたくはないがな」
 アランが肩を竦めてそう言うと、パイロットたちもジャブローが陥落していた場合を考え、真剣な表情を浮かべた。
「それから、もう話も弾んでいたようだが、新たに四名のパイロットが編入することになっている。今ここにいる三名はラサでも何度か会っているから、早く隊に慣れてくれるように。最後の一人はハワイで合流する事になっている。以上、他に質問はないか?」
 アランは、声の調子をやや明るくし、隊員たちを見渡そうとする。が、その前にまたあの声が耳に飛び込んできた。
「ハイ! アラン隊長の二番機は誰が務めるんですか!」
 ミカハラは、再びそう叫び、右手を挙手する。ついに二個小隊となった「蒼の翼」であり、今まで二番機を務めていたヨハンが第二小隊の小隊長になると予想していた彼女は、誰がエースの後ろである二番機の栄誉に輝けるかを、グリフィン・クロウの離陸前から気にしていたのだ。
「ああ。そうだったな。私が第一小隊を直接指揮するから、第二小隊の方はヨハン中尉に指揮してもらう。編入してきたジョン少尉、マーティス少尉、アリー曹長の三名は第二小隊に所属し、今日中にこの艦の発着艦をマスターしてくれ。ガルダと比べても、こいつは狭いからな」
 グリフィン・クロウの着艦スペースがガルダよりも遥かに狭いのは、ラサでも有名だった。もちろん「蒼の翼」に編入されるほどのZ乗りであるので、そこには恐怖というよりも興味の方が大きかったが。
「二番機の件は最後のパイロットが合流してからだが、ミカハラ少尉では少々不安だからな。リー曹長に頼みたいものだな」
 アランがそう言って微笑むと、ブリーフィングルームに失笑が満ちた。
 隊員の誰もがそれに触れようとはしないが、ナオとリーでは決定的に違う。男性と女性というふざけた理由ではない。彼女は昨年パイロットになったばかりだが、リーは第二次ネオ・ジオン抗争を戦った経験がある。端的に言えば、そこの差だ。
 リー・ヨードウィル曹長は、若干二十二歳とミカハラと同い年だが、軍には十六歳の頃から入隊している。階級こそ曹長でしかないが、彼の第二次ネオ・ジオン抗争でのスコアは、アランの驚異的なスコアには及ばないまでも、蒼の翼でも一目置かれる撃墜数である。実力は、誰にもひけを取らない。
「それは光栄ですね。アラン隊長。確かに、ナオさんには任せきれませんからね」
「ふん! リー曹長までそんな事言って。みんなで、わたしを馬鹿にするんだわ」
 そう言ってツンと鼻を鳴らしたナオに対して、リーは慌てて釈明した。根は明るいが、彼女を怒らせるというのは得策ではない。
「そ、そういうわけではないですよ。ナオさん」
「なによ。さっきはみんなで応援してあげるって言ってたのに!」
 そんな怒った仕種にも人を和ませるものが見えるのが、ナオの人気の秘密だろう。殺伐とした軍人の中には、こういう存在も必要になる。それがたまたま女性であっただけの話であり、パイロットとしての実力も充分認められているのだ。
 グリフィン・クロウはジェット気流に乗ると、一路東へと突き進んだ。朝焼けのする空は、いつ見ても新鮮だった。

 漆黒の闇の中に爆炎をまといながら浮かび上がったのは、白亜色のギャン。そのシルエットは、主に重力下での運用を目的とされた、ネオ・ジオンの新型モビルスーツ強襲型ギャンUのものである。
 通常のギャンUと比べれば、その背部の大型スラスターが特徴といえるだろう。さらにジェネレータ出力もかなり増加しており、一般的なギャンUと比べると、速力も攻撃力も遥かに向上した機体である。
 僅かに生産される、扱いが非常に困難なこのネオ・ジオンの新型モビルスーツを駆るのは、今はまだ一人。ネオ・ジオンのニュータイプ研究所で強化訓練を受けた強化人間αこと「ホワイト・アロー」である。
「ホワイト・アロー! 基地中央の施設は沈黙したわ。そこはもういいから、右翼のザクWの支援をお願い。敵のモビルスーツ隊に挟撃されて、戦線が硬直している!」
「了解、ザンジバラル。ホワイト・アローはこれより右翼の支援に向かう!」
 強化人間αは、ヘルメットに響いた女の声に応える。その声の主は、制空権を得た上空のザンジバラルから攻略部隊を指揮しているヤナギだ。
 ミネバの命を受けたαとヤナギは、あれからものの三十分でザンジバラル一隻の戦力を編成すると、南米にある連邦軍諸基地の攻略に発進したのだ。すでにジャブローに近いサンパウロ基地とギアナ基地は攻略したヤナギとαのザンジバラルは、残る連邦軍の重要拠点であるエクアドル基地を攻略しようとしているのだ。
「行け! ファンネル!」
 ギャンの左手のシールドに内蔵されたファンネルが射出される。なんとかザクW部隊と戦闘を続けていたジェガンが、急所を射ち抜かれ爆発していく。敵の右翼に対応していた連邦軍も後退を始める。
 ジャブロー陥落の報すらまだ確認が取れていない連邦軍にとって、この闇夜に紛れて侵略してきたネオ・ジオンの高機動部隊相手に、組織的な抵抗をする事は困難であった。エクアドル基地の指揮系統もすでに寸断されており、夜明けまで基地を防衛できる見込みも薄かった。
 なにより、敵の白亜色のギャンが速すぎた。たった一機でモビルスーツ中隊を全滅させてしまう攻撃力と圧倒的なその推力に、連邦軍の陸戦型ジェガンでは太刀打ちできなかった。ニュータイプ兵器を自在に操る敵パイロットの能力も、驚異だった。
「ホワイト・アロー」
 これが、連邦軍の脳裏に新たに刻まれる恐怖の響きになる事は間違いないだろう。
 孤立したエクアドル基地の最後の望みは、ジャブローへの支援としてラサから送られた援軍だけである。おそらく朝まで耐え忍べば、報告を受けた援軍がこちらの方に向かってくるはずだ。エクアドルの今宵は、おそらく一番長く感じる事だろう。
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第5話 赤道直下戦